番外1988裏 ルーンガルドの空に1
「では、参りましょうか」
「はいっ! 陛下!」
オーレリアが先陣を切って飛ぶ。手にするのはオリハルコンの細剣。月の民の女王たる証としての武器だ。
相対する分体は一際大きな塊だ。まだはっきりとした形を成さず、表面が泡立っていく中で、自分に向かって突っ込んでくるオーレリアの姿を感知すると混沌とした中に目が形成されて、喜悦に歪むように細められた。
全体が歪んで、それが姿を現す。
四足の獣だ。流線形で攻撃的なシルエットは全体的には狐や狼に似ている。しかし、被毛はなく滑らかな銀色の体表を持つ。尾は青白く薄いヴェールのような形状になっているが、脇腹からも一対、同じようなヴェールのような器官が後方に伸びて揺らいでいた。
真正面。オーレリアは細剣で二度三度と空を斬り、それから一瞬後ろに引いて銀の獣に遥か離れた位置から刺突を見舞う。レーザービームのような一撃。
間合いや射程といった概念をあざ笑うかのような刺突は、寸分違わず銀の獣の眼を貫いていた。が――。
眼球を穿たれながらもそれは動じない。咆哮を上げると空中に波紋を残しながら疾駆し、オーレリアに向かって最短距離を突っ込んでいく。
しかし、オーレリアもまた動じることはない。迫る銀の獣に細剣の先端を突き出し、円を描くように動かせば、空中に瞬間的に光の障壁が生まれて銀の獣を弾き返す。
「ふっ!」
銀の獣に、オーレリアが追撃を見舞う。無数の刺突で身体に穴を穿ち、流れるように横薙ぎの斬撃を放つ。
幾条もの閃光が走り、銀の獣の眼を、体表を穿ち斬撃痕をその身体に刻む。前に出ようとした銀の獣が、前脚を斬り落とされてがくんと体勢を崩した。
だが。通常の生物ならば戦闘不能になっているであろう傷を負っても、堪えたところがない。足を斬り飛ばされたはずがその足自体が空中で意思を持つかのように留まり、断面が泡立ちながら元通りに繋ぎ合わされる。空中で踏み留まった銀の獣は口を裂けんばかりまで大きく開き――そこから赤黒く輝く魔力の砲弾を放つ。
エスティータやディーン達が前に出ようとするのをオーレリアは空いた手の動きで制止し、もう一方の手で握る細剣に光を纏う。
手元で掬い上げるような動きを見せて、その切っ先が赤黒い魔力の砲弾に触れると、てんで見当違いの方向に逸れていった。
頼りなさげな細剣。力を込めたとも見えない所作から繰り出されるオーレリアの技法は、防御が主体となった武術と魔力の合わせ技だ。月の女王として、月の民からの信頼と忠誠を集める事で力を高めているからこそ可能な技ではある。
追跡者は有していない強みだ。分体の意識は本体と繋がっているのか、その光景に愉快そうに目を細めた。喰らえば解析して己の糧とする目算があるのかも知れないと、オーレリアは推測する。
「……強欲なことですね。何かを徹底的に突き詰めるというのは他を捨てる事と同義でしょうに」
オーレリアは静かに細剣を構える。その背を狙うように他の分体が位置取るも、エスティータ達、月の武官がその背を守るように武器を構えて対峙した。
「陛下の戦いに横槍は入れさせません!」
「ここから先には行かせない……!」
「まともな身体や痛覚をしていませんが、構造を破壊すればその瞬間だけは動き自体は鈍ります! 点より面の攻撃! 捨て身に気を付けるように!」
「はっ!」
女王の号令一下、月の武官達は突っ込んでくる分体達を臆する事なく迎え撃つ。障壁を張り、動きを制限しながら魔力弾を叩き込めば、小型の獣に変貌した分体からの攻撃を受け止める。節のある岩のような尾が鞭のようにしなって、月の武官達を打ち据えようと迫る。
錫杖に青白い光を纏わせて叩きつければ、分体の尾と激突する瞬間に光壁が広がり、衝撃と共に分体を吹き飛ばす。
攻防一体の月の民の術だ。光壁は触れた者に強烈な衝撃を返す。攻勢防壁とも呼べる術で、瞬間的に反発する衝撃を放つために消費魔力が少ない割に強固というのが特徴だ。
そうやって分体を迎撃したエスティータの横合いに、尖った魚のような姿をした分体が迫る。割って入ったのはエスティータの弟、ディーンだ。互いが互いの隙をカバーするように動いているあたりの息の合いようは姉弟故だろう。
オーレリアはその動きを見届けて満足そうに笑うと、凄まじい速度で疾駆してくる銀の獣の攻撃を切っ先で逸らし、すれ違いざまに斬りつける。舞踏を思わせる動き。回転しながら回避と斬撃を同時に繰り出し、一撃が次の攻撃へと繋がっている。
月の王族に継承される武術。二度、三度と斬撃を見舞い、身体を断絶して行動を阻害しながら離脱する。
それを追うように動いたのは銀の獣本体ではない。両肩から後方に伸びていたヴェールが別の生き物のように凄まじい速度で繰り出されていた。
魔力を帯びたそれは最短距離を突き抜けてくる。細剣で受けるも、硬質な音と火花が散った。
ヴェールそのものが刃物であり、捕縛の為の器官であり、大きな魔力の宿る部位。オーレリアは警戒度を一段上げる。
分体故に痛みに無頓着な不死性を有し、必要とあらば変形して相手に合わせた能力を引き出せる。取り込んだ相手の力を引き出すこともできるようだ。コルゴティオ族が追い込まれた理由はオーレリアとしても得心のいくものであった。相当な難敵。ここで仕留められなければ、時間を与えれば与えただけ危機的状況になるだろう。
ヴェールは伸縮自在で縁が鋭い。斬撃も刺突も、相当な殺傷力を秘めていると予測された。矢継ぎ早に響く剣戟の音。
影さえ留めない速度で振り抜かれるヴェールと、隙間を埋めるように爪と牙、魔力の弾丸と体当たりとが繰り出される。
火力や手数や持久力という点で言うならば、オーレリアのそれも抜きんでている。間合いを無視して瞬間的に穿ち、切り裂く刺突と斬撃。月の民との絆を力に替える、月の女王としての力。洗練され、研鑽された技術体系。
それらがぶつかり合って、オーレリアと銀の獣は幾度も交差し、すれ違い、弾き弾かれながらも突っ込んで切り結ぶ。
生まれ故郷の隕石を身に纏い、ルーンガルドの元素をその身の内に帯びて。コルゴティオ族が飛翔する。
空気抵抗の少ない、大気圏内の飛翔に適した形。景久であれば飛行機や戦闘機と形容するであろうその形状は、ルーンガルドの環境下でもまた遺憾なくその性能を発揮した。
彼らを捕獲しようと向かってくる分体達に向かって、自ら突っ込む。一瞬、分体達も戸惑った様子だ。今まで距離を取って逃げ回り、時間稼ぎをするだけだったはずの思念体達が、これまでにない程の戦意を示しながらも向かってきたのだから。
そう。かつてないほどにコルゴティオ族達の戦意は高揚していた。決死の覚悟を決めながらの追走の中で、新たに出会った種族や星を司るという大いなる存在から迎えられることなど想像すらしていなかったからだ。
加えて必要とする元素を、魔力を、潤沢に用意してもらった。故に、ここが新たな安住の地だ。
仲間達に望みを託して孤独な戦いをする必要もなく、犠牲を承知で命を繋ぐような事をする必要もない。だから――。
『ここが我らの新たなる故郷! ここが正念場だ! 我らを迎えてくれた彼らの想いに応えるのだ!』
『おおおっ!』
『戦友と共に勝利を!』
『勝利をッ!』
隕石の器に火花を纏い、雄叫びを上げて突っ込んでいく。それを分体達は捕えるべく魔弾を放って進路をふさぐように触腕を伸ばした。
が――。触腕をすり抜けるような軌道で飛ぶ。ある者はすれ違いざまに射撃を加え、ある者は主翼に術式を纏わせて斬りつけながら舞い上がる。
特殊な空戦機動も、突撃のための防御術式の応用も、テオドールが伝えたものだ。戦い方のヒントを貰えば、そこからの演算と制御を行うのはコルゴティオ族にとっての得意分野とも言える。
見せたことのない手札は確実にアドバンテージとなる。追跡者と戦う上で新たな手札というのは重要だ。学習し、対応した特性を構築して来る前に、皆と勝つ。その想いを露わにしながら、コルゴティオ族はルーンガルドの空に舞うのであった。