331 次期当主の矜持
早速母さんの家の近くに生えていた無花果の苗木を探し、土魔法を用いて根を傷付けないように慎重に取り出して鉢に移し替えた。
「これでどうかな?」
「ん。いいと思う」
尋ねるとフローリアは頷いた。念のため、苗木の保護をハーベスタに手伝ってもらうか。一緒の鉢にハーベスタを植えて、添えておくとしよう。
「よろしくね」
と、フローリアは笑顔でハーベスタの頭を撫でる。ハーベスタに何らかの効果があると気付いているようだ。
「もしかして、ハーベスタと意思疎通できる?」
「喜怒哀楽はわかるわ。テオドール達も信頼してるみたい」
ふむ。言葉での意思疎通はできないが、感情は分かると。
「では、契約を済ませてしまいましょう。私の手を」
無花果の苗木を挟むようにしてクラウディアとフローリアが向かい合い、互いの手を取り合う。
「私はクラウディア様と契約し、家主であるテオドールとの絆が健在である限り、この家と迷宮都市で育っていくこの苗木に宿り、守っていくと誓うわ」
「ならば私はそれを歓迎しましょう。共に歩み、互いの繁栄を願います」
いつぞやの、テフラとの契約をなぞるようなやり取り。2人の繋いだ手と手の間にまばゆい輝きが生まれて、苗木と家に広がっていく。
「後は……苗木をタームウィルズに運んで植えれば契約成立というところね」
光が収まったところでクラウディアが頷く。苗木を植える場所は、中庭あたりが良いだろう。
「苗木が育ったら、そちらにもお部屋を作ってもらえると嬉しいのだけれど」
苗木側も母さんの家と同じにしてほしいと。フローリアにとってのアイデンティティーみたいなものだろうか。
となるとどうしたものか。中庭に植える以上はあまり大きくできないしな。精霊であることを考えると儀式場に植えるという手もあるが、まあ賑やかなほうが良いということであればやはり家の中庭だろう。
「……カーバンクル達の家を作ろうかな」
「それはあの子達も喜ぶんじゃないかしら?」
クラウディアが明るい笑みを浮かべた。さて、どんな家にしたものか。
……まあ、そのへんは苗木が育ってから追々ということで良いか。
母さんの家でののんびりとした休暇を経て、ガートナー伯爵領を離れる日がやってきた。
出発前の墓参りを済ませてから、シリウス号に荷物を積み母さんの家の戸締りを確認したりと、出発するための準備を進めていると父さん達が見送りにやってきた。
俺達と共にブロデリック侯爵領へ帰るマルコムの同行は勿論として、ハロルドとシンシアに加えて、ダリルとキャスリンも一緒に湖畔まで見送りに来たらしい。
とりあえず、フローリアを父さんに紹介しておくとしよう。
「こちら、ドライアドのフローリア。フローリアは……父さんのことは知っているのかな?」
「んー。ヘンリーでしょう?」
フローリアの返答に父さんが怪訝そうな面持ちになったので、母さんの家に宿っていた精霊が顕現したものであると紹介する。
「……なるほど。私からは分からなかったわけだ。ヘンリーです」
父さんは納得したような曖昧な表情になったものの、フローリアに自己紹介をしていた。
「よろしくね、ヘンリー」
と、父さんとフローリアが挨拶をしているその近くで、キャスリンもマルコムと話をしている。
「……マルコム兄さんには、色々とご迷惑をおかけしました」
「ふむ。伯爵から多少の経緯は聞いたが……変われば変わるものだな。今のお前に、私からとやかく言うことも無いだろう。私も侯爵家のために頑張るつもりでいるから、お前も頑張るということで良いんじゃないかな」
キャスリンが深々と頭を下げて、謝罪の言葉を口にする。それを見たマルコムは驚いたような表情を浮かべていたが、やがて苦笑してそんな答えを返した。
「はい。一生懸命頑張ります」
マルコムの返答に、キャスリンも困ったような笑みを返して小さく頷く。
ダリルは……シリウス号やフローリアを見てまたどこか遠い目をしていたが、やがてかぶりを振って気を取り直すと、俺に話しかけてきた。
「じゃあテオドール、気を付けて」
「うん。ダリルもな。領主になるための勉強、大変だろうけど頑張ってくれよな」
そう答えると、ダリルは少し目を丸くする。
「ん?」
「……いやその。あれから色々話も聞いたけどさ、テオドールはうちの領民、嫌ってると思ってたから……」
ああ。あの時の話を聞いたのか。
「嫌いだよ。顔も合わせたくない奴も、確かにいる」
と、正直なところを答える。
「ただ……全員を責めようとも思ってない。例えば墓守の2人には関係のない話だし、ダリルがどういう領主になるかも、関係がない話だろ?」
「そう、かな」
「ああ。それに、母さんと俺とグレイスのことに他の誰かを立ち入らせて、外野に勝手な評価もさせたくないんだ」
母さんは誰にも文句を言わなかった。それは領民達にできることがないと知っていたから。家族や隣人を守ろうとするのが精一杯だと分かっていて、その弱さに理解を示していたからだ。だから俺も何も言わないし、何もしない。母さんの意志を尊重したいから。
「……難しいな」
「まあ、今の俺の状況じゃ、怖くて顔を合わせられないっていうのも分かるしな」
向こうが頭を下げるには時間が経ち過ぎてしまって、逆に俺のほうが力や立場を持ちすぎてしまったところがあるというか。
立場が強くなったから謝られても、そんな形だけのものなら聞きたくないしな。向こうだっていざ会いに行って許されなかったら処罰されるかも知れないということになれば。
そのうえでというのならば……それはやはり、俺に言う言葉でもないはずだ。
「もし連中が謝りたいって言うなら、それは俺にじゃなくて母さんに言ってあげてほしいって思うよ。俺だってあの時に、何かができたわけでもないしな」
俺がそう言うと、話を聞いていたジークムント老も瞑目する。ジークムント老達にも話はしている。今ダリルに聞かせた俺の気持ちも……ジークムント老やヴァレンティナは静かに聞いてくれて、最後に分かったと言ってくれたのだ。
「何もできなかったというのは、儂も含め……皆同じじゃな。テオドールが敢えて何も言わぬのであれば、儂もテオドールとパトリシアの気持ちを大切にしようと、そう思っておる」
ジークムント老の言葉に、頷く。
「だからさ。ダリルも次期領主だからって俺のことで気を揉む必要はないよ」
そう言うと、ダリルはまた少し目を丸くした後、かぶりを振って苦笑した。
「……ん。駄目だなあ、俺は。俺に何とかできないかなとか思っても、色々上手くいかないや。挙句、逆に励まされてるんじゃあな」
「いや、気持ちは受け取っておくし、嬉しいよ。それにダリルだって、父さんに付いて色々勉強してるんだろ?」
「うん。それは、やってる」
尋ねると、ダリルは俺を真っ直ぐ見て頷く。真剣な表情だ。このあたりはダリルの矜持が垣間見えるところだな。
「じゃあそれでいいさ。俺はお前を応援してるし、そこに他の連中をどう思ってるかは関係ないんだから」
そう答えると、ダリルは顔を上げて苦笑して頷いた。
「ああ、俺も頑張るよ。伯父上も、母上も頑張るって言ってるんだ。負けてられないしな」
「ん。そうだな」
ダリルと握手を交わしてふと、顔を向けるとみんなと視線が合う。グレイスは静かに頷きアシュレイは胸に手を当てて目を閉じる。
2人だけではなく、マルレーンもクラウディアもローズマリーも、みんな話の推移を見守っていたが、笑いかけると安心してくれたようだった。俺もみんなに頷き返し、続いて墓守の2人とも挨拶をする。
「テオドール様、お気を付けて」
「うん。2人もね。ああ、紹介しておく。母さんの家に宿っていた精霊の、フローリアだ」
フローリアを2人と引き合わせておく。
「ハロルドとシンシアね。いつも、私の周りを綺麗にしてくれてありがとう」
「は、はい」
2人はフローリアとの初対面に少し緊張していたようだが、その気さくさというか笑顔というかに、警戒心も薄れたらしい。
ハロルドが握手を求めるように手を出すと、フローリアが木の腕でその手を取る。続いてシンシアの手を握った。
「私も結界の中に引き込めるから。もし森で危ないことがあったら私のところまで逃げてきてね」
「わかりました」
うん。2人に関しては色々安心だな。
「では、父さん」
「うむ……。テオ、道中気を付けてな。次は――私がタームウィルズに行くことになるかも知れんが」
「はい。その時はお待ちしています」
ジークムント老と挨拶を交わしていた父さんとも、言葉を交わす。
次は父さんがタームウィルズへか。秋ということを考えると、父さんもタームウィルズに用事ができてくるわけだ。
「では、準備は良いでしょうか?」
「こちらは問題ないわ」
「同じく」
「よろしくお願いします、大使殿」
母さんの家の戸締りに火の始末の確認。水回りの掃除。シリウス号に乗り込む面々の点呼と、積み込んだ荷物など、諸々の確認を終えてから操船席に着いてみんなに最後の確認を取ると、艦橋のあちこちからみんなの返答があった。マルレーンも視線が合うとこくんと頷く。
では――ブロデリック侯爵領に向けて出発するとしよう。水晶板に映る父さんとキャスリン、ダリルの姿に見送られながら、シリウス号を上昇させてゆっくりと船を動かしていく。
「リサ様の家……来て良かったわね」
「ええ。素敵だったわ」
ステファニア姫とアドリアーナ姫が水晶板の景色を見て呟くように言う。そんなふうに名残惜しんでいる2人のところへ、グレイスが微笑を浮かべて、お茶を運んでいった。
「また来ましょう。この場所は私も気に入っているわ」
「いつ来ても綺麗な場所ですからね」
ローズマリーの言葉に、アシュレイが相槌を打つ。
「キノコ汁も美味かった」
「まあ……次は冬かな」
シーラの言葉に苦笑して頷く。シーラはいつも通りだが、それも気を使ってくれてのことだというのは分かるし。
穏やかに笑うイルムヒルトがリュートを奏でる中をシリウス号が進む。それにつれて湖畔の青と、母さんの家と墓所とが段々と遠ざかって小さくなっていく。
やがてそれも秋の森の中へと紛れ、紅葉に埋没するように見えなくなっていくのであった。
 




