番外1884 イングウェイの緒戦
「ただいまより後半戦、第一試合を始めます!」
猫文官の宣言と共にイグナード王が立ち上がる。これから始まる戦いを期待してか、観客達のあげる咆哮と、タイミングを合わせて地面を踏み鳴らす音とが響いて、舞台周辺の熱気は最高潮だ。
イグナード王がこれから合図をすると示すために頭上に手を掲げると、咆哮と踏み鳴らす音が静かになっていく。その時を聞き逃すまいとするかのようだ。
イングウェイと熊の獣人ボルゾロ。二人の候補者が闘気を漲らせ、四肢から火花を散らす。
「それでは――始めっ!」
腕を振り下ろし、銅鑼が打ち鳴らされる。その瞬間、舞台上で向かい合っていたイングウェイとボルゾロが同時に互いに向かって突っ込んでいった。
イングウェイの速度は凄まじい。さながら白銀の流星。目の覚めるような初速で以って、ボルゾロに向かって踏み込んでいく。
「むっ!」
それを見て取ったボルゾロも、タイミングを合わせるように対応して見せた。相手に向かって飛び込もうとしたそれを踏み込みに変えて、爪に闘気を纏って迎撃するように振るう。イングウェイもまた、爪に煌めく闘気を纏ってボルゾロの攻撃に合わせ、叩きつけるように腕を振るう。闘気と闘気がぶつかり合うスパーク光が後半戦の開幕を祝うように、盛大に弾けた。
そのまま互いに一歩も退かず、爪撃で切り結ぶ。
一見して灰色熊の分厚い爪に対抗するにはイングウェイの爪の大きさは心許なく見えるが、打ち負けるようなことはない。四肢から闘気の火花を散らしながらも暴風のような連撃と真っ向から打ちあう。打撃戦。しかし無数のやり取りをしながらもお互いに直撃はない。
ボルゾロもまた獣王候補者。十分な実力を備えていることが伺える。ケルネとツェレンの息の詰まるような技術戦とはまた趣が異なる、派手な開幕と言えよう。
「おおおッ!」
咆哮を上げたボルゾロの、横薙ぎの爪撃がイングウェイを胴薙ぎにするように迫る。しかし――。白銀の残像だけを残すように。間合いの内側へとイングウェイは踏み込んでいた。先程の踏み込みよりも速い。すれ違いざまに放たれた爪撃がボルゾロの脇腹を薙ぐが――。
ダメージには至っていない。闘気の集中による防御が間に合っている。毛皮に纏わせる闘気の防壁は、さながら鎧を思わせるような堅牢さだ。しかし――。
「ぐっ!?」
止まらない。イングウェイは止まらない。すれ違いざまの爪撃を見舞ったかと思えばすぐさま反転。向き直るボルゾロに向かって突撃していく。合わせるように爪撃を突き込み、隙あらばイングウェイを掴み取ろうという動きを見せるボルゾロだったが、爪も掌握も空を切る。当たらない。捕まらない。
「お、おい……!?」
「すげえ……」
その攻防を見て、呆然とした声が観客達から漏れる。天井を知らないかのようにイングウェイの速度が一段、また一段ギアを上げていくのだ。
「くっ!」
最初は対応できていたボルゾロも――次第に追いつけなくなって、段々と防戦一方になっていく。速度もそうだが力もだ。大柄なボルゾロに比するとイングウェイの体格は小さいと言えるが、体重で劣るはずの相手に力で打ち負けていない。それはつまり、闘気の練度という面で差があるということで――。
「ぐ、ぐおっ……おおおおッ!」
踏み込みと離脱。足捌きを交えた高速機動の中に爪撃と打撃が入り混じり――その嵐にボルゾロが飲み込まれそうになる。劣勢を跳ね返すかのように咆哮したかと見せると、ボルゾロもまた勝負を仕掛けていた。突き込まれる打撃の中から一つを選び、自らの身体で受け止めながらも踏み込んでいた。狙うは――掴み技。速度で劣るならば掴んでしまえば勝機も見出せると、被弾覚悟で踏み込んだのだ。そして。
ボルゾロの目が見開かれる。
「今のは――」
どよめきが起こり、グレイスやシーラ、イグナード王や氏族長といった闘気で戦う面々も反応していた。
掴み取ろうとした腕は空を切っていた。ボルゾロは確実に捉え切れるタイミングだと踏んでいたのだろうが、それ以上に――。
イングウェイは……闘気を全身に纏い、その場に残しながら離脱することで残像を残すように動いて見せたのだ。観戦席から見ているからイングウェイが何をしたのかが分かるが、実際に対面して戦っていたらもっと視覚的な幻惑効果は高いだろう。
一瞬の事であるが、効果は十分。イングウェイの動きを見失ったボルゾロの脇腹、鳩尾、肩口にイングウェイの連撃が叩き込まれる。
「ぐっ……ふっ……!」
巨体が膝をつく。闘気の込められた拳足や掌底は見た目以上に重く破壊力がある。加えて速度で上回る相手を一度見失ってしまったから、闘気の集中による防御も万全ではない。ボルゾロは苦悶の声を漏らして舞台上に膝をつき……そして立ち上がれなかった。
「そこまで! 勝者イングウェイ!」
審判の声が響き、イングウェイの勝利が宣言される。治療班が駆け寄ってボルゾロの状態を確認し、治癒術を施していた。
鳩尾への掌底もそうだが、致命的なダメージにならないようには加減していたようなので命への別状はあるまい。生命反応の輝きも……ダメージを受けて揺らいではいるが問題のないレベルだ。
「凄いな……。ボルゾロにとって厳しい緒戦になるだろうとは思っていたが……更にできるようになった。同じ氏族の一員としては複雑な心境ではあるが、獣王国の一員としては頼もしいことだ」
「あの闘気術は修行の賜物というわけですな……」
熊獣人の氏族長が感嘆の声を漏らすと、他の氏族長達も感心したというように頷いていた。緒戦から手札を披露してきたイングウェイだが……あの技は分かっていても中々対策の難しい部類だろう。闘気や魔力による探知網の展開やイルムヒルトの温度感知など、視覚以外で相手を捉える手段がないと対応が難しくなる。
とはいえ、グレイスもそうだが、闘気を纏うことで視界外から飛来するものの感知はできる。イングウェイ自身もそれで実体と非実体を区別することはできるだろうから……イグナード王には通じないと判断しているか。だからこそこの段階で技を見せた、とも言えるな。
「出し惜しみする必要がないというのは、見る側としては良いものですね」
「そうだね。色んな技を見られて面白い」
微笑むグレイスに笑って応じる。グレイスも闘気術については自身の戦い方に関わるから色々と研究しているしな。獣王や候補者達の闘気術は色々と参考になるのだろう。
その辺はシーラやヴィンクルもそうだ。真剣な目で観戦しているな。
舞台上では治療を終えて回復してきたボルゾロがイングウェイに話かけているようだ。
「流石はイングウェイ殿……もう少し善戦できるかと思ったのだが」
「いやいや。そう仰いながらも必殺の一撃を狙っているのは感じておりました」
ボルゾロは見た目通りのパワーファイター。爪撃や投げ、掴み技等をまともに食らったら実際大きなダメージを受けるのは間違いないだろうからな。
そうして拍手喝采を浴びながらも、イングウェイとボルゾロは再び一礼すると王城へと戻っていった。
続く第二試合はイェルダと鷹獣人の試合だな。イェルダも注目している候補者の一人であるが……。独自の技を使うという前情報を得ているので、その戦いぶりが気になるところだ。ユキヒョウ獣人ということで極地の活動に強い。孤児院を支援しながら冒険者のような活動をしている、と色々興味深い情報が多い人物であるが……。
ともあれ、第二試合で勝った方がイングウェイの次の試合の相手、ということになるな。さて。どうなることやら。