番外1933 懐かしさと共に
母さんも機嫌が良さそうで。ハロルドやシンシアもいるので正体は明かせないながらも、鼻歌を歌いながら厨房へと向かっていった。
「焼き菓子なんかはどうかしら。夕食も任せて、みんなはゆっくりしていてね」
そう言って楽しそうな様子の母さんだ。昔母さんの家で暮らしていた頃に作ってくれたものを用意してくれるようで。みんなもそんな母さんの作るものを楽しみにしているようだ。
助手としてアクアゴーレムを付けておいたので、有効活用してくれるだろう。
というわけでみんなと共にリビングに腰を落ち着け、イルムヒルトが奏でるリュートとセラフィナの楽しそうな歌声を聞きながらのんびりとさせてもらう。
「最近の森の感じや仕事はどうかな? 困っている事はない?」
「そうですね……。ガートナー伯爵領とシルン伯爵領の騎士様や冒険者の皆さんが、見回りや魔物退治をしっかりとしてくれていますので。森は平和なものですよ」
「顔を合わせた時には皆さんも声をかけたり情報交換をしたりと、親切にしてくれますから」
「冒険者の方々とも知り合いになりまして。キノコや山菜を分けたらお返しとして魔物の干し肉を貰ったりしてしまいました」
ハロルドとシンシアは楽しそうに最近の出来事を教えてくれる。
なるほど。ガートナー伯爵領とシルン伯爵領の冒険者ギルドは、ケンネルの以前の方針もあって冒険者の素行には気を遣っているしな。親切なものが多いというのは頷ける話だ。
勿論、武官に関しても、どちらの家もしっかりしている面々が多い。
ガートナー伯爵家は前ブロデリック侯爵の一件があったし、シルン伯爵家も俺達がタームウィルズへと最初に向かった時に警備隊の不祥事があったからな。両家とも武官の規律の引き締めはしっかりとしているのだ。
加えて言うなら、ハロルドとシンシアは俺やガートナー伯爵家とも関わりがあるしな。巡回している武官達もその辺を加味して気にかけてくれている部分があると思われる。
父さんやケンネル達も色々と気遣ってくれているし、フローリアも見ていてくれるからな。二人の身の回りについての懸念は少ないと言えよう。
そうして話をしていると、良い香りが漂い始め、母さんが皿に盛った焼き菓子を持って戻ってきた。
「どうかしらね」
母さんとしては久しぶりに作るから反応が気になるようだ。
「ああ――。イチジクの実を生地に入れるというのもありましたね」
グレイスがにっこり笑う。元々この焼き菓子は母さんがグレイスに伝授したものなので、大きく変わらないのだが、今回は母さんの家で採れるイチジクをドライフルーツにしたものを小さく刻んで焼き菓子の中に混ぜ込んでいたりする。これも昔母さんが作ってくれたものだ。口にしてみれば記憶と変わらず……感慨深いものがある。
ドライフルーツに関しては俺達の訪問に合わせて、フローリアが用意してくれていたもの、ということだそうで。
「うん。焼き菓子もイチジクも美味しいな」
というと、母さんとフローリアは顔を見合わせ、満足そうに微笑みを向け合っていた。
「なるほど。生地の方は薄味にしているのですね」
グレイスもしっかりと味わってプレーンの焼き菓子との違いを分析していたりする。ドライフルーツ入りの方はまだ母さんが伝授していなかったからだな。果物の甘みがある分、生地の方で調整しているのだろう。
俺やグレイスが馴染みのある味ということでみんなも興味深そうに焼き菓子を味わっていた。
夕食についても母さんが準備を進めてくれる。こちらも俺達の訪問に合わせて地元の食材を父さんが手配してくれているので、馴染みのある料理を母さんが振舞ってくれるのだろう。
「夕食も楽しみにしてる」
「ええ。任せてね」
と、母さんは腕まくりをして笑っていた。うん。
――夕食については魔物肉、川魚やポテト、キノコや山菜、自家製ベーコンにチーズといった食材を使ってのソテーやサラダ、シチューといった品々だ。シチューには魔物食材のミートボールが入っていたりするな。ポテトは潰してマッシュポテトに。
これらの食材とガートナー伯爵領産のパン等……小麦を使った各種料理が、昔ここで暮らしていた時に、母さんが食卓に並べてくれていた料理だ。
懐かしい香り。並ぶ食卓も母さんの家のものだからか、昔に戻ったような気持ちになるな。
――今にして思うとヴェルドガルの料理とは食材が同じでも少し毛色が違う。料理している人が違うし、種類も違うからかなとも昔は思っていたけれど、今にして思うと、これらはシルヴァトリア料理をベースにしているからなのだろう。
「うん。ここで食べてるからかな。懐かしいような味で、美味しい」
「それなら良かったわ」
料理を口に運んでそう言うと、母さんはにっこりと微笑む。
お祖父さんやヴァレンティナも料理を口にして表情を緩めつつ俺の言葉に頷いていた。やはりシルヴァトリア料理かそれに近いという推測は当たっているのだろう。勿論、手に入る食材や調味料等々が違うからそのままという事はないのだろうけれど。
そんな調子で食事を楽しみ、みんなで食後のお茶を飲みつつ談笑したり、カードやチェスに興じたりといった時間を過ごさせてもらった。
「んん。二人は少し魔力が上がってきているね」
談笑している時にハロルドとシンシアの魔力の増大に気付く。劇的ではないが、まあ結構上がってきているように思う。
「魔道具の扱いに慣れてきたからかしらね。魔力も少し鍛えられてきたのではないかしら」
羽扇の向こうで頷くローズマリーである。一応、魔道具を使っている関係上予期していたことではあるが、順調でもあるな。
「ふうむ。このぐらいの魔力量ならば……そうさな。一先ず簡単な生活魔法ぐらいなら使えるようになりそうじゃが」
お祖父さんがそんな風に言う。確かに。生活魔法で鍛えれば更に高度な魔法への道筋も開けるし、仕事や護身の役にも立つ。信頼できる性格と思慮深さをしている二人だから墓守として頼りにしているけれど……まあ、将来の生き方を二人が望む通りに選ぶこともできるようになる、かも知れないし。
ということで、お祖父さんと共にいくつか生活魔法の手ほどきをしてみた。
「テオドール様やシルヴァトリアの賢者様から教えていただけるなんて……良いのでしょうか……」
と、二人は恐縮していたが。
「二人とも思慮深い性格をしておるからの。それに、生活魔法ぐらいなら問題はあるまい」
「うん。きちんとした使い方を考えた上で使ってくれると思ってるよ」
二人とも魔道具を使い慣れているから筋が良く、水を生成したり軽い風や種火を起こしたりというのは割とすぐにできるようになった。
その中でも精度に差は出ているから、精度が良いのは風や土、水だろうか。魔道具で扱っている部分が伸びているようで、どれも二人の仕事の役には立つかな。現状だと魔道具で良いというのは有りそうだが。
「種火の魔法は森で仕事をすることが多いので扱いに気を付けないといけませんね」
「風の強い日だとか、乾燥している日だとか……ですね」
「んー。その辺をきちんと意識できているなら生活魔法の扱いも大丈夫かな。火打石を持っている、みたいなものだと考えておくと良いと思う」
ハロルドの言葉にそう答えると二人は真剣な表情で頷いていた。それはそれとして、簡単なものとはいえ魔法を覚えられるのは嬉しいのか、楽しそうに生活魔法の練習をしていたけれど。喜んでくれているようで結構なことだ。そんな二人の様子をみんなも微笑ましそうに眺めて……母さんの家での一夜は和やかに過ぎていくのであった。