番外1854 水晶の卵
ヴィンクルの方も脱皮に際しては足元に敷布を敷いて準備万端といったところだ。広間の主らしく、中央に陣取っている。
「ん。ヴィンクルも機嫌が良さそう」
近くに腰かけるティエーラやコルティエーラ、ユイと共に、広間の中央に身体を横たえていたがラストガーディアンの間にやってきた俺達を見ると軽く伸びをして迎えてくれる。
「脱皮が近いなら、楽な体勢のままでいいよ」
上体を起こそうとしたのでそう伝えると、口の端を軽く上げて小さくこくんと頷いた。身体を横たえたまま、代わりに尻尾を軽く振って応じてくる。うむ。
「身体自体は不調じゃなさそうだね」
そう答えると尻尾を縦に振って肯定の意を表してくる。
「無防備にはなっちゃうけれど、体調自体は悪くないって。みんな来てくれるから少し楽しいとも言ってたよ」
ユイもそんなヴィンクルの反応ににこにこと微笑んで応じる。
そうだな。本来ラストガーディアンは幼竜の形態を経る事なく迷宮に形成されていたからな。成長の節目となるような脱皮に関してはほぼ経験がないだろうし、安心して臨める環境を作っていくのはやはり大事だ。
「ペルナス達やメギアストラ女王達も、脱皮が終わったら顔を見せに来て欲しいって。食事を用意して待ってるって言っていたよ」
伝言を聞くとヴィンクルは軽く喉を鳴らす。楽しみにしている、ということで、上機嫌そうである。
脱皮に際して注意すべき点はないか水竜親子やメギアストラ女王、ルベレンシアにも話を聞きに行ったが……静かに横たわっていれば問題ないとのことだ。リスクがあるのも確かだがそのほとんどは一時的に無防備になる事によるものだそうなので。
あまり身動きが取れなくとも竜ならば吐息で大抵の外敵は一蹴できるが機動力という武器は失われている。脱皮した直後も鱗が柔らかい時間があるのでやはり危険度は高い、ということだ。だからペルナス達ならお互いを護れるようにするし、独立独歩の魔界竜なら安全な巣穴等に籠って、吐息が最大限機能する状況を作るということである。
念のために循環錬気も用いてヴィンクルの状態を見ておくが、魔力の流れ自体は正常だ。迷宮核での事前のシミュレーションに沿うもので、平常時の魔力とはやはり違うが、脱皮前ということを踏まえて見ると納得がいくものだ。
深奥に力強く脈打つような魔力があり……内側に力を溜め込んでいるような印象があるが、これは脱皮に備えてのものだ。反対に体表の魔力は普段よりも落ち着いていて……鱗より内側に活性化している部分がある、という印象だな。
「問題はなさそうだね。何かあったら遠慮なく言って欲しい」
そう言うと尻尾で返事をするヴィンクルである。軽く喉を鳴らすが……静かにするだとか気を遣わず、俺達が近くで普段通りにしていてくれると嬉しい、とのことだ。ラストガーディアンとして、護りたいものがそれだから、と。
「――分かった」
ヴィンクルの目を見て頷くと、それで納得してくれたようだ。脱皮が始まったら伝えると声を上げ、コルティエーラがそっと撫でるのに身を委ねるようにして目を閉じていた。
天幕を配置した場所はヴィンクルも視界に入るし、広間の中央からもそう離れてはいない。ヴィンクルとしても声がしっかり届いて穏やかに過ごせるだろう。そんなわけでみんなも天幕周辺にて、一先ず待機だ。
「少し迷宮核も覗いてくるね。迷宮に入っている人数や位置も把握しておく」
「付き合うわ。定期的に覗いてくることにしましょう」
「私も……迷宮核の使い方を学んでおきたいので一緒に行きましょう」
と、クラウディアとティエーラが一緒についてきてくれる。
「はい。いってらっしゃい」
「その間に料理の準備でもしておくわ」
グレイスやローズマリーがそう言って俺達を見送ってくれる。コルティエーラもヴィンクルの隣に腰かけたまま、宝珠を明滅させつつ手を振ってくれた。
ラストガーディアンの間から移動し、迷宮核の操作を行う。内部空間に入らずともできることはある。例えば、迷宮全体の簡易マップを表示してどこに何人ぐらいの冒険者が入っているかを把握したりだとか。
祭壇に手を翳してマップとリストを空間表示させておく。後は……そうだな。時間ごとの推移を見られるようにして、定時でリストを見に来れば迷宮に入っている人達の推移は把握できるだろう。
ティエーラは目を閉じているが、魔力文字で表示しているので、その魔力の揺らぎでマップやリストの数値も読み取る事ができている。
クラウディアもこういった操作は当然に身に着けているので、ティエーラに実際の練習してもらいながらの話だ。
「便利なものですね。生きるために作り上げられた工夫の――結晶を目の当たりにしていると感じられて……こういうお話を聞くのは好きですよ」
ティエーラは使い方や説明を聞いて微笑む。
「結晶……確かに」
クラウディアもその言葉に嬉しそうな表情で同意する。月の民の技術の集大成でもあるからな。結晶という例え方もティエーラらしいと思う。
「ティエーラからそうやって価値あるものって思って貰えるのは嬉しいね」
モチベーションが高いからか覚えが早くて教え甲斐もあるしな。そういった話もするとティエーラは楽しそうに肩を震わせる。
「ふふ。不慣れなので中々大変ですが、楽しいものです」
そんな調子でティエーラにいくつかの機能を伝えたりしながら進めていった。
迷宮核の間から戻ってくると、簡易竈での炊事が進められていて。仄かに良い香りが漂ってくる。
「ん。海産物たっぷりで嬉しい」
シーフードシチューということでシーラは耳と尻尾を反応させてテンションを上げている様子だ。料理としてもキャンプらしくて良い。
「ヴィンクルちゃん、そろそろだって」
ゴーレムを使って炊事の手伝い等をしていると、ユイがヴィンクルの状況を教えに来てくれた。
「分かった」
頷いてヴィンクルの様子を見に行く。
俺が近くまで行くと、しばらく迷宮の護りを頼む、と喉を鳴らして伝えてくる。
「了解。ヴィンクルのこともしっかり護るから、後のことは安心して集中してね」
そう言うと少しだけ口の端を上げて牙を見せて目を閉じ――足元から身体全体が卵のような形状の水晶に覆われていく。腕を交差させ、尾を丸めて抱えるようにして……水晶卵の中で動きを止めている。
脈動するような力強い魔力が発せられているが、ヴィンクル自身がみんなの見守ってくれている状況を喜んでいるからか、大きな魔力ではあってもプレッシャーのようなものは感じない。強く温かな魔力で……性質や印象として少しティエーラに似ているかも知れない。
コルティエーラの器になっていたこともあって、始原の精霊に近づいた部分もあるのだろうか。
そんな大きく温かな魔力を感じながらもイルムヒルトがリュートを手に取る。
セラフィナもイルムヒルトの肩に腰かけて、音色に合わせて楽しそうに歌声を響かせた。タームウィルズでも知られている子供の成長を喜ぶという内容で……明るく温かな雰囲気の曲だ。子供達をあやす意味でも、ヴィンクルの成長の節目でもぴったりな内容という印象だな。
ロメリアを腕に抱いてあやしつつ、みんなでイルムヒルトの奏でる曲に合わせて歌を歌ったりしながら夕食までの時間を過ごさせてもらった。
ともあれ今回の脱皮に関してはしばらく時間がかかる。迷宮防衛の仕事はきっちりと進めつつも、それ以外のところではのんびりと滞在させてもらうとしよう。