番外1842 学園の中庭へ
陽当たりは良好。頬を撫でていく空気は柔らかく、仮想街はほのかに花の香りが漂ってくる穏やかな春のような空気だ。
「良い陽気ね。花の香りも心地が良いわ」
ローズマリーが目を閉じて言う。
「ゆっくり滞在したくなるようなところを目指したからね」
「上からもあちこちで花が咲き誇っているのが見えて、見事なものです。色彩も豊富で、ルーンガルドにもある景色というのであれば、良いところなのですな」
オービルが水路橋から感想を伝えてくれる。
「気に入っていただけたなら何よりです」
「遠景は変えられるという話でしたな」
「そうですね。少し試してみましょうか」
他の遠景になった場合、多少の気温の変化を感じるようにはなっているが、通行証がエフェクトを発生させて軽減してくれるので大きな影響を感じることはない……という設定になっている。
これも景久の知識を基にしたものだが、VRとはいえあまり極端な気温を感じさせたりすると、体温調整等、肉体の方に影響が出る可能性があるからだ。リスクもあるので、そういった部分は対策を施しておく必要がある。
現実の身体の方はバイタルデータを見ながら体温や室温を管理し、VR内ではあまり大きく逸脱させないようにする。または僅かな間だけ感じるアクセント程度に留めるといった具合だな。
だから、仮想空間でも、熱気や冷気は一瞬それらしきものを感じるが、エフェクトが中和する、というような挙動をするようになっている。
どんな景色が良いかラインナップを挙げながら尋ねてみると「ティールの故郷を見てみたいな」という意見がヴィジリスから上がった。
「ああ。それは俺も気になってた」
リカリュスも同意する。では――南極風の遠景にしてみるか。
「管理者ならこうやって調整もできるのですが、普段は遠景をどうするのか、日程を掲示して予告しておき、それに合わせて変えていくつもりでいます」
管理メニューを呼び出し、仮想街の遠景を切り替える。学園の最上部にある水晶が煌めきを放つと、そこから放射状に光の波が走り、街の中心から外側に向かって景色が切り替わっていく。
「おお。これは面白い」
メギアストラ女王が笑みを見せる。
足元を光が走ると、そこはもう雪と氷で覆われた街並みに変化している。遠景も――氷山と流氷、氷の平原が広がる極地となっていた。一瞬冷気を感じるも、通行証によるエフェクトが発生して寒さも遠ざかっていく。
その光景にティールが嬉しそうに声を上げて水路橋から跳躍して見せた。ラヴィーネも冬景色が好きなのか、アバターによって金属風になった尻尾を大きく振っていたりする。
景色が変わってテンションの上がっているティールやラヴィーネの様子に、エレナやアシュレイもにこにことしているな。うむ。
花の咲いていた場所も氷の結晶を大きくしたようなものになったり、街角に雪だるまがあったりと、街も雪化粧だけでなく、細かな部分の装いもかなり変わっている。完全に雪と氷の世界なのかというと……建物や民家は飾り付けもしてあるので、そこまで寂しい感じもないな。冬なので街並みのあちこち逆に暖かみを感じさせる仕込みをしている。
通りに面した建物の中を覗き込むと室内の暖炉に火が灯っていたりするからな。
冬の景色はまだ少し苦手意識もあるのだが……それでも前よりはそういう意識も和らいできた。冬の魅力も……分からなくもないしな。
「マギアペンギン像も良いわね」
クラウディアが楽しそうに屋根の上に飾られているマギアペンギン像を見ながら言う。
「あれがティール達の暮らしてきた海か。かなり過酷そうだな」
通行証のエフェクトを発生させて、少し空に浮き、遠景を眺めて言うヴィジリスである。
ティールは声を上げて普段の暮らしぶりを説明してくれたが……。確かに過酷だ。極寒の地であることもそうだが、コロニーから海への移動であるとか、ブリザードに耐えるために氷の壁を作って、皆で身体を寄せ合って体温を保持するだとか。
海に入れば入ったで、狩りを行いつつより同格や大型の魔物と生存競争をするということで……ティールに話を聞いているだけでも相当なものだと思う。
ティール達は氷の術を使える上に海中での機動力が高く、頭数もいる。それだけでも相当強力な魔物の集団であることは間違いないが、それでも逃げの一手を打つしかない魔物、というのもいるわけだしな。
実際ティールは大型の魔物に追われて俺達と出会う事になったわけだし、俺達もあの近辺の海域で巨大亀の魔物を見ている。
「流石に魔界の外海程の危険地帯ではないでしょうが、実際大変だと思います」
ティールと共に、出会った時の事情や南極での出来事を話すと、ヴィジリス、リカリュスも納得したといった様子だった。
「日々が生存の為、一族が生き延びる為か。ティールの泳ぎも納得だな」
「ああ。手札の多さもそうだが、勝負強いわけだ」
水路橋の縁から顔を出して、二人はしみじみと頷いていた。
そうやって話をして、景色を楽しみながらも俺達は学園に到着する。スロープを上ると正門前広場に出る。水路橋も広場の一角に接続していて、プールになっているな。そこからティール達も広場に出てくる。
正門に向かって通行証を具現化させて掲げると装飾に沿って光が走り、独りでに門が奥へと開いていく。そうして広々とした敷地内が姿を見せた。
正門と詰め所を抜ければ、そこは石畳の道が続く広々とした庭園だった。中央部の第1棟他に、研究用の第2、第3棟等へ続く道と水路や、どの方向に行けば何があるのかという、案内板がある。
理念としては学術機関なので研究棟の方が番号も若くなっているが、文化振興用の第4棟、休憩や交流を目的とした第5棟の方が正門側にある。
研究用の塔はもっと奥まった場所に配置されているな。サロンや迎賓館に相当する手前に持ってきて利便性を上げて、研究施設は安全な位置に配置するというわけだ。
南極の遠景に合わせた冬仕様の庭園ではあるが……木々は枝が霧氷で真っ白に染まっていたりして、単に雪を被っているというような光景ではない。
緑の代わりに細い氷が枝から無数に垂れ下がり、まるで白い柳のような有様で、みんなもその光景に見入っているようだ。
「これはまた……冬でも見事な庭園よな」
パルテニアラが言う。
「寒い地方で、ある程度の条件が整った場所でしか見られない現象ですね」
これは母さんに助言をもらったものだ。こんな光景はどうかと幻影を見せてもらったものである。
「条件が整っていても日中暖かくなるとすぐに溶けて無くなってしまったりするのよね」
……と残念そうに言っていたから、自然環境下で見る機会は中々ないだろう。
ちなみに基本形の場合は手入れされた生垣に花もあちこち咲いていて、東屋や噴水が点在しているから庭園といった感じだ。風合いのある石造りのアーチ等があって、遺跡風というのは変わらない。
敷地内の石畳は動く歩道になっている。水路もだ。内側に刻んだ術式で水流を自身の周囲に作って移動できるという仕様で、魔王国の水路と形式の違いがある。
地下水脈のように環境と一体化しているわけではないが、その分個々人が好きな方向に動けるというメリットはあるな。
「では、まず第1棟、第2棟あたりの設備を見ていきましょうか」
そういうとみんなも楽しそうに頷く。
どの棟からも海中側に移動できるからな。学園内を見て回ってから海中へ移動すれば、一通り見ておくべき場所を抑える事ができるだろう。