255 王の病
「恐らくは母がその術式の片割れを預かってシルヴァトリアを出奔したのでしょう。そちらは僕が知っているので……完全な形として僕の頭の中にあります」
と言うと、みんなの視線が集まった。
「ああ……。だからジルボルト侯爵にリサ様の魔法を探させたのですね」
グレイスが目を閉じて、小さく息をつく。
「うん。今の話で色々納得がいった部分はある」
記憶解放の術式をザディアスから隠すならば、自分の記憶を隠蔽するわけにはいかない。だから長老達の保有する魔法を持っている可能性は高いわけだ。確証があろうがなかろうが、賢者の学連にいた魔術師をザディアスが探すのは……まあ、当然だろう。
「そう……。リサ様は……」
ステファニア姫は小さな頃に船でヴェルドガルに渡る際、母さんにも会っているという話だったか。
ともかく母さんはタームウィルズへ向かい、それから迷宮に潜る冒険者となり……やがて父さんと出会ったというわけだ。
まあ、ステファニア姫と会ったのは冒険者時代になってからかも知れないが。母さんとて、シルヴァトリアの情勢を探ったりもしただろうしな。
「これは母さんにとっても気がかりなことだったのではないかと思うのです」
「テオドール様……」
アシュレイが心配そうに眉根を寄せる。マルレーンが何か言いたげにステファニア姫を見やると、彼女は苦笑した。
「あなたは異界大使ではあるけれど……その魔法をザディアスに渡そうというのでもない限り、ヴェルドガルはその魔法の扱い方について何かを口出しする立場にないわ。シルヴァトリアに対して何かの駆け引きに使おうとは私は思わないし、父上だって同じはず。私はアドリアーナから片割れを預かったけれど……私も同じように、その欠片をあなたに預ける」
「ありがとうございます」
ステファニア姫の立場もあるし、メルヴィン王への報告は通信機でしっかりやっておかないとな。まあ……ここはアルフレッドから伝えてもらうか。
「何はともあれ。まずはエベルバート陛下の体調と考えを知ることからかしらね。エベルバート王に事実を知らせて良いのかどうか」
クラウディアが言う。
……それだな。ザディアスと共犯であるという最悪のケースは潰れたように思うが、奴の所業が心労になってしまう部分はあるだろう。病床に臥せっているとしか知らされていないだけに……状態によってはありのままを伝えて良いのかどうかという問題が残っている。
なるべくエベルバート王の受ける衝撃が少なくなるようにしたいものだ。
「アドリアーナ殿下への連絡は? 私達が引き継いだ点については知らせておいたほうがいいのではないかしら」
「私から書状を送るわ。退屈には飽きているし、挨拶と一緒にまた小さな頃のように遊びたいと書いておけば、私が協力することはアドリアーナにも伝わるでしょう。……魔物退治ごっこと書きたいところだけど、これは暗喩でも直接的過ぎるかしら?」
そんなふうにステファニア姫は苦笑する。魔物退治ごっことはまた。ザディアスに対してのステファニア姫の率直な見解なのだろうが。
「……やっていたの? そんなこと」
「ん、んん。小さな頃の話よ」
ローズマリーが少し呆れたような表情を見せると、ステファニア姫は少し顔を赤らめて咳払いをする。
「アドリアーナ殿下の身の安全も確保したいところですね」
「そうね。まあ、盗み見られても問題のない文面を考えてみましょう」
アドリアーナ姫の暗喩的な密書を前提に、彼女だけに通じる意味合いにするわけだから……やり取りの途中から読んでも裏の意味は更に分かりにくくなるだろうか。
彼女達はああでもないこうでもないと、書状の文面を細かく話し合い始める。打ち合わせの様子は何やら楽しそうでもあった。
アドリアーナ姫に協力する旨の書状を送り、そこから後は訪問者もなく、こちらも外を出歩かずと、表面上は静かなものであった。
そして、エベルバート王との約束の日はすぐに訪れる。
「どうぞこちらへ」
馬車で王城へ向かった俺達を出迎えて案内してくれたのは、最初に王城を訪れた時と同じ、侍女のカルメーラであった。
シーラ、テフラ、アンブラム、ラヴィーネ、イグニスといった面々は一先ず居残りだ。テフラはザディアスの所業の証人ではあるのだが、フードを付けたままというわけにもいかず、かと言って更にザディアスと鉢合わせさせるわけにもいかないところがある。こちらの状況を見ながら、最も効果的なタイミングでジルボルト侯爵と共にこちらに合流してもらおうと考えている。何かあれば通信機でやり取りできるから問題はないが。
王城の広々とした通路を進み、謁見の間を通り過ぎる。王族が生活する区画の手前まで来たところでカルメーラはこちらに向き直り、頭を下げてきた。
「私はここまででございます」
案内役を別の女官が引き継ぐ。王城の奥に出入り可能な者を侍女でも限定しているあたり――エベルバート王の容態については割と神経質に情報を隠匿しているようだ。
「エベルバート陛下がお待ちです。しかし、この部屋にお通しする前に、幾つかお伝えしておきたいことがあります」
女官は一際大きな扉の前に来たところで、俺達に向き直ってそんなふうに言ってくる。
「何でしょうか?」
「まず最初に……ステファニア殿下のご記憶にある陛下とは、ややお姿が異なるかも知れません。それから、治癒の結果がどうあれ、陛下について見たこと、聞いたことは全て他言無用にお願いしたいと」
「……分かりました。ヴェルドガル王国の名誉にかけて約束します」
ステファニア姫の言葉に女官は頷くと扉をノックする。
「ステファニア殿下がお出でになりました」
「うむ、通すがよい」
部屋の中から返事が返ってくると、扉が奥へとゆっくり開いていった。
広々とした部屋。中には近衛の魔法騎士が数名控えている。典医。それに宮廷魔術師。他の王族達はいないようだ。あくまでも側近だけというところだろう。ザディアスがいないというのは……まあ、やりやすい話ではあるかな。
ステファニア姫が部屋の主に作法に従って一礼する。俺達もそれに倣う。
「……ご無沙汰しております、陛下」
「よくぞ来たな。まずは面を上げて、顔を見せてはもらえぬか。供の者達もだ。余の治療をしようというのだ。顔をよく見ておきたい」
部屋の主――エベルバート王は寝台の上にいた。顔の右半分が、まるで竜のような姿に変じていた。これは……病気というより変身の途上と言ったほうがしっくりくるかも知れない。
「……うむ。ステファニア姫は随分と美しくなった。余はこのような姿に成り果ててしまったがな」
エベルバート王は俺達の顔を見渡した後、目を細める。竜と化した半身もまた笑う。
「床に臥せておられると聞き及び、御身を案じておりました」
「進行の際に痛みはあるが……何、命に別状はない。まあ、難儀はしているがな。これでは人前にも出られん」
と、冗談めかして言うが……納得だ。使者に会えなかった理由というのがこれか。
「普通の治癒魔法では治らず、シルヴァトリアに伝わる特異な治癒魔法でもまた、意味がない。一時的に姿を戻すことはできても、短い間に元の木阿弥になってしまうのでな。強い痛みを長く味わうだけだから、こうして放置するに任せておるのだよ」
「なるほど……。そういうことでしたか」
「ヴェルドガルの使者については無礼なことをした。言い訳をするわけではないが、あれは時期が悪かったのだ。今よりも調子が悪く、痛みのために話をすることも難しかった。影武者を立てるという案も持ち上がったのだが、それはそれで、諸侯にあらぬ誤解を招きそうで二の足を踏んでいるという部分もあってな」
「……心中お察しします」
シルヴァトリアの特異な治癒魔法。母さんが治癒に使っていた再構築の魔法だな。
しかし……肉体の再構築では治らず、病状が進行するとなると……これは普通の病気とは言い難い。呪いの類でなければ魔力資質絡み……か?
「詮方ないことだ。これはシルヴァトリアの王が抱える、宿命のようなものでもある」
「原因が分かっているのですか? ……それは、いったい」
「くれぐれも他言無用であるぞ?」
エベルバート王は困ったように笑う。
「シルヴァトリアは古き魔人に恨まれていると言われておる。故に、シルヴァトリアの長となったものは呪いが国全体に向かわぬよう、それを散らす儀式を毎年執り行う必要があるのだ。だが……その儀式は完全なものではなく、僅かな代償が必要でな」
それは……ヴェルドガルの国王が国守りの儀を行っているようなものだろうか?
「代償……まさかそれが」
「うむ。肉体が儀式の度に少しずつ蝕まれるのだよ。普通は一時的に体調を崩すだけで大きな問題がないのだが……魔力資質次第では、こうして変異が起きてしまうことがある。余も老いたからだろう。変異の速度が増している」
つまりこれは……瘴気による侵食か。
魔人は滅び去る時に何も残さない連中だ。古き魔人というのが、魔人の盟主を指しているとすれば、これは……。
盟主は滅んだわけではない。封印されただけだ。覚醒……つまり魔人の変異を促す盟主の瘴気特性が、エベルバート王の症状にも共通するというのなら……変異については色々と符合する。ガルディニスの作った半魔人の例だってあるのだし。
「……というわけだ。要するにこんな話をするのはだな。今までとは違う手法を取ると言っていたが、効果が無かったとしても余はそなたらを責めはせんということよ」
そんなふうに、エベルバート王は笑った。
だが……どうだろうか。魔力循環は魔人に対抗するための技術だ。そしてシルヴァトリアから、失われた技術でもある。循環錬気で……ここまで瘴気に蝕まれた肉体を、中和して浄化するというのは可能だろうか?




