260表 執念と引導
「……行け! エベルバートを俺の前に連れてこい。抵抗するなら殺しても構わん! だが、ステファニアとあの魔術師のガキは俺の獲物だ! 手出しは許さん!」
魔人化したことで聴力も上がっているのか。俺の声が聞こえたらしく、ザディアスは苛立たしげに、黒騎士達へと指示を下した。
「はっ!」
ザディアスの命令に従い、黒騎士達が防御陣地に向かっていく。言いつけに従い、ザディアスに向かっていく俺は無視するようだ。
2体のゴーレムはグレイスとローズマリー。黒騎士連中はアシュレイ達。そして黒騎士達の長はエリオットが。
カドケウスは謁見の間に呼び戻し、救援用として待機させておく。ザディアスは……護衛も残さないわけか。
少し距離を取って、2人と対峙する。ザディアスの持っていた結晶は、全て奴に取り込まれたようだ。鳩尾のあたりが赤黒く輝いている。あれが核か?
ザディアスのその右手から瘴気が長く伸びて剣になった。瘴気の武器化も可能か。
魔力を瘴気に……正負を切り換え、そのまま術式を操って変身する……というところまでは良い。核を破壊すれば戻るのか。それとも魔人と同じで、殺さなければ止まらない類か。
こちらが思い切り身を屈めると、ヴォルハイムが眉を顰めた。
「奴は突っ込んでくるぞ。魔力循環からの魔法は射程を稼げん」
「……所詮、黴の生えた過去の遺物だ。見たところ奴は軽装。まともに一発当てればそれで戦いは続けられんよ」
魔力循環の性質を知っているわけだ。だが関係のない話だ。距離を取って戦えるだとか、生け捕りにできると思っているのなら……やってみるがいい。
ミラージュボディを発動させ――全力で踏み込んだ。
足元。真正面。目線の高さ。2つの幻影と共に3方向の軌道でザディアス目掛けて最短距離を進む。
「なにッ!?」
「これはッ」
空中でレビテーションとエアブラストの同時制御。空中で更に加速。一挙に懐へ飛び込んでいく。
ザディアスは頭上から唐竹割りに振り下ろしてきた。目線と真正面の幻影を切り裂きはしたが剣の描く軌道の内側まで、もう踏み込んでいる。唸り声を上げるウロボロスを下から掬い上げる。跳ね上がった杖の先端がザディアスの顎に叩き込まれる。
直撃する寸前、自分から後ろに飛んだか。反応速度はそこそこ。
「お……」
視線を巡らせばヴォルハイムが目を見開いていた。刹那の遅れで我を取り戻したように距離を取ろうとする。それを、追う。瘴気障壁を展開するそこにウロボロスを叩きつけていく。ウロボロスの纏う魔力と、ヴォルハイムの瘴気がぶつかり合って火花を散らす。
「ちっ!」
体勢を立て直したザディアスが跳ね返るように背中から突っ込んでくる。
「ネメア!」
背面に薄いシールドを展開。攻撃の種類と角度を見切る。振り向きもせずに循環した魔力を満たされたネメアが爪牙でザディアスの瘴気剣を受ける。正面のヴォルハイムを力尽くで押し込みながら、後ろのザディアスをネメアを操って迎撃。スパーク光が弾け、剣戟の音が響く。
「こ、こいつ……!?」
瘴気壁の向こうでヴォルハイムのマジックサークルが展開される。
その出鼻を挫くように。ウロボロスで押さえつけたまま空いた掌底で魔力の衝撃打を叩き込む。
「がはッ!?」
マジックサークルが乱れて、ヴォルハイムが後ろに飛ばされた。瘴気剣を受け止めたネメアの爪で、受け流すように力を逸らしてやるとザディアスの身体が泳ぐ。そのままの勢いで転身しながらウロボロスを脇腹に叩き込む。
「ぐぅッ!」
人間なら内臓が破裂して余りある威力だというのに、割合平然としているじゃないか。竜の姿をしていることもあり、体表の頑強さだけならゼヴィオンに迫るものがあるかも知れない。
俺の正面にカペラの後足が飛び出し、ザディアスの胸を蹴りつけてそのままヴォルハイムへと背中を向けたままで間合いを詰める。
「おのれえっ!」
追いかけるように迫ってくるザディアス。放ってくる瘴気弾をウロボロスで打ち落とす。背後に近付くヴォルハイムに躍り掛かるように、ネメアが爪を振り下ろす。それをヴォルハイムは錫杖で受けた。ネメアの膂力に耐えるあたり、やはり瘴気による強化がなされているようだ。見た目に大きな変化はないが、内面はそうではないらしい。
振り下ろされる瘴気剣をウロボロスで受け止め、触れるためだけのコンパクトなモーションで、蹴りを繰り出す。攻撃の起点としてはそれで十分。足裏が腹に触れた瞬間に魔力衝撃を叩き込んで転身、離脱。カペラからの合図で背後でマジックサークルを展開していたのは分かっている。横に飛んだ次の瞬間、火球が俺のいた場所を貫き、ザディアスを捉える。爆風に巻き込まれるザディアスを尻目に即座に反転。ヴォルハイムに躍り掛かる。
瘴気壁越しに衝撃打法を叩き込まれたのが応えたのか、ヴォルハイムは錫杖で俺を迎え撃った。杖術の心得があるのか。ウロボロスと錫杖をぶつけ合い、絡めて巻き上げようとする。錫杖の跳ね上がる方向を塞ぐようにシールドを展開。愕然としたヴォルハイムの顎を蹴りあげる。
「がああっ!」
爆風を突き抜けて背後からザディアスが迫ってきた。仰け反るヴォルハイムの身体を踏み台に、駆け上がるように飛び上がる。
「なッ……!」
ザディアスが剣を振り抜くが、そこに俺はいない。既に2人の頭上を取っている。
1つ、2つ、3つ。マジックサークルを同時展開。第6階級土魔法ソリッドハンマー多重発動。
「叩き潰せ!」
岩の塊が2人目掛けて猛烈な速度で降り注いだ。俺が駆け上がったところからまだ体勢を立て直していないヴォルハイムに1発目が直撃。錫杖で受けて防ぐも、そのまま床目掛けて墜落していく。
2発目。ザディアスが咆哮と共に真正面から岩の塊を斬り伏せる。3発目。今度は床にへばりついたヴォルハイムを捉える。錫杖で再び受けようとしたようだが、錫杖ごと砕け散った。
切り裂かれた2発目も、術としてまだ生きている。
「お――おおおおっ!?」
分かたれて2つになった岩の塊が、武器を失ったヴォルハイムに直撃する。粉々に粉砕されるほどの威力。
「ヴォ、ヴォルハイム……!」
土煙が晴れれば――ヴォルハイムはそれきり立ち上がってこなかった。白目を剥いているが――これは魔人化が浅いからか。砕けた錫杖とヴォルハイム自身の身体から瘴気が立ち昇っていく。
瘴気が抜けているわけか。結晶が壊れても戻ると。ある程度の対策はしてあるらしいな。呆然とするザディアスを尻目に、着地して封印術を仕掛けて土魔法で固めて転がす。
腐っても賢者の学連の学長。上級魔法のストックぐらいは持ち合わせてるんだろうが……ここで撃たせるわけにはいかないからな。優先的に潰させてもらった。
「貴……様……」
ザディアスの声が震えている。
「警告はしておいてやる。今すぐ結晶を体外に放出し、変身を解いて降参するのなら命だけは保証する」
ソリッドハンマーで意識を刈ればヴォルハイムは戻せた。だが、ザディアスはどうだか。小手調べで見て取った頑強さから言っても、それ以上の魔法でとなると威力として手加減以前の問題になってくる。
こいつがどうなろうが心は痛まないが、情報を吐かせたい部分もある。
「半端に加減して反撃の機会を許すぐらいなら、お前が王太子だろうが何だろうが、きっちり止めを刺すぞ。ヴォルハイムがいるなら喋る口は足りてるからな」
「それはこちらの台詞だ! 生け捕りにしようと思ったがもう止めだ! 首を刎ねてステファニアに見せつけてやろう!」
「笑える冗談だな。戦況も見えていないくせに」
黒騎士が1人、また1人と墜落していく。はっとして周囲の状況を見たザディアスだったが、ゴーレム達を目に留めてかぶりを振った。
「ルヴァンシュとスパエラをいつまでも単身で押さえておけると思うな! すぐに貴様らを叩き潰し、あの小賢しい小娘どもも血祭りにあげてやる!」
……そうかよ。
答えず、ザディアスの目線の高さまで浮かぶ。
「部下が近くにいては使えない技がある……! 貴様に――それを見せてやる! お前が、お前のようなガキどもが、ヴェルドガルの魔人殺しのはずがない! そんな馬鹿なことがあるはずがないんだ!」
自分に言い聞かせるように叫ぶ。身を屈めて力を集中させるザディアスの鳩尾付近が、赤黒く明滅する。呼応して全身から瘴気が立ち昇る。
「ごああああああああ!」
咆哮。全身から広範囲に雷を撒き散らしながら、猛烈な勢いで突っ込んでくる。シールドを斜めに張って、後方に撃ち出すようにザディアスの軌道を逸らす。
「無駄」
マジックサークルを展開。雷魔法第5階級ライトニングヴェール。こちらも全身に雷を纏って相対する。変わらず近接戦を受けて立つ。垂れ流されるだけの雷撃を受け止め、こちらの制御下に置いて掌握する。
旋回して突っかけてくるザディアスの剣をウロボロスで受け止める。弾いてウロボロスで切り返す。それを、受ける、受ける。膂力も反応速度も先程より上がった。だが、それがどうした。
雷を纏う瘴気剣が顔のすぐ横を掠めていく。流し、払い、シールド越しに衝撃打法を打ち込む。応えた様子もなくザディアスは押してくる。
だけれど、全然足りない。力があろうが、頑強だろうが、反応が速かろうが。
必殺の気迫。技術。駆け引き。何もかもが足りない。
剣を巻き込み、奴の膂力を利用して跳ね上げる。がら空きになった顔面にウロボロスを叩き込む。逆端。跳ね上げて顎をかち上げる。
魔力を練り上げながらミラージュボディを発動。分身の幻惑。そのまま挙動と軌道で惑わして杖を振るえば、反応速度の速さが災いして吸い込まれるように攻撃が叩き込まれていく。
右に左にザディアスの顔が弾かれる。強弱織り交ぜ、更にその中に衝撃打法を混ぜ、体表の強度を無視して内部にダメージを蓄積させていく。
ウロボロスに何度も打ちのめされて、ザディアスは後ろに飛ばされた。咳き込み、唇の端から伝う血を拭う。
「こんな馬鹿なことがあるものか……! 何故生身の人間に、手も足も出ない! 一撃……一撃で足りるというのに……!」
その時だ。爆音と硬いものが砕ける音が響いた。白と黒のゴーレム達がほとんど同時に粉砕されたのだ。
グレイスはそのまま白いゴーレムの上半身を引っ掴むと、遠心力を利用して砲弾のような速度で飛行船に叩き込む。
飛行船をぶち破り、内部で光芒が炸裂。ゆっくりと飛行船が沈んでいく。エリオットは黒騎士の長を沈め……アシュレイ達は黒騎士達を残らず平らげた。最後の黒騎士が氷漬けにされて落下していく。
「お――のれ! おのれおのれぇ!」
その光景にザディアスは逆上し、瘴気を立ち昇らせて俺に向かってくる。
再び激突。こいつはそれでも諦めていない。切り結びながら口の中に瘴気が収束していく。BFOでも見たことのある光景。竜の吐息を連想させる。
となれば溜めた瘴気を口から放出するのだろう。それは瘴気弾ではなく、瘴気砲とでも言うべき威力になるはずだ。
だが――違和感があった。その視線。気迫。勝負をかける技にしては――。
こちらの一撃を、避けもせずに脇腹に受ける。次の瞬間、ザディアスは大口を開けて、竜の吐息の如き瘴気を解き放とうという構えを見せた。
マジックサークルを展開。しかしそのままザディアスが丸っきり見当違いの方向を向いた。その視線の先にはエベルバート王が――。
赤々とした極大の破壊光線が謁見の間を照らし王城を貫き、砕いていく。
「は――ははははっ!」
俺を無視して、障壁や防御陣地ごと貫いてエベルバート王の命を奪えればいいと。或いは――それで俺が動揺するとでもいう算段か。
「ひははは! はははは――は……?」
馬鹿みたいな哄笑を上げていたザディアスの笑いが止まる。赤い閃光を放出し切ってしまえば視界も回復する。その視線の先は、ただ青い空が広がっているだけだ。
短距離転移魔法コンパクトリープ。接触したまま、向きを変更して転移。要するに、空に向かって無駄撃ちさせた。
こいつは大技など俺には当てられない。ならばそれを他の誰かに向ければ、俺が対象を庇うか、或いは目的を達することができると……ザディアスはそう考えたわけだ。
理解できずに、ザディアスは固まった。膨大な隙だ。火が出るほどの至近距離。体外に纏った余剰魔力を制御し、腰だめに掌底を構える。
「お前は、もういい」
全身の関節と掌底を打ち出す動きの連動。螺旋を描くように駆け巡る循環魔力を一点に集束。鳩尾一点に向かって魔力衝撃波を解き放つ。
素手武技の1つ。螺旋掌破と、ガルディニスの衝撃打法、そして体外魔力操作技術の融合。
小さなモーションからは想像もつかない破壊力が生まれた。目に見えるほどの魔力衝撃波がザディアスの背中側から突き抜ける。糸のように束ねられた、細い衝撃波。衝撃の伝播だけだ。穴は開けていない。鳩尾を押さえたザディアスが悶絶する。
その指の隙間から、赤い結晶の欠片が零れ落ちる。一方で――引いた俺の手には使い切れずに余った魔力が残っていた。
……余ったか。一撃で使い切ろうと思っていたのだが、まだ制御が甘いな。要練習だ。
だが――もう1つ分ぐらいは魔法が即座に撃てるだろうか?
「か、ぐ、かぁ……」
ザディアスの全身から瘴気が漏れていく。
こちらがマジックサークルを展開させると、ザディアスは震える手で、俺を押し留めるように前に伸ばしてくる。
「止め……俺は、もう……降参、を」
「信用できない。瘴気が抜け切るまでは――変身も解けないし、瘴気も操れるだろ?」
言って、魔法を発動させた。発動と同時にネメアとカペラの膂力を借りて、飛んだ。
第6階級風魔法ヴォルテクスドライブ。
「がはッ!?」
暴風による障壁を纏ったままウロボロスを槍のように構えてザディアスの腹に突っ込む。
ウロボロスの歓喜の声。ザディアスの悲鳴。そのまま、加速。
右に左に、慣性を無視して鋭角に曲がり、ザディアスを捕らえたまま壁をぶち破り、氷柱を貫き、床を抉り取って天井付近まで共に上昇。
「ぶっ潰れろ」
弧を描き、直下へ落下。床をぶち抜いて階下へ叩き付ける。めきめきと音を立てて床にめり込ませ、そこで魔法を解除した。
ザディアスは手足を投げ出したまま白目を剥き、舌を出してぴくぴくと痙攣していた。エベルバート王の変異のように、末端部から少しずつ人間に戻っているようだが――。
まあ……変身中はゼヴィオン並みの耐久力があったのだから、これでもぎりぎり生きているだろう。両手足はおかしな方向に曲がっているが、魔法封印は忘れないようにしておかないとな。




