番外1894 白銀狼と金鱗の絶技
風を巻いて、身体ごとぶつけ合うように。凄まじい相対速度で間合いを詰めた二人が、お互いへの攻撃を繰り出す形で戦いは始まった。
選択されたのは、共に闘気を込めた爪撃による刺突。空中で交差して火花が散った。突っ込んだ勢いそのままに、高速の攻防が行われる。
拳と蹴りが影をも留めぬ速度で応酬された。脚部が跳ね上げられて下から切り裂くような一撃が見舞われたかと思えば、イングウェイは回避しながらも間合いを詰めて肘撃ちが脇腹に向かって叩き込まれる。
分厚い掌で受け止められていた。蹴りを放った不安定な体勢のままで受けて揺るがないのは、レグノスの尾によるものだろう。そうだとしてもイングウェイの踏み込みと同時に繰り出された肘を受け止めて崩れないのは、尾で身体を支えている恩恵によるものだろう。
あの尾も、ヤモリのように地面や壁面に貼り付けるような仕組みを備えている、という可能性はある。それによる制動に体術が加わった時の動きは、正直なところ未知数だ。リザードマンとの戦闘経験が豊富ならば動きの予想もできるのだろうが、経験があったとしてもレグノスのような実力者に対してそれが通用するのかという問題はある。
どうであれ、戦いに至った以上は今ある手札で戦うしかない。
レグノスの全身が揺らぐように動いたかと思えば、顔の高さに丸太のような回し蹴りが見舞われた。尾で身体全体を支え、蹴りの位置、高さ、間合いを変えているのだ。そうやって上からの攻撃が繰り出されるかと思えば、いきなり地面に手をついて、今度は尾が武器になる。地を払うような横薙ぎの一撃が見舞われる。
イングウェイはと言えば――最初はそんな変則的なレグノスの動きに戸惑ったのか受けに回っていたが、すぐに惑わされることも慌てることもなく、戦いに没入していた。
変則的な動きを追う、というよりも来た攻撃に確実に対応し、通せると見たら攻撃に転じるという形だ。
「……イグニスとも戦闘訓練を希望していたものね。変則的な動きには慣れている、というところかしら」
それを見たローズマリーが羽扇の向こうで感心したように言う。そう、かも知れない。イングウェイが対リザードマンを想定していたかどうかは分からないが、イグニスの場合は基本的な人間の動きに加えて、人型の生物から繰り出されるとイメージされる攻撃を逆手に取るような動きが多くある。
対抗するならば視覚的動きに惑わされず、実際繰り出されたものに反応する、更にそれがフェイントであっても隙を晒さないように迎撃や回避に余力を残して勝負所を見極める、というような対応策が必要となる。
ローズマリーの見立ては、確かにそうだろう。イグニスを相手に訓練していた時のイングウェイの動きに似ている。
頭上から降り注ぐ攻撃を払い、地を払うような攻撃を受け、弾速の早い闘気の弾丸や爪撃波を放って間合いのギャップを埋めて。
レグノスの手数の多さ、変則さという武器を早々に前提に置いて、攻撃の為に果敢に踏み込んではいても防御や回避が可能な余地を残してもいる。
防御寄りで堅実でありながらも、瞬間瞬間、要所で鋭い攻撃に転じる。その動きは生まれついての捕食者や熟練の狩人のそれを思わせるものだ。そんな対応に、レグノスは牙を覗かせ好戦的な笑みを見せる。
レグノスもまた、防御面は相当なものだ。来た攻撃に反応して払い、受け、回避して機会を作りながら切り込むというのはイングウェイと似ている。
鉄壁の防御。初動の速さが異質なのだ。反応速度か。それとも瞬発力か。或いはその両方か。
「レグノスさんも攻撃への対応……いや、動きへの反応が異常に速い……のかな? 動き出した後から、技術で補正している……?」
「流石の慧眼ですな」
俺の言葉にリザードマンの氏族長が感心したように声を漏らす。当たらずとも遠からず、か?
リザードマン流の格闘術、というより動体への反応速度と初動の瞬発力という種族的に優れた部分を技術で補った結果、だろうか?
それを可能にしているのは、あの異常な粘りを見せるバランス感覚と驚異的なまでのしなやかさだ。
尾の先端、片手、片足であれ、どこかが接地さえしていれば、まず崩れない。どんな体勢からでも手足と尾、時には頭部まで使って防御や回避のための技を繰り出し、流れるように反撃に転じてくる。そうした要素の一つ一つが、最終的に変則的な動きと圧倒的な手数として戦いに現れるのだ。
両手両足、頭突きと尾。全てを使った切れ間のない攻撃と防御。嵐のようなそれに、イングウェイも引かない。凄まじい密度で攻撃の応酬を行いながらも、イングウェイの腕から大きな闘気が膨れ上がるように噴出した。そのまま腕を振るえば、大きな闘気の波がレグノスに迫る。
一瞬レグノスの動きが淀んで防御に回る。しかしイングウェイから放たれたそれは噴出した闘気の規模に見合わない脆弱なものだった。膨れ上がらせた闘気の一部を大きく広がるように放ち、残りは引き戻すように自身の身に纏って間合いを詰めたのだ。
闘気の噴出そのものがフェイント。そう思わせて闘気波自体を本命として叩き込むこともできる。そういう動き。一度そうやって見せられてしまえば、種が割れていてもそれには付き合わざるを得ない。無視して判断を誤れば決定打になりかねないからだ。
加えて、イングウェイの闘気制御は美しいとまで言える程に流麗なものだった。虚実を見切るのが非常に難しい。
レグノスは防御のために纏った闘気をそのまま維持して、間合いを侵略してきたイングウェイに対して守勢に回る。
重い衝撃と派手なスパーク光が弾ける。ガードの上からでもダメージを通すとばかりに一撃を叩き込み、押されたレグノスを更に追う。矢継ぎ早に攻撃を繰り出し、時間差で闘気の波を送り込んで手数の差を埋めて。
しかし――レグノスもそう易々とは直撃を許さない。ここまでは片手、片足や尾だけで身体を支えて攻防できる分だけ、遠い間合いと長いリーチで攻勢を維持していたレグノスだが、間合いの内側に踏み込まれれば戦えないのかと言えばそれは違う。
波に乗って攻め立てるイングウェイの連撃を受け止め、その独特の瞬発力と反応速度、足裏、尾裏の粘りを以っての急制動で対抗する。
変則的な動きで惑わして倒すというタイプではなく本質的な部分で実力者であるという証左だろう。しかも堅い鱗を闘気で強化もしているから、レグノスはしなやかでありながらも強固。難攻不落の要塞を思わせるような堅牢さを誇っている。
ともあれ、イングウェイが動体への反応速度だけでは対処不可能な技――つまりインパクトのタイミングをずらす闘気技を使い出したことで、戦いの流れは少し変わった。即ち、どちらも闘気の放出量を上げての闘気戦だ。
虚であれ実であれ、受け切れるだけの闘気をレグノスもまた放出しなければ対応できない。それは如何に鱗が防御面で優れていようと、イングウェイの攻撃力が直撃したら拙いという事に他ならない。
飛び交う拳足、爪撃と尾撃がぶつかり合い、無数の技が応酬される度に、重い音とスパーク光が無数に弾けて舞台周辺の大気がびりびりと震える。
両者の皮一枚を切り裂いていくかのような爪撃が飛び交う。決定的な一撃を叩き込むために、より際どく踏み込み、よりぎりぎりのやり取りをすることで、互いに細かな手傷を負っていく。血煙が舞い、ぶつかり合った衝撃が幾度となく走った。
だが、お互いに一瞬たりとも止まらない。闘気の出力を上げての戦いである以上、長期戦、耐久戦を想定していない。均衡が崩れれば即座に飲み込まれる。だから、退かない。止まらない。
退路を断っての闘気術と体術の総動員。総力戦と言っても良い。だからこそ、勝負がつくのも一瞬だろう。
突き、払い、蹴り上げ、打ち下ろし、踏み込んではぶつかり合って弾かれ、また飛び込む。反撃に反撃を重ね、瞬き一つの間に虚実を織り交ぜる攻防の中で。
仕掛けたのは、どちらが先だったか。イングウェイが踏み込みと共に舞台に闘気を撃ち込むのが先か。それともレグノスの伸ばされた尾が、イングウェイの肩口に触れるのが先か。
恐らくは戦いの中の極限の集中が生んだレグノスの反応速度と予測が成した神速の業なのだろう。そこからの攻防は、本当に刹那の出来事。
地面からの闘気の噴出と同時に、足場が砕けるようにして二人が空に舞い上がっていた。そう。どこかが接地していて崩れないのなら、足場ごと崩してしまえば良い。
だが、レグノスもそうしてくるだろうと予測していた。だから、対応がどちらが先に仕掛けたかと目を見張るほどに迅い。
その結果がイングウェイもまたレグノスの能力によって、触れられた箇所から引っ張られるようにして宙に舞うというもの。崩しても自分が攻撃に体重を乗せられない状況では破壊力とて半減してしまう。しかし――レグノスは違う。
腕を大きく引く。膨大な闘気が刺突の構えを見せる爪に宿った。
尾ごとイングウェイの身体を引き寄せ、その勢いを以って一撃で仕留める破壊力を乗せる算段――。
その只中で。引き寄せられながらもイングウェイは上半身を捻りながらも掌底を突き出す。ぎりぎりを回避しながらの何気ない動作。手打ちで体重も乗らないそれでは、闘気が込められていようとレグノスの強固な鱗を打ち破ることはできない。
レグノスの攻撃は鋭く、それに対する技としては回避も攻撃も中途半端。刺突の直撃こそ避けたものの、イングウェイの胸板が切り裂かれて血風が舞う。
しかし、実際は。
「かはッ……!?」
苦悶と驚愕に呼気が漏れたのはレグノスの方だ。イングウェイの掌底に込められた闘気の波、生命反応の輝きが、見た目通りの技ではない事を物語っている。
イングウェイは――トランス状態と言えばいいのか。極度の集中力に目を見開きながらも先程の技を繰り出していた。それほどの集中力を要する、会心の一撃。
魔力衝撃波に近い絶技。波長を変えた闘気の衝撃を掌底から発して敵の体内に叩き込むというもの。体重の乗らない体勢、距離であっても闘気の防御、表皮や鎧の防護を貫通して、趨勢を決定づける程のダメージを与える技だ。
恐らくは、レグノスの返し手を読んでいて、最初からそうすると決めていた。
だとしても実戦で、実力の近い相手に繰り出すにはイングウェイ側にも多大なリスクのある技であり、一歩間違えればそのまま負けや共倒れになってもおかしくはないほどのタイミングだった。
衝撃のダメージは全く予期していないものであり、見た目以上の破壊力があったのだろう。崩れる。尾に、四肢に、込められていた力が、闘気が緩む。
その一瞬をイングウェイは見逃さなかった。
「お――おおぉぉぉおッ!」
逆にレグノスの尾を引き寄せるようにして、体勢を入れ替え、咆哮と共に闘気を乗せた一撃を、連撃を、空中で叩き込む。
落ちてくる。舞台の上に落ちてくる。落ちると同時に叩き込んだ正拳が決め手だった。
「がはッ!」
舞台を砕き、破片を飛び散らせ、レグノスの身体が弾む。そうして――レグノスは、そのまま立ち上がる事が出来なかった。