番外2014 願うが故に
「ベシュメルクも、人々の表情や街の雰囲気がかなり明るくなっていて――良いですね、これは。こんな日が来る事を、かつては夢に見ていました」
寝息を立てるアイリアをそっと撫でながらもエレナは遠い目をしながら微笑む。
「そうさな。子孫に重い使命を課す必要性は薄くなり、平和もやってきた。妾としてもこれほど喜ばしいことはない」
「はい。素晴らしいことです」
パルテニアラと静かに頷き合うエレナである。迷宮の奥底でティエーラとジオグランタ、ヴィンクルやユイを始めとした守護者達に防御を委ねられる形だからな。人の一族に任せるより確実性や安全性は高いと言えるだろう。
「軍も縮小されておりますからな。屯田兵の増員と……それに冒険者に人手が流れているので国内の治安は安定していると言えますな」
そうマルブランシュが教えてくれる。なるほど。元々ベシュメルクは通常の騎士団や兵よりも呪法を利用した戦力に重きを置いていた印象だからな。
「軍部を縮小してあぶれた人員が盗賊に身を窶さないよう、調整をしながら進めてきた、というわけですね」
「その通りです。国が開かれたことで冒険者ギルドの立場が強くなったことも追い風になりましたね」
と、ガブリエラが微笑む。ザナエルクの時代は色々と制限が大きかった。そこからの態勢変化と軟着陸が上手く行っているというのは良いことだろう。
そうやってガブリエラやクェンティン達と共にベシュメルクのあちこちをフロートポッドや水晶板で見せてもらいながらも、子供達のお披露目をしていったのであった。
魔王国にも足を運んだが、こちらも色々な種族の面々に温かく歓迎してもらえた。
俺達の先だっての戦い、ティールの水路レース等々……色んな所で関わりがあったからな。魔王国からのルーンガルドの好感度はかなり高かったりするのだ。
メギアストラ女王やルベレンシアとの繋がりで魔界のドラゴン達とも交流があるし、ファンゴノイド族、ディアボロス族にパペティア族といった面々。それに水路レースでの関わりからケイブオッターやシュリンプル族が特に歓迎してくれているという印象だ。
「可愛らしいことです。オリヴィア様達がお生まれになった時のことを思い出しますな」
「庇護欲をそそられる姿ですね。素晴らしい」
ボルケオールが言うと、パペティア族の面々もそんな風に言って頷く。
「ふっふ。赤子の可愛らしさというのは種族を超えて伝わるというのはあるのかも知れんな」
メギアストラ女王の言葉に「確かに」と同意する魔界の面々である。そんな調子で盛り上がりを見せていた魔王国の面々だ。そんな様子をエレナも目を細めて嬉しそうに見ていたりする。
魔王国の情勢に関してはアイリアが生まれる前に近況報告を受けた通りで、基本的には安定していて平和なようだ。
「魔界そのものに関しても平常運転ね。変異点も普通に点在している、ということではあるけれど」
「まあ、魔王国内の変異点についてはこちらも所在を確認しているし、監視の目もついて管理されている。国内からいきなり変異点由来の異変が生じるということもあるまいが」
ジオグランタとメギアストラ女王は魔王国内の情勢についてそんな風に教えてくれた。
「変異点の位置が分かっているというのは良いですね」
「地下にあるものも地表に影響が出るから場所は分かるしな」
なるほどな。未発見の変異点でもそうやって発見できる、と。後は掘り起こして周囲を囲って管理すればいいわけだしな。
辺境の管理が及ばない変異点については――まあ、辺境故に騒動が起こるならば備える時間もある。魔界情勢が安定しているというのはいいことだろう。
そうやってベシュメルクや魔王国でのお披露目も終わって、俺達は日常へと戻ってきたのであった。
子供達の成長を見ながらアシュレイ達の復調を循環錬気でサポートするというのは変わらない。その間に子供達の顔を見に来てくれた客を迎えたり、執務をしたりといった具合だ。
その中に並行世界干渉の為の仕事が混ざってくるといった具合だな。
ゲート設備用の魔力充填、それに設備の動作チェック等々。実際に干渉を始める前の準備や確認作業は色々ある。過去に――というよりも並行世界の俺が成功させていて、その技術や知識もあるとはいえ、高度で複雑な術式が用いられているのは間違いない。慎重に点検し、エラーやミスを防ぐためにシミュレーションを重ねるのは当然のことと言えるだろう。
というわけで迷宮核やラストガーディアンの間で今日も作業を行っていく。迷宮核の作り出したチェック機構やシミュレーターで何度も走査を重ねて、精度や効率を上げていく。性能が高いに越したことはないしな。
「テオドール自身の縁を頼りに繋ぐ、という事だったわね」
「うん。そういう縁がないと繋ぐのが難しくなるからね。逆に言うなら、一番繋ぎやすくなるそこが俺と彼の接点とも言えるんだけど――」
作業が一段落したところで休憩を挟む。お茶を飲みながらクラウディアの質問に答え、並行世界干渉の方法や具体的手順等々をみんなにも解説していく。
「よくあれ程の複雑な術式を組み上げたものね……」
と、ローズマリーは俺の作業風景を思い返したのか、少し笑って言った。
「迷宮の力を借りたと言っても、一から術式を開発したのは大変だったと思うよ。実際、相当苦労した記憶があるから」
あちらでの損害は人的なものだけではなかったからな。人だけでなく魔物も精霊も。地上だけに留まらず海も空も。そんな規模での破滅――破局だった。イシュトルムが暗躍していたから、というのは……今更言うまでもない。
だからだ。歴史を変える手段を模索し、理論を構築したのは。長年をかけて研究し並行世界への干渉は可能であっても自分達の歴史は変えられないと知って――それでも尚、折れなかった。
隣り合う世界であっても、救われて欲しいというのは虚しい代償行為に過ぎないかも知れないと……そう悩むこともあった。それでもだ。見知った人達が住む世界が破滅を迎えるよりは良いと研究を続けた。知ってしまったから。そこにあって救えるかも知れないと分かったから。
――もしかしたら並行世界の俺が、同じように干渉をし返してくれるかも知れない。
そんなことは……あちらの俺は本気で思ったわけではない。願望と呼ぶほどにもならないささやかな夢想で、頭をよぎるぐらいはあったか。受け継がれた記憶でも一笑に付してしまうような想いは……見つけるのに時間がかかる程度には、ほんの小さな欠片のようなものでしかなかった。
だけれど。だからこそ、そのことで恩を返したいと思う。並行世界の俺が微かにそう願ったからではなく、俺がそう思うからだ。
上書き、というよりは自覚されることのない併記というのが近い。それによって最初の並行世界の俺と2周目となる俺の自己連続性の保持に関しても統合によって担保されることになるが――そこは術式として形にし、自分のものとして記憶が戻り統合される時期を待つというのがいいだろう。
俺自身も含め、大多数の者にとって、戦乱と破局で自分や大切な人が死していくことなど一夜で忘れる悪夢ですら見たくはないだろう。
全てを伝える方がいいのかというと、可能性を狭めたくないからと、並行世界の俺も今の俺に全てを事細かく伝えたわけではないのだし、な。