番外1988裏 ルーンガルドの空に4
「そこですね……!」
グレイスが漆黒の闘気を放って、迫ってくる分体達を吹き飛ばす。相性はいい。吸血鬼としての特性を宿した闘気は、分体達の力を物理的なところ以外での特性で削ぐことができるからだ。
交戦した分体達はグレイスの特性を早々に理解して情報共有したのか、深入りはしてこなくなった。ただ、他の援護に直接的に回れない程度に遠巻きにしながらも散発的なちょっかいを出してくる。結界を維持する者から護衛が離れた場合に、いつでも襲撃できるようにするためだろう。
仮に、結界が解ければ作戦も破綻する。追跡者本体は今でこそテオドールを仕留めにかかっているが、結界が解けたら豊富な元素、多彩な生物や精霊を取り込み、力を増大させながらというテオドールと交戦を続けるだろう。外のリソースを、絶対に追跡者に与えるわけにはいかない。だから、結界こそが最重要な防衛目標であり、テオドールが攻撃に回っている以上、それを守り続けるということに否やはない。他のパーティーメンバーもそれは十全に理解している。焦ってはならない。
戦場を俯瞰して観てみれば、分体達との戦いの趨勢は有利とも不利とも言えない。
押し留めて拮抗しているし一部を封印してもいるが、個々を完全に滅ぼすにはもっと大技が必要だが、それをするにはまだ早い。持久戦、耐久戦を覚悟して臨まねばならない。
翻って、例えば本体でなくとも分体の大駒を撃ち滅ぼすことができれば、戦場全体の天秤は大きくこちら側に傾くことになる。逆もまた然りだ。グレイスは分体達の動きから注意を逸らすことなく、テオドールや、もう一つの苛烈な様相を呈する戦いの行方を見守るのであった。
――空間に波紋を広げながら空を駆ける銀の獣。その姿は幻想的と言えるものだった。追跡者が取り込んでいなかったのなら、その強さと相まってさぞかし美しい幻獣だったのだろうと、オーレリアは戦いの中でふと思う。
そんな思考がふと頭をよぎる中で、オーレリアが銀獣と空を舞う。
銀の獣の肩と尾から伸びるヴェールが、青白い残光だけを軌跡として残しながら、凄まじい速度で振るわれ、オーレリアの輝く細剣と無数の金属音を奏でた。
舞う。舞う。結界の中の大空を女王と銀の獣とが舞踏を舞うように切り結び、弾かれ、回転しては飛翔し、斬撃と斬撃。光弾と魔弾。爪牙と障壁が激突して火花を散らす。
首目掛けて切り払われるヴェールをやり過ごし、オーレリアの閃光が銀獣の目から脳へと貫くも、意に介さない。止まらずに最短距離を踏み込んでくるが、発動しようとしていた魔力の流れ――何らかの術の阻害はできている。
頭部を破壊したとしても動きを止めることはできないが、術を阻害することはできると理解した。それは分体自身が術式を制御しているということに他ならない。外見だけでなく、内部構造までも生物的な再現をしているということも。
それは、分体は本体から分かたれているが、ある程度分体それぞれの判断で行動しているということでもある。本体もまたテオドールとの戦いの中に身を投じていて、直接制御するほどの余力がないからかも知れない。
いずれにせよ銀獣は他の分体達と比しても頭一つ二つ抜けて強力な個体だ。
既に事は鳥人族の島やコルゴティオ族を守るばかりではなく、ルーンガルドや月、そしてそこに住まう生命や精霊を守るための戦いでもある。
テオドールと共に肩を並べて戦い、強力な分体を引き受けることができるというのは、月の民の女王として願ってもない程の戦場と言えた。
オーレリアはそんな想いを胸に全身に魔力を漲らせると、更に速度を上げて銀獣に切り込んでいく。銀獣もオーレリアの纏う空気が変わったのを察知したかのように咆哮して応じた。
激突。両者の斬撃は影さえ留めない程の速度だ。
残光と残光。両者の間、空間に散る火花だけが切り結ぶ二人の攻防を物語る。
幾重にも火花が弾け、魔力の閃光と弾丸が至近から互いに向かって放たれる。当たらない。オーレリアは被弾を許さない。防御のための技量も卓越しているが、攻撃を切って落とし、障壁で弾く反応までの速度もまた、目を見張るものがあった。
その反応速度には魔力反応を感知しての先読みが多分に入っているが――銀獣もまた、戦いの中で手の内を読まれていると感じたのか、魔力反応自体をフェイントに使い始めた。敢えて魔力を集中させてそちらに意識を向けさせた上、魔力をあまり込めない代わりに身体能力と動作で加速させたヴェールの一撃を逆方向から身体に隠して放つ。
「やる……!」
身体を掠めていく一撃をぎりぎり皮一枚で避け、オーレリアが笑う。銀の獣もまた、愉快そうに目を細めた。それを笑った、とオーレリアは感じた。
果たして、分体が笑う、というのは誰の意思か。
銀の獣がオーレリアに対抗しようと自身の身体の構造や魔力を変化させるごとに、その身体能力や攻撃の鋭さは増している。魔力反応も混ざり合ったようなものから、もっと純粋なそれへ。分体の中で一際強力な個体として繰り出してきた銀獣は、追跡者にとっても大駒であるのだろう。
つまり、本来の形からして完成された、強力無比な生き物なのだ。オーレリアに対向すべく、純粋なそれに構造を変化させていき、ある程度の自意識も持っているというのであれば、内面的な性質も似通ってくるはずだ。
とはいえ、分体は分体。普通の生命とは違うということだけは念頭に置いておかなければならない。しかし。
「……そうね。避けられない戦いであるならば、意志のない傀儡と戦うよりは意義を見出せます、か!」
真正面。突っ込んできた銀獣を、細剣で跳ね上げて弾き返し、一旦距離が空いたところでお互いの出方を窺うかのように間が空いた。
オーレリアは決闘相手にそうするように、細剣を目の前に立てて決闘の儀礼を見せる。
追跡者に取り込まれる前の――幻獣に敬意を払いたくなったのだ。
それを受けた銀の獣もまた、すぐには攻撃に移らない。高く高く、遠吠えのような咆哮を上げた。どこまでも響いていくような伸びやかな声が、空気を揺るがせる。
オーレリアが魔力を高めながら構えて笑う。長い咆哮を終えた銀の獣も四肢に、ヴェールに、余剰魔力の火花を散らして目を細めた。
どちらからともなく、示し合わせたように前に出る。瞬き一つの間に間合いを潰して激突。衝撃が弾け、そのままの間合いで攻防が繰り広げられた。伸縮自在のヴェールが薙ぎ払うような斬撃を見舞い、オーレリアも凄まじい速度で細剣を振るう。
弾き、逸らし、受け止めて切り込んでくる一撃を跳ね返して反撃を繰り出す。刃圏と刃圏。魔力と魔力の激突。
首を刎ねるような角度で叩き込んできたヴェールを、輝く細剣で弾きながら踏み込んで斬撃を見舞う。それまでとは手応えが異なる。前足の付け根あたりを斬りつけたはずが魔力の障壁を展開してしっかりと防御していた。やはり、性質や内面が先程までとは異なっている。本来ならば、そんな魔力の無駄遣いをするぐらいなら捨て身で反撃をするからだ。
オーレリアの斬撃に合わせるように大上段――伸びた尾のヴェールが直上から振り下ろされ、回避するであろう空間を埋めるように銀の獣から放たれた魔力が空間に展開した。飛翔する時と似たような波紋がいくつも生じる。
空間に展開した波紋の正体は不明。ルーンガルドの魔法とは違う系統の魔法。思考による言語化よりも早く直感に従ってオーレリアは障壁を展開する。波紋が空間を埋めるそちらの方向には回避せず、その場に留まってヴェールを受け止める。
一瞬遅れて、波紋が爆発を起こした。オーレリアの強固な障壁を打ち破るには至らない。
銀の獣はその対応で釘付けにしたまま身体ごと押し込み、そのままの距離で3本のヴェールによる斬撃と刺突を見舞ってくる。
それを予期していたというように、オーレリアは空いた手にも光の剣を形成させた。
銀獣本体は障壁で抑え、手数には手数で対向するというように二刀流を以ってヴェールと斬撃を交わす。二刀流になったからと、その技量に陰りは見られない。細剣も光剣も、攻防に臨機応変、変幻自在な動きを見せる。
後ろに退く間合いはない。立て続けに波紋が展開し、その動きを牽制するように爆破が立て続けに起こっているからだ。しかし障壁を砕いて尚、オーレリアは重ねるように障壁を生み出して受ける。
火の出るような間合いでの攻防。凄まじい密度での攻防の応酬。
攻め手と守り手が目まぐるしく入れ替わり、或る時は攻防一体の技を互いに繰り出してお互いの首を、手足を、心臓を狩るべく技を、術式を繰り出す。
当たらない。当たらない。互いの攻撃を受け止め、躱し、いなし、防壁で守って反撃を繰り出せば更にカウンターを見舞う。
互いが互いの命を奪うために洗練された動きの極致。寸前まで首や四肢のあった空間を斬撃が薙ぎ、目を、額を、刺突で穿とうと空を引き裂く。
割って入ろうとした分体もいたが、そうして不用意に近付いたものは他ならない銀の獣のヴェールによって切り裂かれる。邪魔をするなという意思表示でありながらも、諸共にオーレリアへの斬撃にも繋がっている。
形成され、再現された銀の獣本来の気性やオーレリアを撃破するために与えられた自意識がそうさせるのだ。かつてはさぞかし誇り高き幻獣であったのだろう。
だが――苛烈を極める攻防の中にあって、惜しいものだとオーレリアは思う。それは一体、何のための戦いなのか。守るべきものは無くしてしまっているのに。
幻獣が美しく、強く、誇り高くあろうとすればするほど、今の在り方が悲しいものだと感じられた。
だから、守らねばならないものが背後にある自分が、負けるわけにはいかない。
その身の内側で練っていた魔力が爆発的に広がる。眩い白光を放つ双剣を十文字に交差させて、至近から巨大な斬撃波を叩きつけていた。
銀獣は咄嗟にヴェールを交差させて受けるが――激突によって爆発が生じてその巨体が弾かれるように、後方へと押し出される。
爆発で生じた煙の中に、煌めきがあった。オーレリアの魔力の輝きだ。
後ろに退かされた銀獣はそれを見据えながら空中で踏み止まり、臨戦態勢を整えながらも唸り声をあげ、自身も内で練っていた魔力を解放する。両肩から伸びたヴェールが火花を散らし、凄まじい魔力が集中していく。ここが勝負所。
オーレリアに魔力量で一度水をあけられれば、耐久性を盾にしても逆転の目は低い。両者共に、膨大な魔力が集束していく。
「――あなたの旅も、終わりにしましょう」
オーレリアの声と共に。双方が動く。双剣の輝きを。咆哮の残響と青白い光を軌跡として残しながらも踏み込んで両者の一撃がすれ違いざまに交錯する。
激突の刹那。周囲を白々と照らすほどの爆発的な輝きが広がった。オーレリアも銀の獣も、双剣とヴェールを振り抜いた体勢のままで動かない。
オーレリアの左の肩口が裂けて血がしぶき、銀の獣が目を細める。笑っていた。
――僅かに遅れて銀の獣のヴェールが断ち切られ、その身体が十字にずれる。
オーレリアの斬撃が交差した、その一点に煌めきがあった。十字の斬撃と共に、集束させた魔力のありったけを瞬間的に叩き込み、術式と共にそこに残してきたのだ。内側から、膨れ上がるように白光が広がる。月の女王の敵を撃ち滅ぼす、浄化の光だ。凄まじい規模の光球となって、内側にあるものを焼き尽くす。
その中にあって。それでも銀の獣は最後まで勝者を賞賛するように、或いは悔いはないというように笑っていた。