番外1863 湖での語らい
「うふふ。里帰りの時に掃除してもらうのは良いものね。何時も綺麗に使ってもらっているし、大切にされているって感じるの」
早速みんなで手分けして掃除を行っていくと、フローリアはかなり機嫌が良さそうな様子でそんな風に言っていた。
「フローリアはこっちが本体だもんね。東区の別邸やフォレスタニア城に株分けはしているけれど」
「そうね。それに今年からは私にとっては嬉しい顔ぶれが増えているもの」
そう言って少しだけ母さんや子供達の方に視線を巡らせて微笑むフローリアである。冥府の事はあまり大っぴらにできないから外では仮面をつけているということもあって、明言を避けてくれているが、やはりフローリアにとって母さんは特別、ということだろう。
人々の想いを集めて高位の木精霊と成るに至ったのも、母さんの家だったからという部分が大きいし。
「家が賑やかだと楽しいものね」
母さんもしみじみと頷いていた。
そんな調子でフローリアが見守る中、ヴィンクルも三角巾をして箒を手に掃き掃除をしているな。
「住処を清潔にするのは身体機能を保つ上でも良い事だ」
そう分析しながらも真面目に掃除をしているヴィンクルである。掃除のコツをグレイスに習ったりして、しっかりと掃除をしていた。
空気まで風魔法で浄化したところで掃除も一段落だ。
食事については父さんのところで済ませてきているから、夕食の準備までは比較的のんびりしていられるだろう。
そんなわけでみんなと腰を落ち着けて茶を飲んでから、家周辺の散策に行こうという事になった。
「紅葉も今年はまだ完璧ではないですが、丁度色づいてきてかなり綺麗ですよ」
ハロルドが紅葉の具合について教えてくれる。
「緑が混ざっている時期もそれはそれで良いわね」
と、クラウディア。マルレーンもその言葉にこくこくと首を縦に振る。
「留守番は任せて下さい」
シンシアもそんな風に申し出てくれたので、そのまま家の近くにある湖周りを散策してみようと、連れ立って外へと向かう。
「湖周辺は秋になるとこのあたりの見所の一つじゃないかなって思う」
「見晴らしも良いですし、湖面に森が映って綺麗ですからね」
グレイスが俺の言葉に同意する。色付き始めた木立を抜けて湖が見渡せるところまで行くと一気に視界が開けて、遠くの森が見渡せるようになる。
「ああ。良い色合いね」
「確かに緑混じりも素敵だわ」
ローズマリーやイルムヒルトが頷く。湖面に映った景色と対岸に見える遠くの森が何とも綺麗だ。
フォレスタニアのデザインをする時に湖は参考にさせてもらったところがあるが……やっぱりここの景色は好きだな。
紅葉に見惚れながらも湖に近づいていく。
「船着き場や小舟もちゃんと整備されているのね」
母さんが微笑む。船着き場も俺が小さな頃からあるし、母さんやグレイスと一緒に小舟に乗った記憶も朧気ながらある。桟橋や小舟もきちんと整備されていて綺麗なものだ。
「小さい頃に乗った記憶もあるよ。懐かしいな」
そうやって母さんと一緒に昔のことを懐かしんでいると、折角なら一緒に小舟に乗ってきてはどうかとグレイスから提案された。
「普段はみんなと一緒だものね。この小舟に大人数では乗れないし」
「そういうゆっくりとした時間も良いものです」
そんな風に勧めてくれるステファニアとエレナである。
「んー。それじゃあ折角だし」
「ふふ。ありがとう、みんな」
「ん。いってらっしゃい」
というわけで母さんと一緒に小舟に乗り込み、みんなに見送られる形で湖に出る。術式に頼らず、オールを漕いでのんびりとした湖の周遊だ。
みんなは――湖の畔から微笑ましそうに見守ってくれているといった感じだ。
「あ。仮面は外しても大丈夫だよ。外からは幻術で仮面がそのままになっているように見せて、誤魔化しておくから」
「あら。ありがとう」
母さんは仮面を外すと俺を見て、目を細める。
「昔はグレイスちゃんがテオを見てくれて私が小舟を漕いでいたものだけれど……こうして漕いでもらう立場になると、感慨深いものがあるわ」
「ああ。少し覚えてる。グレイスにこう、後ろからしっかり抱きしめられてたような」
「そうそう。グレイスちゃんは水遊びの経験が少なかったみたいでね。私が漕いでいるから、最初は自分がテオを守らなきゃって緊張していたみたいね」
母さんはその時の事を思い出したのか表情を綻ばせる。その後グレイスは泳ぎも母さんに教えて欲しいと頼んできたそうだ。
その後でグレイスはしっかり泳ぎ方も教えてもらったわけだ。俺はその頃まだ小さかったから、もう少し成長したらグレイスと一緒に泳げるようにしたい、と母さん達としては考えていたらしいが。
「しばらく後で……ガートナー伯爵領の水路に落ちた事があってね。その時にグレイスに助けてもらったよ」
俺が、景久の記憶を取り戻した時の話だな。だからあの時もグレイスや母さんに助けてもらったというわけだ。
「そう……。グレイスちゃんが頑張って泳ぎを覚えた甲斐もあるわね」
そんな風に言って母さんが畔でのんびりしているみんなを見やれば、グレイス達もこちらに向かって手を振ってきて、母さんも楽しそうに手を振り返す。
「その時に……前に話してた、前世の記憶が戻ってね。泳ぎ方も思い出しちゃったから、グレイスは泳ぎを教えられなくて少し残念だったかも知れない」
「ふふ。私もグレイスちゃんがテオに泳ぎを教えているところは見たかったかも」
そう言って悪戯っぽく笑う母さんである。
ああ、うん。当時の俺が幼かったのもあるが、グレイスが俺に泳ぎを教えているところを見たかったから泳ぎ方を教えることを急がなかったのだろう。昔からグレイスと俺が仲良くしていると母さんも楽しそうだったから。
「その辺は、少し悪い事をしたなって思ってる」
「ふふ。悪い事なんて何もないわ。二人とも立派になってくれたものね。確かに、二人が育っていくところを見ていたかったけれど……」
そこまで言うと、母さんは胸のあたりに手をやって目を閉じる。
「死睡の王の力の封印となっていた時も……暗闇の中でずっと感じていたわ。二人のことも、私に向けてくれる想いも」
「うん……」
「テオの強くなりたいっていう想いもね。大切な人を守れるようにって」
「墓参りの時に誓っていた事でもあるからね」
「そう。そしてグレイスちゃんもその隣で、テオを守りたいって想っていた。だから……少し危うくはあっても大丈夫だろうってそう信じられたのよ」
「そっか……」
母さんの言葉に俺も少し目を閉じる。それから目を開けると、母さんが微笑む。
「そうして、こんなにも立派になってくれた。確かに魔法や武術……色々教えることはできなかったけれど……私の遺したものも引き継いで、学連のみんなも助けてくれたものね。だから……私にとっての誇りでもあるわ。これからも近くで、見守っていけたら嬉しいわね」
母さんのその言葉に、視線を真っ直ぐに合わせて頷く。見守る、か。そうだな。母さんの普段からしても、その辺は意識してそう振舞ってくれているのだろう。
「少し早いけれど、誕生日おめでとうって先に言っておくわね」
「うん。ありがとう」
それから母さんも仮面を付け直して頷いた。少し立ち入った話もこれで一旦終わり、という意思表示でもあるだろうか。
「紅葉も湖も綺麗だね。来て良かった」
「ふふ。本当にね」
静かな湖とその周囲に広がる紅葉。秋の涼やかな空気。
そうして俺と母さんは風景をのんびりと眺めながらも湖を堪能してからみんなのところへと戻ったのであった。