番外1853 幼竜の変化と共に
ヴィンクルの脱皮に際しては天幕を始めとした野営用の道具を持ち込み、迷宮中枢部で数日の間泊まり込みを行う。
脱皮の兆候が顕著になってからの対応なので、実際には中枢部に向かう前の段階としてしばらくフォレスタニアやタームウィルズに待機している必要がある。
執務、仮想空間や工房絡みの仕事に集中する旨を各国に通達しておき、それから泊まり込み用の天幕や簡易設備、食料といった物資をラストガーディアンの間に運び込むこととなった。
「天幕を張るのはこの辺りで大丈夫かな?」
そう尋ねると、ヴィンクルが一声上げて問題ないと応じると、翼をはためかせてラストガーディアンの間の一角に降り立った。
「ヴィンクルちゃん、この辺りに陣取って脱皮をするから、見やすいところなら大丈夫だろうって」
と、ユイが教えてくれる。
「そっか。じゃあ、ヴィンクルと入口と迷宮核への門が見える位置となると……ここかな」
「ん。天幕の入り口がこっちに向くように設営すれば全部視界に入る」
シーラが俺の言葉に応じる。
というわけで木魔法を用いてコルクのようなシートを形成して土台を作ってしまう。ラストガーディアンの間は建材が堅すぎる上に迷宮の管理下にあって再生するので、天幕を張ったりできないからだ。こういった物を敷いて、その上に天幕を張ればいい。
「この前、エインフェウスに遊びに行った時の野営用の準備がそのまま使えるのは楽ね」
「そうね。ふふ。みんなでこうやって準備を進めるのは、やっぱり楽しいわ」
ゴーレム達を使って天幕を張りつつ、ローズマリーとステファニアが言う。ステファニアのそんな言葉にマルレーンはにこにこしているが、ローズマリーは羽扇で表情を隠して目を閉じているな。
まあ、否定もしていないあたりローズマリーも楽しんでいそうではあるが。
天幕の位置も決まったので、それに応じてさらに簡易設備を周囲に配置していく。
厨房、風呂、トイレといった簡易設備の位置を決めて、必要に応じて間仕切りなどを設置する。
間隔、配置位置等の使い勝手はグレイスや母さんが早速確かめてくれていた。
「動きやすいし、良いのではないでしょうか?」
「そうねえ。火も天幕から離れているし、水回りを挟んでいるから火事の心配もないわ」
アシュレイと母さんがそんな風に言って笑顔で頷き合う。
「少し使い勝手を試してみましょうか」
「設営が終わったらお茶ですね」
グレイスとエレナもそんな風に言って。簡易厨房の使い勝手の確認も兼ねて焼き菓子を焼いたりお茶を淹れたりしてくれるようである。
イルムヒルトはセラフィナやサティレスと共にフロートポッドに乗った子供達をあやしてくれているな。歌を歌い、幻影の花を咲かせたりして、子供達と楽しそうにしている。
やがて天幕も張り終わったので中に敷布を敷き、寝袋や毛布を運び込む。
一方で、テントの周囲にはテーブルや椅子も置いたりして迷宮中枢部だというのにキャンプのような雰囲気だな。
「この場所でもヘルヴォルテと一緒に戦いを挑んだものだけれど……ここに天幕を設営して泊まり込みをすることになるなんて夢にも思わなかったわ」
「それは確かに」
苦笑するクラウディアとしみじみとした様子で頷いているヘルヴォルテだ。
そうして魔道具の動作確認といった細々とした仕事も、一通り終わったところで子供達を天幕の中に連れていく。
魔法の明かりで照らされて、落ち着ける空間だ。火を使っていないから火事になる心配もなく、大きめの天幕なので安心してみんなでのんびりと寛げそうである。
「良さそうだね」
「ん。敷布もふわふわしていて日干しにした匂いが気持ち良い」
早速天幕の中を転がっているシーラである。
「お茶が入ったようですよ」
天幕の中を覗き込んで知らせてくれたのは、顕現してきたティエーラだ。焼き菓子の香ばしい香りも周囲に漂ってきているな。
「ありがとう、ティエーラ」
「こういうのも……まあ楽しい」
「ふふ。少し普通の人達のような振る舞いでしたね」
宝珠を明滅させてこくんと頷くコルティエーラに、ティエーラも柔らかく笑って応じる。
そんなわけでみんなと共にお茶と焼き菓子で寛がせてもらう。ヴィンクルの脱皮は迷宮の護りに関することということもあって、ガーディアン面々も顔を出しているのでなかなか賑やかなものだ。
「準備もできたから、これでいつでも脱皮も迎えられるね」
そう言うと、ヴィンクルは一声上げて応じる。
「はい、どうぞ」
サティレスからお茶を手渡されるとヴィンクルはこくんと頷く。
そうして尻尾でお茶の注がれたカップを保持しつつ、爪の先で焼き菓子を摘まんでかじって機嫌良さそうに喉を鳴らしている。
尻尾はかなり器用に扱えるというだけでなく、先端だけで体重を支えて立つことのできるパワーやスタミナ、バランス感覚もあり……この辺は流石ラストガーディアンというか竜の身体能力という印象だ。
フィジカルだけでなく知力や魔力も含めて満遍なく超高水準というのがヴィンクルである。加えて言うならクラウディアやヘルヴォルテとの戦闘経験も積んでその記憶が残っているし、ユイ達と訓練もしているので魔法戦や肉弾戦に対しても対応力があったりする。多分……サティレスが加わる事で搦め手にも強くなるな。
まあ、今のヴィンクルはみんなと一緒に美味しそうに焼き菓子とお茶を楽しんでいたりして、幼竜らしい微笑ましさが出ている気がする。
どうせなら野営気分を、ということで焚火の幻影をサティレスが出してくれる。
明るいラストガーディアンの間が少し暗くなり、薪の爆ぜる音や揺らめく炎の温かさまで感じるのはサティレスの能力ならではだろう。
イルムヒルトがリュートを奏でると、ヴィンクルもみんなと一緒にリズムを取って身体を揺らしたりと、状況を楽しんでいるようだ。
「ヴィンクルは……以前のラストガーディアンだった頃や、新生した頃から色々と変わりましたね。私もそのようになれるでしょうか」
そんなヴィンクルの姿を見て、僅かに微笑みながら言うのはヘルヴォルテである。
「ふふ……。ヴィンクルもだけれど、そういう貴女も傍から見ると変わってきているのよ。昔よりずっと感情の表し方が豊かだものね」
クラウディアが言うとヴィンクルもにやりと笑い、ヘルヴォルテは小首を傾げて自分の頬に触れる。
「そう……なのでしょうか」
「ええ。」
意識していなかったといった様子のヘルヴォルテに、嬉しそうに笑うクラウディアである。
「氏族の皆さんもそうですよね。このまま……良い方向に進んでいって欲しいものです」
視線が合うとグレイスが頷いてそう言った。
「ん……。そうだね」
氏族のみんなも、出会った頃より感情表現が豊かになっているからな。
そんな風にして、楽しそうにしているヴィンクル達と共に迷宮の中枢部でのんびりと過ごさせてもらったのであった。
ヴィンクルの脱皮が始まる兆候が見られたのはそれから数日後のことだ。フォレスタニアやタームウィルズで執務や巡視、工房の仕事や仮想街の状況確認といった仕事をこなしていたが、ヴィンクルと行動を共にしていたユイから通信機に「ヴィンクルちゃんが、もうそろそろ脱皮が始まりそうだって」と連絡を入れてきた。
というわけでこれから管理者代行の仕事として迷宮に泊まり込みを行うと各方面に連絡を入れる。ジョサイア王、アルバートやゲオルグ、テスディロス達からも了解したという旨や、留守の間は任せて欲しいといった返信が入ったのであった。
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