番外1939 あちらの世界でも
図解や実際の事例を説明していく。身近な、目に見えるサイズの微生物を拡大した場合なども見てもらう。ミジンコあたりは肉眼でも割と見えるということもあって、拡大図の例としては割と良かったようだ。
「……なるほど。目に見えない大きさの微生物が体内に入る事が原因による病ですか」
「はい。これらの小さな生き物はちょっとした環境の変化等にも弱いものです。発熱はこれらの微小な生き物を撃退しようとしている身体の防御反応のひとつ、というわけですね」
そこまで言うと薬師は心当たりがあるのか、少しはっとしたような表情を浮かべる。
「熱冷ましを無闇に使うと治りが遅くなったり悪化してしまう場合がある、と師から教わって……私自身でも心当たりがあるので気を付けています」
なるほど。治療に関わる人達だけに明確な理由がなくとも経験則で分かっている事もあるわけだ。そうした経験則からの意見は……病院の意義や役割を伝えるにあたり、後押しになっているようにも見える。
参加している治癒術師達からの反応は割と良好な気がする。病院の意義の有用性や研究の必要性は満場一致で認めてくれているしな。
有事の際の役割や体制の構築。それから平時の研究と知識、技術の向上。治療院としての役回り。義肢の取り扱いや炊き出し等、弱者救済に関して。神殿関係者の協力も取り付けていること。そうした話も合わせて伝えると、説明会に居並ぶ面々から大きな拍手を貰えた。
「いやはや……今日は来て良かった」
「全くです。義肢については小耳にはさんでおりますが、相当なものだとか?」
「実際に見る事のできる義眼もできているとか……」
「素晴らしい……」
と、そんな話をしながら盛り上がっている治癒術師や医師、薬師達である。
義肢については後で実物を見てもらおう。完成品だけでなく動作テスト用の義肢もあるのだ。
これは契約魔法でペアリングする対象が緩く、許可があれば一時的にではあるが誰でも使える設定になっている。五感リンクで視界共有ができるから、実際に見る事が可能な義眼や、動かして物を掴んだり操作可能な義手というのを誰でも体感する事ができるというわけだ。
仮想空間での説明会も終わり、現実世界に戻ってきたところでフォレスタニア城に案内し、予定通りに血析鏡や義肢の現物を体験してもらった。
血析鏡の実演については医師と薬師が協力してくれた。効果が弱めな痛み止めや、熱さましといった薬を薄めて服用し、血中の成分変化を確かめたり、その数値から薬の働きを推測したりといった具合だな。
「ほうほう……これは興味深い……」
「効果が実感できるようになるのは投薬からもう少しかかるものですが……数値にははっきり出ますな」
薬の量が微量だったり、その種類を変えたりした場合でも血中には割と迅速に数値への反応が出る。そこにクリアブラッドを使って薬の影響が無くなって数値が戻っていく過程を確かめて真剣な表情を浮かべたり、やや興奮した様子でその数値に一喜一憂したりと……医師や薬師達を中心に盛り上がっていた。血析鏡の診断や投薬後の経過観察、研究における有用性はしっかり伝わってくれているようだ。
義肢も言わずもがな。自分でその使い勝手を体感できるとあって、義手を使って羽ペンを持ち、紙に文字を書いたり……目隠しをした上で義眼を用い、その紙に書かれた文字を読み上げてみせたりして盛り上がっている。
「おお……本当に読める。この義眼は――ああ。制御して動かすことで視線の向きも変えられると」
「言ってしまえばそれに特化した能力を持たせたゴーレムですからね。制御して動かす事は何も支障なくできます。見かけがあまり不自然な動きにならないように調整されていますが」
「細やかなものですな。素晴らしい事だ」
何というか……みんな童心に帰ったように楽しそうにしているな。自身の分野で革新的な技術が出てきたということで、やはり興奮してしまうものなのかも知れない。
「ん。みんな良い感じの反応」
「孤児院も理解や協力してくれる人が外部に増えれば、卒院する子供達も得られるものが多いものね。上手くいって欲しいわ」
シーラとイルムヒルトが参加者の様子を見て頷く。好感触だから機嫌がいいのか、シーラの耳と尻尾も反応しているな。
孤児院の評判が上がれば……確かに就職先の幅も広がるし、何かあった時に力になってくれる人も増えるだろう。子供達にメリットが大きいと考えれば炊き出し等での病院との協力は良いものだ。
そうして好評のまま説明会も終わり、参加した治癒術師、医師、薬師といった面々の協力の約束は、無事に取り付ける事ができたのであった。
研究や修行ができるということもあって、病院関係はこのまま前に進めていけるだろう。資材が揃ったら実際に魔法建築等を進めていくこととなるな。
さて。タルコットとシンディーの状況も見つつ、執務と工房の仕事をこなすというのが俺にとっての平常運転ではあるが、俺にはもう一つ……それらとは別に長期的に進めている仕事がある。
「やあ、カルディア」
俺達が転移の光と共に月光神殿へとやってくると、守護者であるカルディアが樹上から姿を見せてくれる。カルディアに声をかけると、手を振るように尻尾を振って応じてくれた。 今日は月光神殿に安置して素材としての質を高めていた平行世界用のウロボロスの素材の状態を見に来たのだ。
月光神殿は清浄な魔力で満ちている。今は盟主の封印という役割を終えたが、迷宮深層に位置するこの場所のセキュリティはかなり厚い部類だ。貴重な素材を置いておく安心感はあるな。
「もう一人のウロボロスさんの完成は、どれぐらい時間がかかるものなのですか?」
神殿内部へ向かうために敷地内を移動していると、グレイスが首を傾げて尋ねてくる。初代の方のウロボロスも興味があるのか、喉を鳴らしていた。
「素材の仕上がり具合を見ながらだけれど……後数年は素材を寝かせたいね。平行世界に干渉するための門も、少しずつ迷宮に集まる魔力をそれ用に貯めている。必要な魔力量は多いけど、こっちも他のところに特に影響を出さず、準備が出来次第動けるよう手筈は整えているよ」
「ウロボロスも門の構築と干渉も、理論と実践が既に終わっているというのは大きいわね」
ローズマリーが羽扇の向こうで頷く。
「うん。その辺は既に問題なく実行できるって事が分かっているからね。一番大変なところはあっちの俺にやってもらっているから、そこの部分は有難く活用させてもらう。後は……あっちのイシュトルムをどうするかだね」
「対策はあるのかしら?」
クラウディアの言葉ににやっと笑って頷く。
「あいつは――自分が殆ど不滅、不死だという自覚があって油断が過ぎる。母さんの封印術が有効だったことだって分体から本体に届くとは思っていなかったからだし、俺と戦った時も防御はおざなりだった。そういう戦い方は捨て身と同様の厄介さはあるけれど、大きな弱点であることは間違いない」
だから……分体を繰り出してくるというのはこちらにとってはチャンスなのだ。
言うまでもなく本体よりも戦闘能力は劣る。奴の能力や性質を知らないのなら撃退したところで何の痛痒もないのだろうが、種が割れているならばそれは付け入る隙だ。
イシュトルムは月の民由来の魔法の技術、知識もあるから二度目なら対応してくるかも知れない。だがこちらは相手の能力、性質を分かった状態で初見殺しを仕掛けられるのだ。だから……渾身の一撃を奴の命――魂にまで届かせてみせる。
そもそも仇は討ったけれど、あいつを許してはいないしな。障害になるというのなら、こっちの世界での遺恨も込めてあちらでも排除してやろうと思うのだ。