番外1903 絶技と共に
凄まじい速度で拳と掌底、斬撃と刺突、蹴り足と闘気とが飛び交う。瞬き一つの間に技と技を幾重にも交差させ、闘気を炸裂させて。
イングウェイ側としてはイグナード王を消耗させなければならないが、そのために自身が先に息切れしては本末転倒だ。とはいえ、技量で勝る相手に挑んでいるわけで。最初からかなり飛ばしているというのは間違いない。
そうすることでイグナード王のスタミナを削るという狙いに合致しているし、そうしなければ逆に簡単にいなされてしまって結果的に圧倒されてしまうというのもある。
イグナード王はそれを分かっている。技量によって自身の動きと闘気の消耗を高効率化し、消耗を抑えつつイングウェイにダメージを与えていくような――安全マージンを取った上で守りの動きで、返し技を狙う形が最善手……なのだろうが。
「おおおぉぉッ!」
「はあああああッ!」
咆哮と共に自身も闘気を噴き上げ、積極的に攻めに転じている。獣王として挑戦者に応えなければ意味がない、ということなのだろう。そうだとしても負けるつもりはないという意思表示でもある。
結果的に様子見が終わってしまえば、後はエスカレートしていくだけだ。総合力で相手を上回る方が勝つというのは変わらない。しかし相手を削る等と生温い事は言わず、真っ向から自身の技量で打ち破るという――それは獣王と挑戦者の矜持と決意の激突だ。
凄まじい速度での攻防の応酬。様子見と見せた牽制の拳が身体の捻りで突然に加速し、破壊力を秘めた一撃に変化する。掠めるように避けたイングウェイが反撃を繰り出し、繰り出された拳を巻き込むように取って、関節を決めながらの投げを見舞う。
折られる前に自分から跳ぶ。関節部に闘気を宿らせて極めたまま折らせないという意図を見せながら掌底に闘気を溜めると、縺れた瞬間に闘気衝撃波を食らうことを懸念してイグナード王が腕をあっさりと離して、蹴り足から闘気の波を放つ。逆さになったイングウェイの頭部を蹴り抜くような一撃。
解放された腕を頭上で交差させ、舞台に爪を立てて回転しながら纏った闘気で弾く。回転の勢いに乗せて下方から爪撃波を放てば、イグナード王は裏拳でそれを打ち落とした。
その時には体勢を立て直したイングウェイが疾風のような速度で突っ込んできている。前腕と前腕がぶつかり合い、火花を散らす。
双方、勝ちに行くために。技を叩きつけ、思考を廻らせて予測し、常人離れした反応速度で対応する。高速で濃密な攻防の中で、イングウェイとイグナード王は楽しそうに笑い合っていた。
高速の攻防の中でも、やはりイグナード王が優勢。積み重ねてきた技巧は一朝一夕に上回れるものではあるまい。見る間にイングウェイの細かな手傷が増えて、その白銀の毛皮のあちこちが血で染まる。しかし、直撃は許していない。紙一重、皮一枚で避ける。
避けて、踏み込む。もっと速く。もっと前に。そうでなければイグナード王には届かないから。
僅かに爪が掠り、血風を散らしながらもカウンターを繰り出すイングウェイ。ぎりぎりの間合いでの見切りと踏み込み。
これまでの候補者達相手ならば命中していただろうという、目を見張るほどのタイミング。脇腹に突き刺さるような掌底が繰り出される。が――イグナード王の掌で受け止められていた。闘気と闘気の干渉で火花が散って、弾かれる勢いで間合いを開きながらも離れ際に闘気弾と蹴り足とが交錯し、互いの技を逸らしながらも即座に踏み込んでいく。
後から動いても攻防に間に合うというのはレグノスのそれとはまた速度の質が違うものだ。
イグナード王の闘気の展開速度が異常に速く、そして技巧と経験によって裏打ちされて、動きが効率化されているからこそ。だから崩れず、攻撃も鋭い。ただ――そんなことは承知だとばかりに、凄まじい密度で拳を交え、打たれ、受け止めて後方に弾かれては右に左に跳んで踏み込む。
イングウェイの、間合いの外からの爪撃波――それを追うように。
「むっ!」
「あれは俺の――!」
イグナード王が驚きの声を上げ、レグノスが目を見張る。
爪撃波を囮として放ちながらも尾に闘気を纏って、それを支点に間合いの外から、長大な回し蹴りを放ったのだ。それはレグノスが試合の中でイングウェイに繰り出した技。
先行する爪撃波に重なるように迫る一撃。しかも尾に闘気を展開しての技であるために身体の陰になって技の起こりを正面からでは見る事ができない。
流石にイグナード王の予測を超えた一撃だったのか。爪撃波を撃ち上げるように弾いていたイグナード王は、続く回し蹴りを腕で受け止める形となる。
火花が弾けて――イングウェイはシールドを展開して、回し蹴りから空中を足場に反転。イグナード王に連撃を繰り出していく。
「おおおっ!」
気合の咆哮と共に攻められながらも牙を剥いて笑うイグナード王。畳みかけられるように打ち込まれる闘気衝撃波の掌底――それを――。
イグナード王は合わせるように掌底を繰り出す。掌底と掌底がぶつかり合って独特の波紋を持った衝撃波が空中に広がった。
「相殺――!」
これは――予想が当たった形か。イグナード王もまた、闘気衝撃波を独自に編み出していた。だから技の起こりを察知すれば相殺して止めることができる。
そのまま目まぐるしいほどの速度での至近戦に突入した。
コンパクトなモーションの手打ちでも、掌底で触れて打ち込みさえすればダメージになる。当然、そんな技を繰り出せるとなれば双方の間合いも近く、手数も凄まじい数となるのは自明の理だ。腕と足が交差する中で、時折相殺の衝撃波が両者の間に広がった。イグナード王もイングウェイも、その集中力も相まって、基本形となる技を完全に物にしているのは間違いない。
ただ、闘気衝撃波の打ち合いとなった時に、技量で勝るイグナード王が有利なのかと言えばそれは違う。効果が出るまで一瞬のタイムラグがあるからだ。
イングウェイとしては相打ち覚悟で衝撃波を叩き込んでも良いのだ。イグナード王も条件は同じと言えるが、耐久力という面を考えると、差し引きでその後が不利になるのはイグナード王の方だろう。
だからこの局面では、イグナード王は防御主体で深追いしていない。もっとも……衝撃波を打ち込まれるような事になれば意地でも相手に相打ちで叩き込む、というのはイグナード王側とて同じなのだろうが。
ともあれ二人の場合、この技では相手を上回る事ができたとしてもその後に畳みかける事ができず、勝負手にはなり得ないということだ。
相殺合戦ではなく、相手を崩して一方的に打ち込むことが出来るのであれば話は別だが。だから。二人ともフェイントを交え、間合いを変えながらもその中に闘気衝撃波を織り交ぜる。通常の攻防の中に、相殺も混ざるような形ではあるが――高い技量を持つ二人だけに、駆け引き一つとっても目を見張る。
両者の動きそのものが誘い。打ち込もうとしたタイミングをずらし、腕を引きながら防御しようとした相手の腕をまず破壊するというようにイングウェイの掌底が繰り出される。それを足捌きで間合いをずらして回避。離れ際に蹴り足が跳ね上がる。
大振りの一撃を皮一枚の見切りで避けて踏み込んでの打撃を放つ。が――不自然な体勢ながらも崩れない。尻尾に闘気を集中させてシールドで身体を支え、通常有り得ないタイミングと体勢のまま前に弾かれての膝蹴りを見舞う。闘気の集中による防御で受ける。
繰り出される反撃。空中での側転での回避。要所でのシールド展開による特殊な機動を交えて、イグナード王に打ちかかっていく。
その動きは俺のものとも、エインフェウスの体術ともまた違う。それらや継承戦から昇華した、イングウェイ独自のものだ。
正面からは起こりを見る事の出来ない、尾と盾による機動もそうだが――何より。
「……ここに来て、最初よりも動きが……?」
「今のイングウェイ。明らかに、私の時よりも――」
「ああ。俺の時よりも強い、な。使っている技の変化を差し引いてもだ」
グレイスが言うと、イェルダやレグノス達が目を見張る。衝撃波を幾度も繰り出したり、尻尾やシールドを使っている事だけでなく、イングウェイの動き、技の切れそのものが、戦いの中で向上しているのだ。
継承戦においても強敵続きで、激戦を潜り抜けた事が自信と研鑽に繋がったか、技巧において格上のイグナード王との戦いの中で、実力が引き上げられているのか。或いはその両方か。
「届く、か?」
シュヴァレフがその動きに見入りながら言う。
そう、そうだ。イグナード王に、届くのか。
跳ね返されながらも凌ぎ、目を見開いて跳ね返るように踏み込み。笑みを浮かべて戦いの中にただただ没入していく。激戦の中で、それ以外のものが真っ白になっていくほどの極限の集中。そうした感覚には俺にも覚えがある。
イグナード王の身体をイングウェイの爪が掠め、拳を受けて闘気の火花が散る。イングウェイが反射速度を以ってイグナード王の技に対応し切る場面も増えて――。
そのイングウェイの成長にイグナード王は本当に嬉しそうに、しかし獰猛な笑みを見せた。渦を巻き、闘気を噴き上げてイングウェイを迎え撃つ。
打ち払い、跳ね上げて踏み込み、薙ぎ払っては弾き、弾かれては跳ね返り、叩き込み打ち下ろしては切り結ぶ。
重い一撃が飛び交い、衝撃と火花が幾度も幾度も弾けて。一瞬たりとて止まらず、淀むことなく、凄まじい密度で相手を倒すためのぎりぎりのやり取りが続く。
互いに集中していてテンションが高いからこその密度だが……両者の限界はどこにあり、どちらの方が限界に近いのか。前までの試合以上の力をここに来て引き出しているイングウェイか。それともそんなイングウェイと、絶え間ない攻防の応酬をしているイグナード王か。
両者の差が縮まっているのは間違いない。互いに細かな手傷を負いながらも一撃で大勢が決してしまうような致命的な一撃だけはいなし、躱し、逸らし、受け止め、虚実を見切りながらも互いの血風の中に躍る。
衝撃が走り、闘気が弾け、舞台を砕き、大気を揺るがせるその只中で。
イグナード王が腰だめに引いた掌中に闘気が集まる。闘気衝撃波の前兆。イングウェイもまた受けて立つ。相殺の構えを見せて――。
違、う――! 互いに掌底を突き出すまでの間に、イグナード王の手の形と闘気の流れが変化を見せた。掌底から、楔のような一本拳へ。踏み込み、腰、肩まで連動させて――!
イングウェイは、止まらない。止まれない。目を見開いて闘気衝撃波の掌底と、一本拳とがぶつかり合う。
イグナード王の一撃。それは全身の動き、闘気の流れを連動させ、一本拳の先端一点に闘気を集約させて撃ち出すというもの。
イングウェイの掌に易々と穴を穿ち、さながらレーザーか弾丸のような闘気の一撃が後方に突き抜けて結界に激突。凄まじい火花を散らす。闘気の集中による防御だろうが、マジックシールドや全身鎧だろうが、問答無用で貫くであろう凄絶な武技。
が――。イングウェイは寸前で反応し、身体ごとずらすように動かして、被害を掌に穴を穿たれただけで留めていた。反応して回避行動をとっていなければ、腕を突き抜け、肩口まで一直線に貫くような一撃となっていただろう。
そして、イグナード王もまた無傷ではない。引いた右腕から、遅れて派手に血がしぶく。技を切り替えた反動か。元々そういう技なのか。それともイングウェイの闘気衝撃波とぶつかり合った影響か。相打ちを覚悟したイングウェイが出力を上げていたようにも見える。
傍目からは原因を断定できないが、イグナード王の腕のダメージも軽くはなさそうだ。
だが。
二人とも止まらない。イングウェイは左手。イグナード王は右手を負傷しながらも闘気による止血を施し、益々目を輝かせ、嬉々として互いに向かって跳び込んでいく。
負傷の度合いはイングウェイの方が重そうだが、利き手にダメージを負ったイグナード王とどちらが不利となるかは何とも言えない。
ただ、片腕の動きが精彩を欠く、ないし使えないというのは攻防に影響が出る。互いに打って打たれ、弾かれては跳び込んでの肉弾戦。全てを賭しての消耗戦。
攻撃や防御が甘くなってしまうから、至近で攻防をすることを両者とも嫌ったのだろう。近接戦闘から機動戦へ。すれ違いざまに爪撃を繰り出し、闘気弾を撃ち込み、右に左に跳んで。舞台すら切り裂くような爪撃波が飛び交う。斬って斬られて闘気で受け止め、技巧でそらしながらも血が舞って。
いつ途切れるとも知れない、長い長い攻防の果てに。闘気を爆発的に噴き上げたイングウェイとイグナード王が、示し合わせたように真正面から突っ込む。
「はあああッ!」
「こおおおおッ!」
裂帛の気合、咆哮と共に。イングウェイの拳と、イグナード王の爪撃とが交差した。
止まる。両者の動きが、止まる。イングウェイの右肩口から血がしぶくが、同時に防御を掻い潜るようにその右拳がイグナード王の胸板に叩き込まれていた。止血できる程度の傷か。闘気の防御で減衰できたのか。
戦いの行く末がどうなったのかを、皆固唾を飲んで見守る。
「くっ、ははっ」
笑ったのはイグナード王だ。
目を閉じて。そして膝をついたのもまたイグナード王で。
「流石に、もう動けんわ。そなたの勝ちだ」
「実戦、であれば――」
イグナード王の言葉に、イングウェイは勝ったことが信じられないというように、かぶりを振って独り言ちるような言葉を漏らした。
確かにイグナード王の奥義は、少し角度を変えるだけでイングウェイの回避を困難なものにしていただろう。致命傷に至らずとももっと痛手になっていれば、イグナード王が勝っていたというイングウェイの見立ては納得のいくものではある。
けれど。イグナード王は笑って首を横に振った。
「どうであれこれは継承の儀であり、結果も覆らんよ。あの時点で余力もあまりなくてな。消耗する前に奥義にて肩口を射抜き、勝つ。勝負を仕掛けた儂の予測を上回り、最小限の負傷に止めてこの右腕を使いものにならなくした、そなたの勝ちは動かぬ。第一、前提が違えば戦い方も変わるものであろう?」
そう言って。イグナード王はどかっと胡坐をかくように舞台に腰を下ろして、晴れやかな笑みを向け……イングウェイは「ああ……」と嘆息を漏らし、目を閉じて天を仰ぐ。
遅れて――拍手と歓声が広がっていくのであった。