番外1828 揺るがすような声と共に
下りに差し掛かったコースはうねるような構造になっていたり、ヘアピン状の急激なコーナーが設けられていたり、次の都市部へ抜けるまでの間に長いストレートがあったりとかなりバリエーションに富んでいる。
やや複雑な構造の場所では水の流れが乱れている箇所があり、こうした場所は上手く抜けないと激突の原因になりかねない。
その点、先頭集団にいる者達はハイレベルだ。そうした難所もクリアして突き進んでいく。このまま3番目、4番目の都市部を抜ければクシュガナに戻ってくる最後のレース用区画でラストに向けての攻防となるだろう。
「そのあたりでどの選手も本気を出してくると思われますな。例年ではそうです」
「訓練での模擬戦も、そのあたりが勝負所になると見ていました」
「境界公の分析は流石ですな」
オービルが真剣な表情で頷いてくれる。
温存していた体力で全力を出せる区間がそのあたりからだろう、と分析していたわけだが……その見立てもそう間違ってはいなかったようだ。
それまでの攻防とて単なる様子見とは言えなくなってきている。
僅かに速度を上げたり落としたりして、プレッシャーをかけたり安心させたりして他者のペースを乱れさせ、終盤に使うべき体力を削ろうという牽制合戦だ。まだ温存していると言っても、今から後続が追い付いて優勝争いに加わるには厳しいという速度も維持している。
先頭集団も次第に縦に伸びてきてはいるが――誰もまだ優勝争いから脱落とは言えない位置につけている。ティール、リカリュス、ヴィジリスの3人については自分のペースを乱される事なく維持しているな。ただ……ヴィジリスは直線が速いという話であったが、その片鱗、或いは本領を未だに見せていない。
現在、リカリュスに僅かに抜かれ、ティールにもすぐ後方まで追いつかれているが表面上は我関せずといった様子。温存しながら機を窺い、今のところは沈黙を守っているという印象である。
「温存している皆さんがいつ動くかも見物ですね」
アシュレイが真剣な表情で言う。
「誰がいつ仕掛けるか。周囲もそれに呼応するのか。そのあたりも駆け引きになりそうだからね」
フェイントで乗せられるということもあり得るだろう。
そうこうしている内に都市部1つ、2つと通過し、更に区画を進んでいく。リカリュスとヴィジリスは僅かに加減速して他選手への揺さぶりをかけている。ティールは間隔が多少前後しても気にしないという様子で速度を一定に維持しているが。
そうした他選手の揺さぶりにやられたのか、ペースを乱して脱落する者も出てくる。次第に遅れが目立ちだし、段々と集団について行けなくなる者。コーナーのクリアリング、ストレートの加速。それらの技術力で段々と差をつけられ、穴埋めのために体力を消耗してしまう者。
そして――4つ目の都市部に入ったところで、選手達の動きが変わったのが分かった。引き金となったのは2番手が先頭の選手を抜きにかかった瞬間だろうか。それを皮切りに他の選手がギアを一段上げた、と感じられた。
「動き――というよりは意識が変わったように思います」
「皆、潮目が変わったのを察しましたな。今回は仕掛けが早い……!」
オービルが俺の言葉に同意する。観戦しているみんなもそれを受けて水晶板の動きに注視しているようだ。
上がる。全体の速度が目に見えて上がる。そのままクシュガナへと通じるトンネルへと次々と選手達が飛び込んでいく。疾走感のあるその姿に観客達が沸き立つ。
最後のレース用の区画は難易度の高いコーナーもストレートもバランスよく配置されており、実力が問われるという、決戦に相応しい区画だ。
追いすがる。ティールが追いすがる。コーナー一つ一つで距離を縮め、今やヴィジリスに並ぶ。前に出る。
リカリュスが負けじと流れるように身体をくねらせ、僅かな隙間を縫うように突っ込めば、ティールも声を上げて、壁や天井まで使って走り螺旋を描くような軌道で無人の野を行くが如くに突き抜ける。
先を行っていた選手達も通常有り得ない場面であっさり抜かれ、一瞬衝撃を受けたように呆けるが、すぐに闘志をその表情に漲らせて追走してくる。まだ先頭をひた走っている者達もだ。伊達にここまで先頭を走ってきたわけではない。抜かさせまいと決意に満ちた表情で加速する。
ヴィジリスもまた全体的な速度を上げていた。
しかしそれでもコーナーでの技術力は、やはりリカリュスの方が上。ティールもコーナリングではヴィジリスより上を行くだろう。
次第にリカリュス、ティールの技術によってヴィジリスとの間に差もつき出し、先頭への距離も縮まっていく、が――。
「これは――? ヴィジリス選手の体格が、少し大きくなっているように見えます……が?」
「その通りです。中継映像でよく気が付くものですな」
「ふっふ。きっと面白いものが見られるぞ」
オービルとメギアストラ女王の言葉に呼応するように、観客の中でもシュリンプル族が特に興奮しているように見えた。鋏の腕を振りつつ、何かをヴィジリスに対して期待しているようだ。
そしてコーナーを抜けてストレートの立ち上がりで、それは来た。
水を開けられたはずのヴィジリスが、ストレートの立ち上がりで跳躍する。跳躍して、下後方を向くように身体の位置を向けたかと思うと、全身を一気に丸めさせた。
その動作が、爆発的な速度の推進力を生み出す。ティールも、リカリュスも、先頭争いをしていた者達をも置き去りにして、一気に先頭に踊り出た。水中で体勢を立て直し、水流に戻り、そのままの勢いに乗って疾走するヴィジリス。
「水――水の噴出ですか?」
「その通りだ。身体に取り込んだ――或いは生成した水をああして一挙に噴出することで、シュリンプル族は瞬間的な後方への推進を行うことができるわけだな。単純な身体操作だけであの一連の業を行える者はごくごく限られている。短時間に何度も使えるものでもないから本当にヴィジリスにとっての切り札と言えよう」
後方への推進。だが身体の向き角度を下、後方へと向ける事でああして前方への移動に転用することができるというわけだ。
水路レースでは前に進むためには、闘気も、魔力も使えない。そういうルールだ。
メギアストラ女王も言及していたが、水を取り込んで少し大きくなった体格も、爆発的な噴出も、ヴィジリス自身の鍛錬なり才能なりが可能としているものなのだろう。種族的な術として、闘気や魔力を併用すれば他のシュリンプル族も可能なのかも知れない。その場合、身体の前面に水を噴出する技ということになるから、移動だけでなく、もしかすると攻撃用としても使えるだろうか?
大技であり、切り札。
しかしそれだけに、水路レースにおいても効果は絶大だ。爆発的な加速はそのままその後の展開にダイレクトに繋がるし、コーナリングの技術でリカリュスやティールに後れを取っていても尚補って余りある。
追う者、追われる者は一瞬にして逆転していた。
それでもリカリュスは勿論ヴィジリスの手札を承知している。今更衝撃を受けるわけでもなく、不敵に笑って追走する。ティールもだ。寧ろヴィジリスの絶技に感動しているといった様子で目を輝かせ、声を上げるとその背を追った。
現状ヴィジリスが先頭に立ち、かなり前方へのリードを取った。先頭争いをしている者は他にも二名ほどいる。魔界の魚人族ともう一人。若手のシュリンプル族。その後ろにリカリュスとティールといった位置取り。
次のコーナー……分岐点の左側のトンネルへと早くも消えていくヴィジリス。リカリュスとティールは並走しながらも益々速度を上げて、次かその次のコーナーあたりでは前を行く二人を抜いてヴィジリスを追う形となる。そう思われた。
「お、おおおおっ!」
咆哮する。シュリンプル族のもう一人が咆哮して跳躍した。先程のヴィジリスと全く同じ構え。身体も水を取り込んでいるのか、ヴィジリス程ではないが体格が増しているように見えた。
「まさかっ!」
驚いたようにオービルが声を上げる。若手、期待のシュリンプル族の一人とオービルは彼について解説してくれたが――。
「仮に使えるのだとしても些か遅い……ッ!」
メギアストラ女王も腰を浮かせる。遅い。つまり今から発動するにはタイミングが悪いということ、か? だとするならば、その結果は?
噴出する。水を噴出させて推進してティール達を引き離し、水路に着水する。加速力も飛んだ距離も、先程のヴィジリスには及ばない。加減したのか、技術としてまだ彼にとってのそれが精いっぱいだったのか。それでも、コーナーに突入するにはオーバースピード気味だ。
「無茶をッ!」
リカリュスが少し焦ったような声を上げた。先を行くヴィジリスも耳が良いのか、後方の様子にその目を向けて驚いている様子だった。
曲がり、切れない。水流への着水も乱れている。コントロールを失って、荷船ごと彼の身体が流れていた。
コーナーに突入したところには分岐点があって。左右を分ける壁に激突する軌道で彼の身体は流れていた。
「う、わああああっ!?」
あわや激突。観客のどよめきと悲鳴。その瞬間に。
ティールの声が響いた。氷で形成されたスライダーとでも形容されるものがティールの背中あたりから凄まじい勢いで伸びて、激突寸前のシュリンプル族の身体を保護し、滑らせて水路に復帰させていた。
「見事な判断力と術の行使能力だ!」
メギアストラ女王の声が安堵したような声が響く。
「くっ、す、すまない。どうか俺なんかの事は気にせず、先に進んでくれ!」
シュリンプル族の青年も、そんな風にティールに叫んで。魔王国の面々が大喝采を上げる。ティールは嬉しそうに声を上げて、同じく笑顔を見せるリカリュスと共にコーナーへと突入していく。
今の術行使が魔道具の判定で、反則に取られたかどうかは分からない。ティール自身の推進には使われていなかったように感じるが、術を間に合わせるために魔力を使っての加速や位置取りをしていたとしても不思議はない。そのあたりは現時点では分からないことだ。
それでも今の行いはメギアストラ女王や魔王国の面々から見ても、俺達から見ても賞賛されるべき行いだった。
観覧席、観客達からも拍手喝采が起こる。
今の一連の動きが、ティールにとって有利か不利かを論じるのは……そうだな。ティールの嬉しそうな様子を見れば無粋というものだ。敢えて言うなら、精神面ではティールにとってのプラスであるのは間違いない。
リカリュスと持てる技の全てを競い合いながら、それを楽しむように、ティールは水路を進む。先頭争いに食い込んでいた魚人族の選手を振り切って。
入れ替わる。目まぐるしく順位が入れ替わる。
上を取り、脇をすり抜け。僅か前を行きコーナーを一つ抜けるたびにどちらかが前へ前へと出ようと試みる。
そんなハイレベルな技術戦に水脈都市を揺るがすような歓声が響く。拳を突き上げ、踏み鳴らすように足音を響かせて。
「すごい、わね」
「本当。すごい技術戦です」
「当人達も見ているみんなも楽しそうだわ!」
熱狂する水脈都市の様子に、クラウディアとグレイス、ステファニアが笑顔を見せる。マルレーンもこくこくと首を縦に振って。「頑張って! ティール!」という応援の声がイルムヒルトからも飛んだ。
前を行くヴィジリスも後ろに届くように声を上げた。
「同族として! 水路に生きる者として! ティール殿に感謝をッ! このヴィジリス、全身全霊を以ってお相手すると約束しようッ!」
そう言って、ティールが応じるように声を上げる。3人はますますスピードを上げて水路を突き進むのであった。