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最終話 異界の魔術師へ

 どれほど――あれから、どれほどの時が流れただろうか。

 戦乱と混乱の渦の中に身を置いて。戦って、戦って。その果てが大破局だ。地は砕け、空は汚されて。沢山の命が消えていった。

 善人も、悪人も、魔物も精霊も。


 大切な人を、戦友を喪った時に。見知った風景が崩れた時に。今よりも最悪はないと思っていた現実は何度も打ち砕かれ、打ちのめされて。それでも尚、立ち上がり、戦い……そして異界へと望みを託した。それだけは納得がいく形で、クラウディアと共にやり遂げた。


 迷宮の――月の船の魔力の蓄えはもう残り僅か。

 異界を再び垣間見る事はもう叶わないだろう。やがて月の船と共に自分達の命運も尽きるのだ。


 それでもいい、と思う。今更死が怖くて狼狽えるような歳でもあるまい。


 変化したあちら側を夢想することが例え慰めなのだとしても。終わってしまった世界、終わり行く世界から、何かを生み出すことができたのならば。そう信じる事ができるならば。今までの旅は意味のないものではなかったのだと……そう思うことができる。


「――テオドール」


 名を――呼ばれて椅子の上で目を開く。椅子の上で微睡んでいたが、傍らにいたクラウディアが何故自分の名を呼んだのかは、すぐに分かった。

 不思議な魔力の高まりがあったのだ。

 強く、温かく、どこか懐かしいような、その、魔力。知っている。というよりも間違えるはずがない。これは、竜の杖と共に感じたことのある魔力の波長だった。


「お、おお……」


 声が漏れた。老いた手を、虚空に伸ばすその、先に。

 最初に小さな一点の光が生まれ、そこから渦を巻くように広がっていった。


「これは――」


 輝きが収まる。空間に鏡のように映し出されたものがある。それを目にした瞬間に、理解した。


「このような、事が」


 これを……奇跡と呼ばずして何と呼ぶべきか。

 少し形は変わっているが、竜杖を携える若い頃の私であった。浮かぶ竜の輪と。その後ろにいる……グレイス――大切な人の顔と、懐かしい顔触れと、見知らぬ者達と。ああ。ああ、そう――そうなのか。

 クラウディアもいる、な。成長しているということは――管理者の使命から解き放たれたという事。

 ……母の姿まで、そこにある、とは。あの翼――冥精とは驚きだな。


『繋がった。聞こえて――いるでしょうか?』


 少し緊張した面持ちと声で『私』が言う。


「――ああ。聞こえておるよ。どうやら、良い旅をしてきたようだな」


 できるだけ、冷静に答えたつもりだったが、少し声が震えたのは、致し方のないことだろう。傍らのクラウディアも、驚きの表情のままで私に寄り添う。


『――はい。良い旅をしています』


 彼は少しはにかんだように笑い、それから真剣な表情になって姿勢を正す。


『どうしても僕の――僕達みんなの恩人に、これまでの事、これからの事をどうしても伝えたくて、こうして最初に連絡をしました』


 その言葉に後ろに居並ぶ者達も頷き、ヴェルドガル式の敬礼を以って寄り添う私達を真っ直ぐに見てくる。


『ありがとう、ございます。貴方方のお陰で、僕達はこうしてここにいます。こうして一緒に、笑い合っていることができます。貴方方が望みを繋いでくれたお陰で、今日という日がある』


 そこで一旦言葉を区切り、大きく息を吸って。


『ルーンガルドと、月、魔界、冥府に住まう全ての者達を代表して、貴方方に最大限の感謝と敬意を』


 そう言って、深々と頭を下げる。


「ふ……はは、ふふ、ははは」

「――ああ。こんな、こんなに、嬉しい、ことはない、わ」


 傍らのクラウディアが涙声で言う。そう……。そうだな。愉快なものだ。こんなにも晴れやかな想いは、何年振りだろうか。私の頬も一筋、涙が伝っていく。


「……感謝と敬意というのならば、私の方こそだ。私が夢想した世界が今そこにあって。救われていたと知ることができた。意味があったと、胸を張ることができた。お前達は私達の希望そのものだ」


 良い旅だったと、彼はそう言った。だが、きっとそれは平坦な道ではなかっただろう。精緻な術式に裏打ちされた場に満ちる魔力と、鍛えられたその姿とが、それを物語っている。


 私のした事は……切っ掛けになったのかも知れないが、希望を繋いだのは……彼の。彼らの努力に他ならない。

 しかし、私の望んだ以上のものが結実して返ってくるとは、思いもよらなかった。


 私の言葉に、彼らは感じ入るように目を閉じる。困難だった日々を、戦いを、思い返しているのだろうな。

 やがて彼は再びこちらを見て口を開く。


『そして、これからの事ですが――』


 そう前置きをして、彼は彼の計画を語り出す。

 私がかつてそうしたように、前世の世界や私の世界の過去に干渉をする計画なのだと。上書きではなく自覚はできないが併記という形になるだろうと。そう彼は語った。


 なるほどな。同じ世界であるから理論上はそうなる、というわけか。だからもう一つの竜杖――竜輪があるわけだな。私もクラウディアも、思わず身を乗り出し、彼の計画に真剣に聞き入ってしまう。


「――希望となるどころか、私やクラウディアまで救うつもり、とはな」

『そうでなければ、恩を返したとは言えませんから』


 彼が竜杖や竜輪と共ににやりと笑う。私も楽しくなってにやりとした笑みを見せた。


「では――私達の事も、よろしく頼む」

「ありがとう。感謝するわ。私も頑張るから」

「くっく。私も、もうひと頑張りしなければならんようだな」


 拳を握り、余剰魔力を散らして、クラウディアと共に顔を見合わせて笑う。これまでの事を考えれば、いくらでも戦えよう。か細い希望を繋ぐためではなく、守るべき希望や大切な人達のために戦うことができるというのだから。もっとも――過去の私はいずれ統合されるまでは、この時のことも知覚や自覚はできまいが。それでも併記であるのならば、今この時の想いも、きっと無駄にはなるまい。

 彼は私達の反応に、穏やかに笑った。


『はい。良い旅になるように、こちらも力を尽くします』

「ああ。よろしく頼む」


 それから。まだ話をするだけの時間があるということで、彼のしてきた旅について、色々と聞かせてもらった。この場にいる者達の事。この場にはいないが幸せに暮らしている者達の事。


 シルヴァトリアに囚われていた頃から共に支え合った戦友……エリオットについても尋ねてみたが、今も元気にしているという。

 爵位と領地を貰ってシルン伯爵領――男爵領ではなく――の幼馴染と結婚し、子供までいるのだとか。


 子供達と言えば――この場にはいないので映像を見せてくれたのだが……。

 オリヴィア、ルフィナとアイオルト。エーデルワイスにロメリア、ヴィオレーネ。セレスティン、カトレア、アイリア、ローデウス……。9人も妻がいて、その間に一人一人子供までいるとはまた驚きだ。ステファニア王女にローズマリー王女、マルレーン王女とも、か。

 まあ……そうだな。私自身の出自を鑑みるならば、シルヴァトリアとの繋がりもあって周囲が捨て置かないという事情もあるのだろうし、実際フォレスタニア境界公という迷宮を守護する立場になっているようだ。英雄ということなのだろう。


 あのローズマリー王女が隣にいるというのは数奇なものだが、皆とも仲睦まじい様子である。孫夫婦を見ているようで私としては微笑ましいことだ。成長したあちら側の自分とその娘――カトレアを見てクラウディアは目を白黒させたり頬を赤らめたりしていたが。


 孫、と言えば、冥精となった母だけでなく、祖父達……七家の長老達も皆も元気だということだ。


 迷宮の現状や魔界の事、冥府での経緯など……思いもよらない、長い長い旅だったわけだ。

 そういう楽しい話も、やがて終わりが近付いてくる。私達に話をしに来るために確保していた魔力分をそろそろ使い切るということだ。


「そうか。愉快な時間というのは、あっという間に過ぎてしまうものだな。名残惜しいことではあるが、同時にこれからの事が楽しみでもある」

『はい。また――いずれお会いできる日を楽しみにしています。と言っても、貴方方にとってはこれから先の話ではあれど、過去の出来事になってしまうかも知れませんが』

『難解なものですね』

「ふふ、本当に、ね」


 あちらのグレイスが目を細め、こちらのクラウディアと笑い合った。


『それでは――またいずれ』

「うむ。また会おう」


 そうして。映し出されていた景色が、一点に集束していき、光の粒となって、消える。後に残るのは静寂だ。

 元通りのぼんやりとした青白い魔法の灯かりに照らされた暗い部屋と、私達だけになる。


 けれど。温かく、優しい魔力だけは場に満ちて、残っている。ここからは……私達が過去に繋がるまでの……そう。狭間とも呼ぶべき時間か。あちらでは干渉のために色々とすることがあるのだろうが、私達の主観ではそう時間もかかるまい。

 それを理解しているのだろう。寄り添うクラウディアが静かに、しかし喜びを噛み締めるように言葉を紡ぐ。


「……行ってしまった、わね」

「そうだな。許されるならば、もっと彼らと話をしていたかったところではあるが」

「きっと、また会えるわ」

「そうだな。約束を交わしたからな」


 私達の旅の先にて。きっとまた会うことができる。


「そして、私とお前も。また会うとしよう」

「ええ。必ず。約束するわ」


 クラウディアと、そっと手を重ねる。

 そう。必ず出会う。彼の旅の記憶が導き、私の意志でそうして見せよう。

 そして。そしていつか。彼に再会し「良い旅をしている」と。感謝と共に伝えるのだ。


 この、狭間の時の終わりまで。私達は優しい魔力と喜びの中で寄り添い合っていたのであった。


長い間のご愛読と応援、本当にありがとうございます。

改めまして深い感謝を申し上げます。


                   小野崎えいじ

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― 新着の感想 ―
[一言] 長い間お疲れさまでした。 素晴らしい小説をありがとう。
[気になる点] 番外編の最終話ではテオドールとクラウディア以外亡くなってしまったのでしょうか?
[良い点] まずはこれほどの大作を書き上げてくださったことに感謝を。約2ヶ月間毎日少しずつ読ませていただいておりました。心踊る戦闘描写に心温まる日常描写と、大変素晴らしい小説をありがとうございます。 …
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