番外1988裏 ルーンガルドの空に2
「さて――では、行くとするか」
専用装備――腕輪の感覚を確かめながらもオズグリーヴが静かに言う。その周囲に、爆発するような勢いで一気に煙が広がった。一気に広がった煙が、その形を変える。
自分自身。コルゴティオ族。他の氏族長達や月の武官。そういった者達を模すように煙が姿を変えて、空を飛翔していく。
それを目にした分体達は厄介な能力を持っていると判断したのか、オズグリーヴに向かってくる。
それはそうだ。分体達は捕食の為の捕獲を目的としているのだから。分体を放っただけ力を分散させて消費している。外れを掴まされるために戦闘をさせられては意味がない。
それを理解した上で、オズグリーヴは敢えて分かりやすく能力を使ってみせた。自身に引き付けるために。
結局のところ、追跡者の軍勢と言うべきものが本体と分体という関係性である以上、本体そのものを仕留めるまで戦いは続く。であれば、自分達のすべきことは分体を引き付け、時間稼ぎをすることだ。
他方、追跡者本体としては目下最大の強敵であり最高の獲物と見なしたテオドールに集中している。他の者達に加勢に来させないように。あわよくば無力化して捕食できるようにと動いている。
だからこそ互いに分散した相手と戦う形。広域で戦ってはいるが、本体と分体である以上、戦場にいる者達全員で追跡者を削っているとも言えるのだから。
オズグリーヴは手の動きで煙の軍勢を操り、迫る分体達を迎え撃つ。分体達は構わず煙の偽物に突撃を仕掛けて――あっさりと霧散させるようにして突き抜けてきた。そのまま咆哮を上げながらもオズグリーヴ本体に迫る。
が――。
背後から再結集した煙が変形。槍衾となって四方八方から分体達を空中に縫い留めていた。オズグリーヴが牙を剥くような笑みを浮かべる。
煙兵は不定形でオズグリーヴが健在な限り不滅という……分体達に似た性質がある。が、霧散も結集も自由自在という点は大きく違う。必要に応じて煙となって素通しし、必要に応じて結集して実体を持たせることで攻撃に転ずる。オズグリーヴの周囲に迂闊に飛び込むことは槍衾の中に飛び込むのに等しい。
だが、それだけでは本来不定形な分体達にダメージはない。
はずだった。
「動きを止めたわね」
そうやって磔にされて身動きを止められた分体達に、エスナトゥーラやオルディアの魔力が叩き込まれる。
不死性を持つ分体達が苦悶の声を上げた。酸でも浴びせられたかのように身悶えをさせる。その身体から魔力が収奪され、結晶が抜き出された。身体が泡立ち、別の性質、形状へと変化する事でそれ以上の影響を遮断。不定形な姿となりながら槍衾から抜け出していくことで、結晶は小さなものに留まる。
「性質の変化――。中々厄介なことですね」
「こちらも性質変化で軽減はされたけれど、私の能力は十分に有効なようね。お互い、致命的とまではいかないけれど相性が良いようね」
手元に結晶を浮かばせるオルディアと、不敵な笑みを浮かべるエスナトゥーラ。
能力的に不死性を無視できる二人がオフェンスに回る形で前に出て、それを支援するようにオズグリーヴが二人の偽物を更に作り出す。
専用装備の錫杖と鞭を携え、偽物と重なるように身体をシャッフルさせながら、二人が戦場の空を舞った。
コルゴティオ族の放つ光弾が分体を捉える。互いに高速飛行し、旋回しながらの機動射撃戦はコルゴティオ族の戦闘機形態もあって、さながらドッグファイトの様相だ。コルゴティオ族の速度や機動が分体達に対して、完全な優位に立っているわけではない。これまで逃げ延びてきたのは総力を結集して魔力を引き出してきたからであり、個々人の魔力では出せる速度にも限界はある。結局は追いつかれていることから瞬間的な速度は分があっても持久力では追跡者が勝るからだ。
だが、シリウス号から音響砲の支援や、オズグリーヴの作り出す偽者、隠形符や形代の術といった技術がそこに加われば話は変わる。
東にある国の技術なのだと、テオドールは言っていた。札に込められた魔法で持つ者の存在を隠したり、魔法的な結びつきを作ってペアリングしてやることで身代わりを離れた場所に作り出すことができる、のだとか。
形代の術の場合、本来は髪や爪といった、彼らに備わる身体の一部をペアリングに使う。しかしコルゴティオ族は肉体を持たないため、テオドールとエレナが簡易呪法なる技術で結びつきを作ってくれた。
それとオズグリーヴの煙の術を組み合わせることによって――追跡者の感知能力すらも欺き、本物の魔力反応を消し、煙で作られた偽者を本物と見せかけることができる。
つまりは、視覚的には区別がつかず、魔力による感知は役に立たない。そこにいるはずの者がおらず、いないはずの者がいる。
煙で作られた偽者と身体を重ねて位置を入れ替え、編隊を組んでの一斉射撃。つかず離れずの一撃離脱。接近された場合の防壁展開を兼ねた斬撃。
翻弄している、という感覚があった。あの捕食者が、こちらの動きを捉えることができない。光弾が。雷が閃き。爆発が断続的に起こる。皆の弾幕で、分体の力が削られていくのが分かる。
自分達の手札には今まで無かった戦術。そしてその組み合わせ。テオドールは準備の時間も情報も足りないから、手元にある物での即席の対策と言っていたが、それでこれだというのならすさまじいものだと、彼らは思う。
だが――まだこれでは終わるまいという予感、確信めいたものも同時にあった。それは長年に渡って追跡者と戦ってきたからこそ感じられるものだ。
分体達が弾幕と着弾の爆発に飲み込まれて、爆風が広がる。その中で――。
『散開!』
直感に従って、コルゴティオ族のリーダーが火花を散らして叫ぶ。爆煙の中で魔力が膨れ上がるのと、一帯が空間ごと氷漬けになるのがほぼ同時。寸前までコルゴティオ族がいた空間を、瞬間的に氷の蔦のようなもので凍て付かせてきた。その分体からの魔力反応には、覚えがあった。
『我らの元素魔法の応用か!』
酸素の元素魔法で冷気を操った結果だ。分体でも相当な魔力の出力を持っている。
或いは――マジックスレイブのように、端末となって本体と繋がった術行使が可能なのかも知れないが。
いずれにせよ、ルーンガルドに来たばかりであろうと、元素を保有しておらずとも空気中の他の元素から術を行使することができる、という事になる。
炭素や窒素による治癒の術は厄介ではあるが……この場合そこまで重要ではあるまい。
元々耐久力が抜きんでているからそれを倒そうというのであれば、元素魔法による治癒など追いつかない程の規模の破壊の術が必要になるだろうし、何より同格以上の相手と戦った際に魔力が生命線であろうというのはコルゴティオ族と同じだからだ。
不死性と捨て身で向かってくる分体達が、自分に向かって治癒の術を行う意味も、あまりない。だから――結界に閉ざされたこの場で、警戒すべきは、酸素の元素魔法による範囲攻撃だ。低温に強い耐性を持つ追跡者にとってはリスク無く扱える術。
物理的な攻撃手段にも障壁にも成りうるし、対象の捕縛にも繋がる。厄介な攻撃と言えた。
だが。
自分達の手札を使ってくるというのならば。見える。見切れる。
『互いを支援できる距離まで散開! 範囲攻撃とその前兆を見逃すな!』
『おおっ!』
リーダーの指示に、荒々しく火花を散らして応じるコルゴティオ族。残光を残しながら広がって、コルゴティオ族達だけでなく、戦場で戦う他の仲間達が捕らえられた際でも氷を砕き、分体そのものに攻撃を加えられるような布陣に切り替わる。
かといって消極的な戦い方は誰一人していない。仲間がいるのならそれを信じるだけだ。コルゴティオ族が運んできた戦い。
今自分達こそが奮戦せずして、ルーンガルドで迎えてくれた者達に顔向けできるものか。
元素魔法の発動を感知した瞬間に四方八方から光弾が叩き込まれ、伸びそこねた氷の蔦が砕ける。その隙を衝くように魔力を伴わない触腕が槍のような速度でコルゴティオ族に叩き込まれるが――。
攻撃を放ったはずの分体ごと漆黒の闘気の一撃が飲み込んでいった。
コルゴティオ族がその支援攻撃の出どころを見れば、結界を張っている人員を守っているグレイスが微笑む。
共に戦っている。背中も守ってもらえる。それを信じればいい。その事実に、内側から魔力が溢れてくるようだった。
火花を散らし、コルゴティオ族はますます速度を上げて果敢な攻撃を仕掛けていく。