282 面影
「本当にありがとうございました、テオドール殿、そして皆様方」
「ステファニア殿下にもよろしくお伝えください」
「分かりました。確かにお伝えします」
騎士団長と魔術師に最敬礼でお礼の言葉を告げられてしまう。
「本当は領地を挙げて歓待したいところではあるのですが」
ベリンダ夫人が残念そうに言った。
「まだあちらでやることも多いので……そうですね。テフラ山の温泉も気になるので、手が空いたらまた遊びに来ます」
「是非お出でください。その時こそ歓迎の席を設けましょう」
「温泉なら山に良い場所がある。我が案内しよう」
ジルボルト侯爵とテフラが笑みを浮かべる。
「ええ。是非」
「何か問題があった場合、巫女が月女神に祈りを捧げれば、私達も察知できるわ。テフラを経由しても良いけれどね」
「分かりました」
クラウディアの言葉にジルボルト侯爵が頷く。テフラに通信機を渡してあるので、山で何か異常があればこちらも察知できるはずだ。
「テフラはどうする?」
「我は山を散策させてもらおう。少しのんびりしてからまたそちらへ遊びに行く」
「了解。連絡をくれれば儀式場に迎えに行くよ」
「うむ。ではな」
テフラは満足そうに頷くと、山へ向かって空を飛んでいった。
「では――僕達も戻ります」
「はい。劇場の招待を楽しみにしています」
ジルボルト侯爵とそんな挨拶をかわしてから、クラウディアの転移魔法で儀式場へ戻ってくる。
「――おかえり」
「うん、ただいま」
アルフレッド達は東屋で茶を飲んでいた。
ジークムント老はクラウディアに一瞬視線を送ったが、メルヴィン王にも同席してもらって話をすると伝えてあるので、事情を尋ねてはこなかった。
転移魔法などを知識として持っているだけにクラウディアの背景が気になるのだろうとは思う。所作が洗練されていて身分の高さが端々から伝わってくるし。
「説明が遅れてしまってすみません」
「ふむ。構わんよ。シルヴァトリアにも明かすのに慎重になるべきことというのは多いからのう。ヴェルドガルも歴史が長いだけに色々あるのであろう」
ジークムント老はそう言って苦笑した。
さて。今日の夜にでも父さん達を乗せた竜籠は到着するだろう。
その前にやるべきことは済ませておかないといけない。ジルボルト侯爵を送っていったら、次はマルレーンの使い魔契約だ。
「マルレーン。お待たせ」
と声をかけると、マルレーンは笑みを浮かべて隼を引き連れて、小走りに近付いてくる。
「マリー。触媒を」
「ええ」
魔法の鞄の中から儀式用の触媒やら銀の皿などを取り出してくる。
儀式場の祭壇を利用して契約儀式を進める。前にラヴィーネを召喚した時と違って、魔法生物の隼は最初から従順であることが分かっているから結界を構築する必要はない。銀の皿の上に水を満たし、天井の天球図を映しながら儀式を進める。
「マルレーン。手順は覚えてる?」
マルレーンは儀式細剣を手にして、こくんと頷く。祭壇を挟んで隼と向かい合い……水に血を垂らして。一度目を閉じて大きく息を吸ってから真っ直ぐに隼を見据え、彼女の口から澄んだ声で詠唱が紡がれた。
「ここに、我が名を示し、汝に……名を与え、悠久の盟約を結ばん」
詠唱は少しぎこちなかったが、文言はしっかりとしている。水鏡に指先を浸し、マルレーンが文言を続ける。
「我が名はマルレーン=ヴルカディル=フォブレスター。汝が名は……エクレール」
名を呼んだ瞬間、隼――エクレールが一声上げた。
うん。契約は成立したようだ。
エクレールは嬉しそうにマルレーンの周囲を飛び回り、それから挨拶をするように着地して、マルレーンに頭を垂れる。
「お疲れ様、マルレーン」
クラウディアが穏やかな表情でそう声をかけると、マルレーンはそちらに振り向き、嬉しそうに笑みを向けて、クラウディアに抱き着く。
「よろしくお願いしますね、エクレール」
グレイスが言う。エクレールはグレイスの前まで来ると、紳士が腰に手を当てて一礼するように翼を動かして一礼する。
そのままその場にいる者1人1人に軽く地面を飛び跳ねるように移動して回って挨拶する。俺の目の前にも来て一礼した。……かなり知性が高いように思えるな。
「よし。エクレールにもちゃんと名前がついたし……東屋に戻ってゆっくりしようか」
儀式に使った道具を回収しながらみんなに言うと、頷いて儀式場から出ていく。
「テオドール様」
と、そこでアシュレイが話しかけてきた。
「ん? どうかした?」
「今しがた、通信機に爺やから連絡がありました。内容についてはお知らせしておくべきことと思います」
ふむ。では、アシュレイの通信機を見せてもらうことにしよう。そこにはこうあった。
『エリオット様の婚約者がいらっしゃいます。同行したいとのことなのですが、よろしいでしょうか?』
……ああ。そうか。それは先代シルン男爵、つまりアシュレイの父親が健在だったころに持ち上がった話なのだろうが……後嗣であるはずだったのならエリオットの婚約者も決まっていたとしてもおかしくはない。
「エリオット兄様の婚約者の方はあまり爺やに詳しく聞かされていないし、私も記憶がおぼろげなのですが……。シルン男爵領の話をするなら、避けては通れないことではないかと」
「確かに。話をしないわけにはいかないだろうな」
ケンネルも婚約者だった、と過去形で言わないところを見る限り、その人物は現在も未婚なのだろう。
エリオットは船の事故で亡くなったと見られていたから、アシュレイには細かいところを伝えなかったのだろう。それは恐らく、ケンネルなりの思いやりだったのだろうが、エリオットが生きているとなれば無効というわけでもないのだろう。
「エリオットさん、少し良いでしょうか?」
と、当人にも事情を伝える。ケンネルがエリオットの婚約者を連れてきたいと尋ねてきていることを伝えると少し驚いたような反応を見せたが、すぐに表情を戻して言う。
「では……お連れするようにケンネルには伝えておいてくださいますか?」
「分かりました」
頷く。アシュレイは通信機でケンネルにその旨を連絡する。
「差し支えなければどういった方なのか、お聞かせ願えますか?」
「……そうですね。彼女はカミラと言います。退役した騎士のご令嬢でして……父が領内を移動している際、近隣の森で魔物に襲われたところをカミラの父に加勢してもらったと。恩人ということで宴席に招き、その席で意気投合してご令嬢を私の婚約者にすると話が纏まったそうなのです」
「そうだったのですか……」
となると領内の名士の娘と言ったところだろうか? その後どうなったのかは……エリオットは知らないそうだ。通信機のことをもっと早くに知らせていたらエリオットとしてもケンネルへの連絡と確認をしていたかも知れないが……。
もっとも、機密であるためにタームウィルズに戻るまで明かせない部分でもあったのだけれど。
「カミラのお父上とも面識があります。中央に嫌気が差して、騎士団を退役して地方に隠遁することにしたと……あまり権力に執着する人物ではないようですね」
と、エリオットが言う。
ふむ……。エリオットからの人物評を聞く限り……カミラの父親ともしっかり話をすれば男爵領については問題無さそうだが……。
向こうの家もアシュレイが領主を継いでいることは承知だろうし。となると、彼女を担ぎ出して引っ掻き回す者が出てこないように、きっちりと話を纏めてしまうのが良いだろう。
エリオットの今後の立場とも絡んでくるから、やはりメルヴィン王も交えての話ということになるかな。
「では、そのことも含めてメルヴィン陛下にお知らせしておきましょう」
「お手数おかけします」
そう言って、エリオットは静かに頭を下げる。
「カミラ嬢とも面識がおありなのですか?」
「ええ。幼い時分はよく一緒に遊んだりしました。彼女は私より2歳年上で……私としては婚約者と言うよりも姉のように思っていましたが……。そうですか。婚約も結婚もしていないと……。もし私のことで悲しませていたのであれば、それは申し訳なく思います」
そうか。エリオットより年上だったということなら、カミラから見た場合のエリオットは弟分などではなく、しっかりと異性の婚約者として認識していたのかも知れない。
エリオットが帰らず……そのまま6年か。
そのことが尾を引いていたとするなら、アシュレイがほとんどカミラを覚えていない理由も、ケンネルが話題に出さなかった理由も解る。
エリオットの面影をアシュレイに見てしまうから……カミラとしてもシルン男爵家からは距離を取っておきたかったのではないだろうか。
……そうだな。死睡の王に端を発していることであるなら、俺としても落ち着くべきところに落ち着いてほしい話だと、そう思う。




