番外1899 全霊を賭して
交差し、並走しながら切り結ぶ機動戦を見せていたかと思えば、一瞬の切っ掛けを起点に攻防の性質が一転する。爪の斬撃と斬撃をぶつけ合い足が止まったかと思うと、再び舞台中央での攻防に移った。
闘気を伸縮させ、或いは放出すると見せかけて。流麗とも言える闘気の動きによる幻惑を見せたかと思えば、そこから続く攻撃は相手の意思ごとへし折らんばかりに爪を叩きつける豪の一撃が繰り出される。それを逸らし、受け流すのは柔の技。
かと思えば相手の動きを利用して投げ飛ばそうとする攻撃用の柔技、力任せに弾き飛ばして無理やり相手の攻撃を隙に変えようとするかのような防御用の力技も飛び出して、目まぐるしく攻防とその手法とが入れ替わる。
武術と武術、矜持と矜持のぶつかり合いではあるが、それでも二人とも楽しそうに笑っていた。獰猛で、好戦的で。それでいて互いの力と技への賞賛が見て取れる。
競い合うように虚実と剛柔が複雑に絡み合い、入り乱れる。その様はエインフェウスの頂点を極め、獣王位に手をかけている者達の戦いに相応しい内容と言えよう。
万能型の二人の戦いは、互角に近い。しかし、身体能力、戦闘能力の全てが同じというわけではない。
ここまでの戦いで分かったこととしては、速度ではイングウェイ、腕力ではシュヴァレフにそれぞれ分があるように見える。ただ、これらの素の部分での能力は闘気や技能の使い方次第でいくらでも補えるものだ。だから、優劣というよりも差異。或いは戦い方の好みが現れている部分という方が正しいかも知れない。
離れ際に放たれるシュヴァレフの爪撃波にイングウェイの爪撃波がぶつかって爆発が起こる。その爆風を突っ切り、最短距離を突き抜けてシュヴァレフが迫る。爆風の中に身を置くことで、技の出所を分かりにくくした上で、爪を突き込んでいる。脇腹の隙間を貫くように放たれたそれを膝で跳ね上げるように受ける。
闘気が伸縮して間合いを狂わせているが、イングウェイもそれは同じだ。闘気による残像を残して身体を逸らし――その動作のまま、膝蹴りに続く蹴り足がサマーソルトのように跳ねあがった。攻防一体。しかしその威力は顎を蹴り抜くどころではない。脚部の爪に闘気が込められており、直撃すればただでは済まない。それを突き込んだ体勢のままで見切って避けるシュヴァレフもシュヴァレフだが。
後方に回転したイングウェイを追うようにシュヴァレフが踏み込み、追われたイングウェイはそれを迎え撃つ形。
瞬き一つの間に斬撃と刺突、打撃と掴み技が入り乱れ、闘気が干渉し合って弾ける。皮一枚の距離を掻い潜って限界ぎりぎりの間合いと時間を埋めて攻撃を繰り出し、それに対して反撃を見舞う。掠めた攻撃が血風となって散るも、掠り傷などお互い意にも介さないが、直撃は許さない。
攻防の中にも様々な闘気技が混ざるが、中々決め手にはならない。噴き上げる闘気を地面に撃ち込もうとすれば左右に跳んで位置を入れ替えるし、渦巻く闘気を放とうとすれば逆回転の闘気の渦を放って纏う前に相殺し、互いに闘気技への対策をしているからだ。
無数の攻防の中で、爪撃同士がぶつかり合って。そうして一旦距離が開く。
そこで空気が変わったのが分かった。シュヴァレフの表情から、笑みが消えたからだ。その表情を、何と言えば良いのか。
その変化は対峙しているイングウェイには勿論、見ている者達にすらも伝わる。イングウェイの表情も緊張感のあるものになり、熱気に包まれていた舞台周辺にもその空気が伝播していく。
どんな攻撃が来ても対処できるように構えるイングウェイ。緊張感と共に、互いの闘気が研ぎ澄まされていく。
そうして――。
「行くぞ……ッ!」
そんな言葉と共に。爆発的な速度でシュヴァレフが間合いを詰める。その動きに、イングウェイの表情が驚愕に見開かれた。
振りぬかれたシュヴァレフの拳を闘気の集中による防御で受けるが、身体ごとブレる程の重い衝撃が走った。
「ぐっ……!」
追撃を仕掛ける為に横に回り込んできたシュヴァレフを爪撃によって迎撃する。が――それも凄まじい反応速度によって見てから屈むように回避され、更に踏み込まれていた。
もう一撃。今度も受け止めることが出来たが反撃には結びつかない。攻撃に凄まじい重さが込められているのを物語るように、受けたイングウェイの足の爪がざりざりと音を立てて、後方に下がる。
「こおおおぉ……」
そこでシュヴァレフが足を止めて振り抜いた体勢のまま、呼気を漏らす。
先程までとは、スピードもパワーも違う。今の攻防は、保たれていた均衡が崩れたように見えた。
「今のは――」
今の力が続くのならばイングウェイが防戦に回ってしまう形になるが……強化された相手に合わせて闘気の出力を上げればいいのかと言えば、そう単純な話でもない。
シュヴァレフの身に纏う闘気の量がそこまで大きく変わっていないからだ。見誤れば力を消耗して叩き潰される。何かをしている、仕掛けているのは間違いない。残る問題は、それがどういう性質のものかということだが。
魔力は――変わらず。生命反応は増大……しているな。
止まっていたのは僅かな間だけの事。踏み込む脚力で舞台を砕き、シュヴァレフが黒い暴風となって迫る。暴虐のような速度と力。その只中に身を晒しながら、消耗する前にそれを見切り、対策を取るか上手を行く必要がある。
速度で上回られる相手。イングウェイは足を止めての迎撃に応じた。ただ――先程とは少し展開も異なる。叩き込まれる爪撃を力の流れを逸らすように受け流したのだ。
いきなり増大した身体能力に、意識が追い付かなかった、とも言える。が、防御に集中しているからか、さっきまでのようにぎりぎりを回避し、掠らせてまで踏み込むようなことはしていないから反撃にまでは結びついていない。
身体能力の増大による意識のズレは、仕掛けた側であるシュヴァレフも同じ。先程までよりも攻撃の精密性が落ちているように感じる。が――意識が追い付いていなかった部分が慣れによって矯正されるというのもまたシュヴァレフも同じ事だろう。いなし切れない攻撃が出てくれば、あの攻撃の重さではガードの上からでも痛手になる。その前に、有効な対策をすることができるのか。それとも。
あれがシュヴァレフ独自の技で隠し玉であるのは、イングウェイが即時対応していないことや、イグナード王や氏族長達の驚きの反応からも分かる。
「体温が……上がっている……?」
イルムヒルトが呟くように言った。
「体温。体温、か」
限界近くまでの戦いでありながら、フォリム戦では使わなかったという点も気になる。
……目に見えて噴出する闘気量は変わらず。比して増大した身体能力と生命反応……。上昇している体温と、意識のズレ。
闘気で強化しているのは、内面……か? 例えば、心臓の鼓動を速くすることで、一時的なブーストを掛けている?
生き物の時間感覚は鼓動によって変わるとも聞く。闘気による通常強化によるギャップではああはならなかった。イングウェイやシュヴァレフは普段から闘気術を使うから慣れているというのもあるが……。
今のシュヴァレフは時間感覚がずれているから、発動させてもすぐに意識が追い付いてこないとするならば。
フォリムは精霊憑依によって時間経過で力が増大していくタイプだったから、見誤る可能性や意識のズレを問題視して使わなかった。有り得る話だ。相手も増強されるならば、消耗戦を仕掛けてからの見極めが難しくなる。
外から見ている分には推測ではあるが……それが正しいのだとするならば、力を引き出すためにリスクを伴う技ということだ。実際、常時発動にはリスクが高いのか、攻防の切れ間で生命反応が減少して再び攻撃や回避に転じる時に増大したりと、クールダウンして調整しているのが窺える。
……感覚の矯正に時間がかかるわけだ。ピーキーな技をあれほどまでに使いこなしていると賞賛すべきか。
シュヴァレフに対抗する術は、彼自身がフォリムに対してそうしたように、力の引き出し過ぎによる反動、自爆を狙うというのも手だ。或いは自分自身、そういう技を保有しているからこそ、フォリムに対して有効な対策を思いついたというのも有りそうな話だな。
「こおおおおッ!」
嵐のような猛攻を凌いでいるイングウェイが、咆哮と共に闘気を爆発的に噴き上げる。シュヴァレフの手を見極めてのものなのか。そうだとして対策しての行動なのか。それは分からない。
どうであれ、イングウェイも力を引き上げなければいつまでも凌ぎ切れるものではあるまい。シュヴァレフの動きが段々と精度を上げてきているからだ。
引き出されたイングウェイの闘気が、基礎スペックが大幅に引き上げられたシュヴァレフの闘気とぶつかり合って巨大な火花を散らす。拳足が飛び交い、爪撃と闘気弾が放たれ、爆発するような衝撃が幾度も広がる。
それでも尚、攻防は際どい。時間感覚が早まっている分だけシュヴァレフの反応速度が増しているからだ。
時折イングウェイがいなしたりそらし切れずに受けなければならない場面があるが――攻撃が重い。ガードの上からでも蓄積されると危険だ。
だが、消耗戦ではあるだろう。イングウェイが力を引き上げた分、シュヴァレフもまた一気に押せる程ではなくなった。影さえ留めない程の速度で拳が、蹴りが飛び交い、調整やクールダウンの難易度が跳ね上がるような形。間合いを開くことなく、イングウェイが食いついている。
瞬き一つの間にいくつもの攻防を重ねて。その只中で、お互いに極度の集中をしている。至近を飛び交う攻撃を潜り抜け、衝撃を受け流して。
「おぉおおッ!!」
凄まじい密度の技と力の応酬の中で、シュヴァレフが咆哮を上げる。その手に凝縮された闘気が噴出した。繰り出されたのは最短距離を貫くような刺突。それを、イングウェイは避けない。闘気を纏った左腕で、受ける。受けてその先へ――。
「ぐっ!」
「がッ、はあッ!」
鮮血と共に、二人が弾かれるように後方に下がる。
シュヴァレフの爪は、文字通りにイングウェイの左腕を貫いていた。しかし引き換えにシュヴァレフもまた、ただでは済んでいない。イングウェイの掌底がシュヴァレフの胸を捉えていたからだ。闘気による守りの上からの攻撃。しかしその一撃は闘気衝撃波。
イングウェイの右掌底に込められた闘気を見誤って、受けても問題ないと判断したか。今の攻防の代償は、互いに重い。
イングウェイの腕は闘気による止血をしていても上がっていないし、シュヴァレフもまた、胸を抑えて表情を顰めている。闘気による内面強化に対しては相性の悪い、渾身の一撃が突き刺さったと言って良い。レグノス戦で限界ぎりぎりの局面で一撃を決めた経験もあっての、再度の奥義の発動と言える。
それでもまだ終わっていない。二人とも、止まらない。
「はあああぁあッ!」
「おおぉおおおッ!」
裂帛の気合と共に、両者が全身に闘気を纏って噴き上げた。牙を剝き出しにして、そのまま突っ込んでいく。シュヴァレフは先程のような内面強化はできないのだろう。通常の闘気強化だ。しかし、イングウェイの左腕は使いものにならない。
手負いと手負い。それを感じさせない気迫と闘気量を以って、両者は舞台中央で激突した。爪と爪がぶつかり合い、蹴り足が豪風を伴って跳ね上がる。左腕でのガードができないイングウェイは回避を選択しているが、反撃を見舞うために限界に近い見切りで踏み込んでいる。掠める爪で血風を散らし、イングウェイの繰り出す爪撃もまたシュヴァレフの身体を掠めていく。
内面強化をしているところに受けたシュヴァレフのダメージも軽いものではない。闘気衝撃波の影響か、先程よりも弱体化はしている。
それでも腕一本使えなくしたのは大きい。攻防は僅かにシュヴァレフ優勢。手数と攻防に置いて選べる幅の差で、イングウェイを防戦へと追いやっていく。
ガードの出来ない左側から足元を払うような爪撃波。それを――跳躍して避けるイングウェイ。その背に、闘気が集まる。
悪手だ。空中に浮いてしまえば、闘気の噴出で回避できる間合いではないし、制動に使うなら闘気を集める位置を見る事で移動する方向を予測できてしまう。
「貰ったッ!」
狙いすましたかのようにシュヴァレフが爪に凝縮させた闘気を集めて踏み込んでいく。
「ここだッ!」
爪撃が叩き込まれる、その瞬間に。空中にあったイングウェイの身体が、闘気を集めた部位とは無関係に、不自然な挙動を見せた。
「マジックシールドか……!」
イングウェイの、自力発動での空中機動。発動したシールドの強度は本職ではないから然程ではないが、シュヴァレフの予測を上回るには十分。集めた闘気は、噴出されていない。闘気操作によるフェイント。そのままイングウェイの爪に闘気が集まって。
交差した爪撃と爪撃が空中に残光を軌跡として描き、両者がすれ違う。
遅れて血をしぶいたのは双方とも。イングウェイは左腕と左脇腹にかけて。シュヴァレフは、肩から胸板を横切り、脇腹まで。
「ぐ、がはッ……!?」
苦悶の声を漏らして膝をついたのは、シュヴァレフの方だった。出血量が多い。
闘気で止血はできても、戦いを続行できる怪我の範囲を超えている。止血するには常時闘気で固めておかなければならないし、動きが阻害されては意味がない。失った血が戻るわけでもない。
「ぐ……っ!」
イングウェイは、苦悶の声を漏らし、それでも油断なく構えを取る。それを見たシュヴァレフは、笑う。
「ああ……悔しい、ものだな。全霊を賭して届かないというのは」
そう言って……シュヴァレフは立ち上がる事が出来なかった。
「そこまで! 勝者イングウェイ!」
数瞬の遅れを以って審判の声が響き、そして大歓声が巻き起こった。