326 秋の森
「こちら左舷後方よ。聞こえるかしら?」
「ええ、聞こえるわステフ」
艦橋の伝声管から聞こえてくるステファニア姫の声。返事をしているのはアドリアーナ姫である。船内を色々見て回りたいということなので、せっかくなので伝声管の動作確認をしてみますかと尋ねてみたのだ。その結果として、こうやってステファニア姫とアドリアーナ姫は伯爵領までの道中に、船内を回っているというわけである。
マルレーンはアドリアーナ姫と一緒に伝声管から聞こえてくる姉の声を聞いて、楽しそうににこにことしている。ローズマリーは時折そちらの様子に目をやって口元を羽扇で覆って澄ましているが……こちらも何となく楽しそうな雰囲気があるな。
ローズマリー、ヴァレンティナ、シャルロッテ、テフラは操船席の近くに座り、こちらの操船を見学中だ。時々交代して船の動かし方を実地で学びながら進んでいるわけである。
グレイス、アシュレイ、クラウディアは縫い物、アルフレッドとジークムント老、父さん、それからマルコムという面々はカードをしながらノーブルリーフの話や農地開拓の話をしたりと、思い思いに過ごしている。
そんなのんびりとした空気の中で、イルムヒルト達が穏やかな曲を奏でる中をシリウス号が進む。やがて、母さんの家が遠くの景色に見えてくる。
「見えてきました。あの一際大きな木です」
と言うと、みんなの視線が水晶板から見える正面の景色に集まる。
「ステフ、見えてきたわ。艦橋に戻ってこられる?」
「今行くわ」
というやり取りがあって、少ししてからステファニア姫がメルセディアと一緒に艦橋へ上がってくる。
ステファニア姫は母さんの家に目を奪われている様子だった。
「……本当、大きな木ね」
説明しなくても一目で分かる程度に背が高く幹も太い。母さんの家を横目に眺めながら湖畔のすぐ近くの開けた場所にシリウス号を停泊させれば到着である。
船体を降下させて停泊させたところで、まずは荷物を降ろし、母さんの家に運び込むことにした。荷物をシリウス号の甲板に出しながら父さんに尋ねる。
「父さんはどうなさいますか?」
「まずリサの墓参りに向かうのだろう? 私も段取りがあるので、その後に屋敷に戻らせてもらおうと思っているのだが」
と、父さんは俺の手にしている花束を見て言う。
「分かりました」
「姫殿下とブロデリック侯爵をお迎えする準備もしてあるが……うむ。この様子では私の屋敷よりもリサの家のほうが歓待に向いているやも知れんな」
「かも知れませんね。何か用意があるなら母さんの家で行いますか?」
ステファニア姫とアドリアーナ姫は母さんの家が見えてからこっち、かなりテンションが高いしな。
「ではこちらに料理を運ばせることにしよう」
「では、こちらはのんびりとさせてもらいます」
「うむ」
食事の支度をせず、みんなでのんびりと過ごさせてもらうか。
「私はガートナー伯爵の屋敷に宿泊する予定でおります。技術協力の話も上がっているので打ち合わせをしたいことがありまして」
と、マルコム。農地開拓と鉱山開発の話だな。
互いに技術協力をし、連携していこうという話になっているそうだ。ガートナー伯爵家とブロデリック侯爵家の仲は良好のようである。
両家は先代同士でも連携はしていたか。これは元通りになったというより、取引が真っ当になったと言うべきかも知れない。
甲板から荷物を降ろしていると、墓守のハロルドとシンシアが木立の間から姿を見せた。父さんから結婚式の日取りを聞いていたのだろう。俺と視線を合わせると2人が微笑んで挨拶をしてくる。
「こんにちは、テオドール様」
「ご無沙汰しております」
「ああ、2人とも久しぶり」
ハロルドとシンシアは母さんの墓だけでなく、家の周りの手入れも欠かさないようで。きちんと草刈りなどがなされているし、落ち葉や枝なども除けてくれている。
「いつも綺麗にしてくれていて助かるよ」
「ありがとうございます」
「私達のお仕事ですので」
兄妹は嬉しそうに笑みを浮かべる。
「それより、すごい船ですね」
森の中からシリウス号を目にしたか、ハロルドは目を丸くして、シンシアもこくこくと頷いている。
「ありがとう。今日は少しごたついているから、明日あたり船を案内するよ」
「本当ですか!?」
「墓守のお礼っていうことで」
と、答えると兄妹は表情を輝かせた。
荷物を持って母さんの家の根本まで来ると、母さんの家に来るのが初めてという面々は感心したように上を見上げた。
「これは――すごいわ。アルフレッドの言っていた通りね」
「本当……。素敵な家だわ」
と、ステファニア姫とアドリアーナ姫が目を輝かせている。こういうのが好きそうだと思っていたが、気に入ってくれて何よりではあるか。
「うん。上から見てもそうだったけど……間近で見るとすごいな、これは。テオ君から聞いていたけれど、来て良かった」
アルフレッドも嬉しそうに微笑んでいる。
「これが……パトリシアの理想の家というわけね。確かに、このあたりの雰囲気も賢者の学連の遊歩道に少し似ているわ」
ヴァレンティナは母さんの家を見上げて目を細める。賢者の学連で、ヴァレンティナと話をした時のことだな。
「良い場所よな。魔力が整えられていて、清浄な空気がある」
「このお家にいると、調子が良くなるの」
テフラとセラフィナにも好評なようだ。
「結界が張られているようですね」
「……うむ。些かもその効力に衰えが無いのは封印の巫女ゆえにというところか。地形も利用して建築の前の段階から幾重にも術式を敷いて、結界を補強しておるわけじゃな」
シャルロッテの言葉にジークムント老が頷く。
母さんの家の結界も契約魔法との組み合わせと連動により、俺やグレイス、父さんが招いた者だけが立ち入ることができるようになっているというわけだ。アシュレイの屋敷の地下にクラウディアが設置した結界と似ているな。
幹をぐるりと回るように配置された階段を登ると、扉の前に少し広い足場が作ってある。扉を開けて中に入る。手荷物を置いたらまずは墓参りである。
森の小道を抜けて、みんなで母さんの墓所に向かう。紅葉はもう少しすれば真っ盛りだと思うが……ちらほらと色付いてきていて、今でも中々に綺麗だ。
セラフィナとバロールとエクレールも木立の間を縫うように飛び回り、空中を追いかけっこしている。それをラヴィーネとアルファが追い掛けるように走る。
「離れすぎて迷子にならないようにね」
「うんっ」
と、セラフィナは初秋の森を満喫している様子である。それをマルレーンが楽しそうに眺めていた。
「いつ来てもここは素敵ですね」
「そうですね。私も好きです。もう少しすると紅葉がとても綺麗なんですよ」
アシュレイが森を見ながら言うと、グレイスが嬉しそうに頷く。
「夏に来た時も……緑と湖畔が綺麗だったものね」
クラウディアが穏やかに目を細める。
「キノコが採れる季節かな。明日はキノコ狩りなんていうのも良いかも知れない」
「それは良いわね。魔法薬の材料も集められそうだわ」
ローズマリーは割と乗り気だ。魔法薬か。そういえば母さんは、これは食べられないキノコだから取ってはダメ、などと言いながらも毒キノコの類も集めていた記憶があるのだが……。隠し部屋の大鍋を使って魔法薬などを調合していたということか。
「キノコ汁……」
と、シーラはキノコ料理に期待を寄せている様子である。シーラはいつも通りといった様子だ。イルムヒルトはそんなシーラを見て微笑んでいる。
やがて母さんの墓前に到着した。綺麗に手入れされた広場、その真ん中に鎮座する墓石。先程までの和気藹々とした空気も少し変わって、どこか温かさを残したまま静謐な空気になっていた。
「ただいま、母さん」
墓前に花束を置いて、静かに黙祷する。1人1人、静かに黙祷を捧げていく。
「お久しぶりです。あの日、船で見たリサ様に憧れ、王族や貴族のあるべき姿として今日まで生きてきました。どうか、お心安らかに。私も王族として精一杯努める所存です。これからのヴェルドガルを見守っていてくださいませ」
そう言ってステファニア姫は墓石に一礼し、黙祷を捧げる。
……そうか。ステファニア姫も母さんに会っているんだったな。
「うむ。ここは……良い場所じゃのう、パトリシア」
ジークムント老はそう言って、少し寂しそうに笑みを浮かべる。
「あなたの魔法が……テオドール君を私達のところへ連れてきてくれた。私達の記憶を蘇らせてくれたわ。ありがとう、パトリシア」
微笑んでから黙祷を捧げるヴァレンティナの言葉に、アドリアーナ姫とシャルロッテも感じ入っている部分があるようだ。
アドリアーナ姫にとっては預かっていた記憶封印を解除する魔法の片割れを残してくれた人物。シャルロッテにとっては封印の巫女の先代。母さんに対しては色々と抱いている想いがあるのだろう。
うん。こんなに多くの人が来てくれるというのは……嬉しいかな。グレイスとふと視線が合うと、彼女も穏やかに微笑みを返してくるのであった。




