番外1891 凍気の渦の中で
勇壮な音楽に切り替わり、次の試合への期待を盛り上げる中で――やがてイングウェイとイェルダが姿を現す。
武官、文官達に先導されてやってきた二人は、大歓声の中で一礼し、そうして向かい合った。
「継承戦の前だから言葉を交わすことは控えていたけれど、こうやって皆の前でならこれぐらいは大丈夫でしょ。いつぞやは世話になったわね」
「私が北方を訪れた時のことですな。こちらこそ世話になりました」
イェルダがにやりと笑う。親しげながらも好戦的な笑みだ。対するイングウェイも、そんなイェルダの言葉と表情に楽しそうに笑った。
「ふ……。こうやってこの舞台の上で見える時を楽しみにしていたわ。できれば決勝戦が良かったのだけれど、こればかりは如何ともし難いわね」
「それは高く買っていただいたものです。こちらも全力を尽くす所存ですよ」
「ええ。お互い悔いのない戦いにしましょう」
闘気を高め、互いへの戦意を見せながらも笑い合う。
「二人は知り合いなのね」
「冒険者に近い活動をしていたなら、協力して何かをしたんじゃないかしら」
母さんとロゼッタがそんなやり取りに相好を崩していた。
確かに。割と親しいというか、互いの力を認め合っている戦友のような……そんな雰囲気がある。
武者修行であちこち出向いているイングウェイは、イェルダと知り合ったら一緒に魔物退治や遺跡や秘境の調査に出かけたりだとか……そういったことは積極的にしそうだな。
その辺りの話も気になるところではある。継承戦の後で話を聞いてみるのも面白いかも知れない。
「候補者同士の関係が良好なのは喜ばしい事だな」
イグナード王もそんな風に言って、氏族長達もうんうんと首肯していた。戦いまで馴れ合いになっては困るが、イングウェイとイェルダに関して言うならそんな心配はなさそうだしな。
観客達もイングウェイ達の様子に盛り上がっている様子である。
「それではこれより、二回戦第一試合を始めます!」
猫文官の司会進行を受けて、イグナード王が立ち上がる。イングウェイとイェルダは構えを取り――闘気と魔力を漲らせていく。チリチリと四肢から火花が散って、周囲の空気が重く感じる程の戦意を互いに向けていた。
「では――始めッ!」
そうして……掲げられた腕が振り下ろされると共に銅鑼の音が鳴り響き、戦いの火蓋が切られた。
銅鑼が打ち鳴らされると同時に、互いが互いに向かって突っ込む。闘気と凍気の煌めきを空中に残しながらも、凄まじい相対速度で近付いて一足飛びにぶつかり合う、その前にイェルダの両腕に氷の爪を備えた手甲が形成されていた。
激突。横薙ぎに切り込んできた氷爪を、闘気を集中させた腕で受ける。切り裂くには至らない。十分な量と質を備えた闘気ならば、獣人達の毛皮はそのまま鎧と化すからだ。
受け止めながらも滑り込むような体捌きからの反撃。目の覚めるような速度で鳩尾に向かって突き込まれる拳を、イェルダもまた足捌きと手甲によって逸らし、至近から凍気を浴びせる。広範囲を凍り付かせるような凍気波を受けるも、イングウェイは闘気の形を変える事によって瞬時に凍り付いた箇所を砕き、腕を振るって逆に散弾として利用した。
予期しているというように、イェルダも流れるように身を交わして更なる爪撃を見舞う。
やはり、お互いの手の内、実力を知っているという動きだ。どこかで共闘なり協力なりをしているのだろう。
凄まじい速度で流星のように光の尾を引いて、互いの攻撃が空中に軌跡を描き、火花と衝撃を弾けさせる。
ぶつかり合い、弾き、逸らし、踏み込んで跳ね上げるように。拳が、爪が、蹴りが飛び交う。
速度は同等。力ではイングウェイが勝るように見えるが、特殊能力を加味するとその部分はイェルダだ。イェルダは闘気と魔力の複合なので、闘気の量という単純比較でも優劣がつきにくく、結果はどうなるか予想は付かない。お互いの作戦や手札の数。勝負所を見極めるセンスや押し切る気合。一瞬の判断。そういった部分が勝敗を分けてくるだろう。
瞬き一つの間に行われる無数のやり取り。浅い一撃と思わせてタイミングをずらすように至近から放たれる闘気と凍気。回避しようとするところを埋めるように放たれる膝蹴り。虚と思わせ実、実と思わせ虚。フェイントと本命の攻撃が混じり合う、濃密な攻防。
火花と氷の欠片が飛び散る。闘気や普通の魔力がぶつかり合うのとも違う、独特の煌めき。お互いに直撃を許さない技量を持つことも相まって、舞い散る花の中で踊っているかのようだ。
但し、一つ一つの攻撃自体の重さや鋭さは相当なものがある。軽く放たれた牽制のように見せかけながらインパクトのタイミングで闘気が送り込まれたり、氷の爪が瞬間的に伸縮して間合いを狂わせたりと、実戦的且つ凶悪な技が混ぜ込まれているからだ。
正面から相手の意表を突くようなそれらの技を見切るには、相手の闘気や魔力の動き、体重の乗せ方といった微細な部分を感じ取らねばならない。
二人の場合であれば――例えば闘気や魔力をレーダーのように広げて視覚以外のもので察知するか、或いは闘気技の使い手としての知識、経験と勘。純粋な反応速度、体捌きによってそもそも技が有効な距離を外す。そういったもので対応する必要があるわけだ。
ただ……直撃を許していないというだけで回避しきれるものではない。互いの攻撃が掠め、受け止めた爪、掌、腕や足に込めた闘気防御の上から斬撃や衝撃、低温をぶつけ合う。そんな技の応酬の中で、二人はそれでも楽しそうに笑っていた。
その表情は歓喜か。互いに好敵手として認めた者の研鑽を見て、自身の持てる技の数々への対応を見るのが楽しいのだろう。
そんな二人が技の応酬の中で感じる想いは観客にも伝播する。足を踏み鳴らし、うねるような歓声と咆哮に包まれて、舞台周辺の熱気は最高潮に達していた。
しかしそれと反するように――。
「……結界の内部の温度がどんどん下がっているわ」
そう呟くように言ったのはイルムヒルトだ。低温の爪撃が幾重にも繰り出され、地を這うような凍結波が走り、舞台上に4条の氷結痕が刻まれる。例え回避してもそれは結界内部という限定された空間に影響を与えている。意図してのものであるなら、イェルダが自身の有利になるフィールドを整えているということだ。そして、純粋な闘気技を使う格闘者であるイングウェイには、それ自体を止めたり無効化する方法そのものはない。ある程度相手の術中に付き合った上で、それを食い破る必要がある。
爪と爪が交差し、お互い弾かれるように後方に退いた、その時だ。
「行くわよ……!」
決然とした表情のイェルダが、踏み鳴らすように片足を舞台に叩きつけた。変化は劇的だ。
薄く水の波が地面すれすれを走ったかと思うと、舞台上が瞬時に凍り付いたのだ。
1回戦でも見せた過冷却の応用。結界内部の温度を下げた事で、消耗を少なく、より広範囲に影響を及ぼしたのだろう。
凍り付いた足場の悪さ。凍気技の威力向上と結界内部の低温からなる相乗効果での体力の消耗。
イェルダが本領を発揮するためのフィールドの完成というわけだ。
行動の阻害も低温も、極寒の地での活動に適したイェルダには効果を及ぼさない。自身の強化と相手の弱体化を兼ねる上に、それを作り出すまでの過程そのものを、攻防の中に組み込めるという合理性がある。
それでも――いや、だからこそか。イングウェイはそのイェルダの技に、驚愕と喜びを示していた。脚部にも闘気を集中させ、脚部の爪で靴を突き破ると、スパイクのように使ってイェルダに向かって突っ込んでいく。
イェルダもまた、これまで以上の速度でイングウェイに向かって突っ込んでいった。白銀に煌めくような毛色の両者が、流星のような速度で交差して激突する。
すれ違いざまの爪撃。イングウェイは爪をスパイク代わりに。イェルダは氷の上を滑走するようにして、お互い凍り付いた足場であることなど感じさせない動きだ。
北方にも訪れていた事。満遍なく鍛えていることも相まってイングウェイの動きは流石だが――それでも氷上の経験値の違いもあるのだろう。
イェルダの方が機動力、体捌きでは勝る。拮抗していたのが崩れたことで、僅かにイェルダが一瞬一瞬の攻防で上手を行き、攻撃を受けさせる場面が増えてきた。
それはつまり、低温によるダメージの蓄積が起こるということでもある。手足の感覚を奪い、そのままではやがて破綻に結び付くだろう。
それを――イングウェイは闘気を噴出させることで軽減させている。それでも、毛皮に細かな氷が付着していく。動きを阻害し、体力を奪っていく。
対抗するようにイングウェイが闘気の技を繰り出す。舞台に闘気を撃ち込み、イェルダの移動地点を塞ぐように噴出させ、回避する場所に踏み込んでいく。足場を破壊することで滑走できる空間を限定する意味合いもあるな。砕けた場所すら再び凍り付いていくが、その上を滑ることはできない。
イングウェイが一回戦で見せた残像技法の応用とばかりに、繰り出される拳足がぶれて打点をずらした攻撃を叩き込んだかと思えば、残像が見切られることは承知の上とばかりに時間差で闘気を動かし、闘気の残像そのものを当てる瞬間の威力を増強させたりといった応用技を見せる。
イェルダも目を見開き、そして笑う。
削り合い、騙し合いながらも技量を競う、濃密な時間。イェルダの動きの予想。もしくは滑走移動への慣れか。イングウェイが追い付く場面も増える。
冒険者としての活動をしていたイェルダに対して、純粋な武芸者であったイングウェイの違いと言うべきか。有利なフィールドを作るというのも冒険者らしく、その動きを読みと経験で埋めるというのも武芸者らしい。
予想と先置きの闘気噴出で機動力の差を埋め――踏み込んだイングウェイが裏拳を撃ち込む。氷の手甲で受けたその瞬間に。
「今ッ!」
噴出した闘気の渦が、イェルダの氷の手甲ごと巻き込むような動きを見せた。闘気による捕縛技。イェルダの反応は速い。瞬時に手甲が砕け、グローブを脱ぎ棄てるように腕を引き抜く。
それも予期していたというように、イングウェイから噴出した闘気が身体にも巻き付いてイェルダの離脱を許さない。イングウェイの描いた勝ち筋は、打撃ではなく――。
「ちぃっ!」
舌打ちしたイェルダの身体からも凍気が噴出した。表層を凍り付かせる程度ではなく、持てる魔力を大量に使った氷結。離れないならばこのまま冷気で仕留めると言わんばかりだ。
イングウェイもまた、退かなかった。咆哮したかと思うと爆発的な闘気を前身に漲らせ、凍結するに任せてイェルダの腕を捉え、抱えたままで高く跳躍する。闘気に任せた力技。これもまた、闘気と魔力の複合であるイェルダよりもイングウェイの勝る部分ではある。
「はあああああッ!」
「おおおおおッ!」
両者の裂帛の気合が重なる。渦巻く凍気がイングウェイを包み込み、全身に纏った闘気と干渉して火花を散らしながらも――爆ぜるような勢いで噴出したイングウェイの闘気によって、加速して落ちてくる。舞台上に、落ちてくる。
氷と石の破砕音が響き渡った。微細な氷の欠片と土煙が舞って――その中に影が揺らいだ。
立ち込める煙が薄れてくれば――そこに立っていたのは一人。イングウェイだ。
イェルダは……跪いた体勢から立ち上がろうとして、氷の爪を形成しようとするが、その途中でふっと笑って、脱力したように崩れ落ちたのであった。