292 開演前に
公演当日――。
まずはジルボルト侯爵領に迎えに行き、そのまま侯爵達を転移で連れて、儀式場へ戻ってきてからペレスフォード学舎へと向かった。
同行者はテフラとジルボルト侯爵、ベリンダ夫人。それからヴィネスドーラから侯爵領に戻ってきていた諜報部隊の面々だ。今回の功労者ということで招待した。
「こんにちは、テオドール様。お父様、お母様、お元気そうで何よりです」
「こんにちは」
「うむ。ロミーナも元気そうで何よりだ」
事前に話を聞いてペレスフォード学舎の学生寮で待っていたロミーナが、馬車から降りてきた両親の登場に嬉しそうな表情を浮かべて一礼をする。
「こんにちは、オフィーリア様、ロミーナ様」
「こんにちは、アシュレイ様」
オフィーリアも一緒だったようだ。彼女はかなり面倒見が良いのでロミーナとも良好な関係を築いているようである。アシュレイがオフィーリアとロミーナと笑顔で挨拶を交わしている。
「劇場の公演開始まではまだかなり時間がありますが、どうなさいますか? 予定が無ければ家で時間を潰されても構いませんよ」
イルムヒルト達の公演は夕方頃になって、というところだ。尋ねるとジルボルト侯爵が答える。
「それは有り難い。そうですな……。前にタームウィルズに来た時はあまりゆっくりできなかったので……まずは宿を取りに向かい、その後で馬車にて少し市内を見て回ってみることにします。その後にお伺いしても構いませんか?」
「分かりました。家人にはそう伝えておきます」
ジルボルト侯爵達は家族で過ごすと。相変わらず仲の良い家族である。
「護衛については問題ありません。何せこの顔触れですからな」
諜報部隊の乗った馬車を見渡して侯爵は苦笑する。
「確かに。では後ほど」
「はい。それでは」
ジルボルト侯爵達には入場券を渡し、劇場へ向かうことにした。招待客は今回も割と多いが、開演前には劇場に入ってもらう予定になっている。
さて。本番直前ということで劇場に様子を見に行ってみれば、広場には普段以上に人が集まっていた。とっくに入場券は売り切れているそうだが、当日来られなくなった者が入場券を払い戻しにくることもあるようで。払い戻しで空くかも知れない席を目当てに冒険者ギルドに来ているというところだろう。トラブルが起こらないように、騎士や兵士達も広場に詰めているようである。
劇場前でかき氷や綿あめ、炭酸飲料を売っている売店にも列ができているようで……。その列の誘導などもしているようだ。
騎士団長のミルドレッドも来ている。兵士達の監督役だろう。
今日の公演についてはメルヴィン王だけでなくエベルバート王にステファニア姫、アドリアーナ姫も劇場公演を観に来るわけだし、警備も厚くなろうというものだ。
ミルドレッドは俺達の乗っている馬車に気付くと向こうから近付いてきた。
「これは、大使殿」
と、声をかけてきたので馬車を降りて応対する。
「こんにちは、ミルドレッド卿。人が増えて随分と大変そうですね」
「そうですね。温泉街と劇場が話題になって、客が客を呼んでいるという状態のようです。今日は国賓がお見えになるので、私も現場の指揮を仰せつかりました」
「なるほど」
ミルドレッドは少し思案するような様子を見せると尋ねてくる。
「そういえば、炎熱城砦の件を耳にしました」
「……と仰いますと、やはり鏡の騎士についてでしょうか?」
ラザロについてはアルフレッドからメルヴィン王に伝えてもらうこととし、後日――つまり今日の公演が終わってからまとめて話し合うということになったのだが。メルヴィン王の側近ということで、ミルドレッドにはやはり話が伝わっているようだ。
「ええ。鏡の騎士ラザロは私の祖先にあたる人物なのです。あまり周囲には明かしてはいませんが」
「そうだったのですか」
それは少し驚いた。ローズマリーも知らない情報だったようで、羽扇で口元は隠しているが目を丸くしているようだ。ミルドレッドは俺達の反応に苦笑した。
「私は分家筋なので。私の出自についてそのあたりのことを詳らかにして、血筋で騎士団長についたなどと言われるのも癪ですからね」
なるほど。騎士団の中でもミルドレッドは頭一つ抜けた剣の才だと言われているが……それでも色々苦労したんだろうなという気はする。メルヴィン王はさすがに知っているのだろうが、ミルドレッドも望んでいないことなので殊更公言してもいないのだろう。
「後日、彼の剣を打ち直して炎熱城砦に持っていく予定なのですが……同行なさいますか?」
「……構わないのですか?」
「ええ。目途が立ったらなるべく早めにそちらに連絡するようにします。お互いの都合もつけやすくなるかと」
「分かりました。私も陛下にその旨具申してみます」
騎士団長でありメルヴィン王の側近でもあるということで、ミルドレッドも色々多忙だろうしな。
「では、僕達は劇場の中を見に行きますので」
「はい。今日の公演、楽しみにしております」
「ありがとうございます」
そう言ってミルドレッドと一旦別れ、関係者用の入口に馬車をつけてそこから劇場に入る。
「それじゃあ、練習してくる」
「また後でね、テオドール君」
「行ってきます」
シーラとイルムヒルト、それからシリルは舞台へ向かう。
「ふむ。ここもテオドールの作った場所であったな」
テフラは興味深そうに劇場の中を見回している。
「うん。まあ、開演までは間があるけど、点検がてら案内するよ」
俺は俺で設備の確認というか、劇場内に不具合が出ていないかチェックすることにしよう。テフラに設備をあれこれと説明しながらセラフィナと劇場内を回っていく。
「どこか負担のかかっている場所は?」
「んー。大丈夫かな?」
肩にセラフィナを乗せて劇場内を見て回る。もっとも、建築時からセラフィナにチェックしてもらっているのだし、作りはしっかりしている。特に問題は出ていないようだ。
劇場内部の売店では従業員がかき氷や綿菓子を作ったり、外の売店に運んだりと割と忙しそうにしていた。どうやら魔道具も問題なく動いているようである。
「従業員に制服が支給されたのね。統一感があると、雰囲気が出るわ」
クラウディアが感心したように言うと、マルレーンが頷く。
劇場の従業員には制服が支給されており、使用人風の衣装ではあるがお揃いの羽根飾りのついた帽子を身に付けている。このへんはメルヴィン王が請け負ってくれたのだが、さすがにセンスがいい。
従業員には若い者が目立つ。孤児院を卒院して、劇場や温泉街で働き始めた者が混ざっているからだ。
割と忙しそうだが、楽しそうにやっている。邪魔になってはいけないから舞台設備を確認してくることとしよう。
舞台袖に回ると、孤児院で知り合ったブレッド少年の姿があった。といっても俺がマティウスを名乗って変装している時に面識を得たので、当然向こうからの面識は無いのだけれど。
帽子の羽根飾りの色は白。見習いを示す色らしい。これはブレッドがまだ孤児院を出ていないからということだろう。
ブレッドは舞台装置操作係の少し後ろに控え、リハーサルの段取りと操作の手順を真剣な面持ちで見ていた。ちなみに舞台装置を操作する人物は魔術師隊からの出向で、アルフレッドの知り合いでもあるアニー嬢だ。
初めて王城セオレムに登城した際、一度顔を合わせたことのある人物だな。
舞台装置を動かすにあたっては魔力を持っていて魔道具の操作にも慣れている人物が良いだろうということで、魔術師隊から選ばれたそうだ。アルフレッドが信用できるということで口利きした可能性もあるが。
「これは大使様」
邪魔になってはいけないので、少し離れたところから様子を見ていると、一段落したところでこちらに気付いたアニーが挨拶をしてくる。
「こんにちは」
「こんにちは、大使様」
挨拶を返すとブレッドも頭を下げてきた。
「お疲れ様です。曲目が増えましたが、打ち合わせは順調ですか?」
言いながら舞台側に目をやる。5人揃って練習している最中のようだ。フォレストバード達が客席で拍手をしているのが見えた。ユスティアとドミニクを劇場に護衛してきたのだろう。
「はい。先程新しい曲も通してみました。段取りに関しては問題ないと思います」
アニーは眼鏡の位置を直しながら楽しそうに笑う。
「舞台装置に問題はありませんか?」
「快調ですよ。ああ、紹介します。こちら、孤児院から見習いとして来ております、ブレッド君です」
「は、初めまして大使様。ブレッドと言います。よろしくお願いします」
ブレッドは緊張した面持ちで直立姿勢を取る。こう、いつぞやの悪戯好きの面影がない。真面目に仕事をしているのが窺えるというか。
「ええ。よろしくお願いします」
「彼、なかなか筋が良いんですよ。孤児院に勉強を教えに行っているのですが、割合魔法の才能があるようで」
「そうなんですか」
「ええ。劇場で働くことを強く希望しているようなので、魔道具の操作盤について勉強してもらっています。練習では実際に操作してもらったりもしていますよ。熱意も本物みたいですし」
魔法の才能か。魔道具への魔力補充なども考えると確かに操作盤を扱う人物は魔力が多いほうが望ましい部分はあるな。
アニーからそんなふうに紹介を受けたブレッドはやや気恥ずかしそうに頬をかいて、言う。
「魔術師や、その人の設置してくれた魔道具に俺――僕達の命を守ってもらったことがあるんです」
それはデュオベリス教団の信徒が襲撃してきた時の話か。
「劇場は魔法や魔道具を使ってみんなを感動させられるっていうのが、すごいなって思って。それで見習いとして勉強したいってお願いしたんです」
……なるほど。
「期待してます。頑張ってください」
「はい! 俺、頑張ります!」
笑みを返すと、ブレッドは深々と頭を下げてきた。……舞台装置、及び操作盤に問題無しと。
後は開演を待つばかりだな。観客席側に移動してフォレストバード達に挨拶したらリハーサルを見せてもらうことにしよう。
「ああ言ってもらえると、嬉しいですね」
「……ん。そうだな」
グレイスと視線が合うと嬉しそうに微笑みかけてくる。……うん。劇場を作って良かったというか、なかなか励みになる。劇場の今後にも期待が持てそうだ。




