248 王都ヴィネスドーラ
「見えてきました」
エリオットが竜籠の窓から顔を出して前方を指し示す。青白い外壁のその向こうに、青い屋根と高い尖塔を備える王城が見えた。シルヴァトリア王都――ヴィネスドーラだ。
「最初に買い出しでしょうか。それから私の屋敷へ向かいましょう」
「その後で面会の手続きを取らなければいけないわね」
ジルボルト侯爵の言葉にステファニア姫が頷く。到着してからすることも多いので、一息ついてからというわけにもいかない。
まずは外壁の監視塔へ向かい、ヴィネスドーラに入る手続きを取る。
「これはジルボルト侯爵」
「大儀である。ヴィネスドーラに入りたいのだが、構わないかな?」
「はっ。どうぞ、お通りください」
敬礼する兵士に見送られて外壁を越える。
竜籠はゆっくりとした速度でヴィネスドーラの町並みの上を飛ぶ。赤茶色をした屋根と石畳で舗装された道。町角のあちこちに、白い石柱が立っている。石柱の上に水晶……あれは街灯だな。BFOのスクリーンショットで、夜間に光っているのを見たことがある。
魔道具としては特に目新しい技術というわけではないが、普及しているのはヴィネスドーラやタームウィルズぐらいの大都市に限られる代物だ。
規模としてはやはり、タームウィルズに比肩する大都市と言って良いだろう。しかし、迷宮の周りに人が暮らすようになって発展したタームウィルズよりも、王城から街並み、外壁に至るまで統一感があって区画割りもしっかりしているので、かなり整然とした印象を受ける。
ヴィネスドーラも歴史のある町のはずだが……ベリオンドーラが滅ぼされた以降に作られた町ということになるから、かなり都市計画をしっかりと練って作られたのだろう。
大通りが、町の中心部にある城まで真っ直ぐ続いている。主だった施設も大通りに沿っているようだ。
「広場の近くにある、あれが闘技場です。公衆浴場も見えますね。あの大きな建物がそうです」
ジルボルト侯爵が簡単に町の案内をしてくれる。タームウィルズと同じく、やはり城の周辺が裕福な者達の住む区画になるそうだ。
「賢者の学連はどこに?」
「ここからですと、城より向こう――街の外れになります。あの高い塔がそうですね」
「ああ……。あれですか」
町の外れに城の尖塔に比肩するほどの高さを持った巨大な塔が建っているのが見えた。
「学連の魔術師達は基本的に塔の周辺に住んでいました。今は……多少ごたついているところがありますが」
「ザディアスとの確執ですか」
「ええ」
なるほど。塔周辺の敷地にも建物があるのが見える。となると……あれが母さんのいた場所ということになるだろうか。
「錬金術師の店に案内すればいいのですか?」
「そうね」
エリオットの言葉にローズマリーが頷く。エリオットは竜籠から出て空中に身体を躍らせると、そのままサフィールに跨った。
「では、先導します」
「リンドブルム。サフィールに付いていってくれ」
リンドブルムはこちらを振り返って声を上げる。統率された飛竜達がサフィールに続いた。
町の一角にある錬金術師の店の前に竜籠を降ろす。錬金術師の店らしく、店の周囲に妙な臭いが立ち込めている。
「それじゃあ、少し買物をしてくるわ」
竜籠から降り立ったローズマリーが店内に入っていった。
手早く買物を済ませて、次はジルボルト侯爵の別邸へ。
城の近くにある、侯爵家に見合った大きな洋館だ。
中庭に竜籠を降ろすと、邸内の安全を確保するためにエルマー達が竜籠から降りて慌ただしく走っていった。
「これは旦那様」
すぐに別邸で働いている使用人が顔を見せた。使用人は予期していなかった侯爵の訪問に目を丸くしたが深々と一礼する。
「すまんな。火急の用で到着の連絡が遅れた」
「いいえ。いつでも旦那様をお迎えする準備は整えておりますよ」
初老の使用人はジルボルト侯爵の言葉に、笑みを浮かべて答える。
侯爵領からは使用人達を連れてきていない。事前連絡無しの突然の訪問になるため、使用人達は留守を預かる数名のハウスキーパー以外はいないそうだ。
だから多少不便になるとジルボルト侯爵は言っていたが……まあ、自分達のことは自分達でするだけの話だ。問題はあるまい。
まずは染髪を済ませてしまおう。護衛が動けないのでは話にならないし。
「厨房をお借りしても?」
「勿論です。こちらへ」
ジルボルト侯爵に案内されて邸内へ。赤い絨毯の敷かれた廊下を通り、厨房へと向かう。
「それじゃあ、早速始めましょうか」
ローズマリーは調理台の上に、錬金術師の店で買ってきた材料を並べている。ブルーベリーを握り拳大にしたような木の実。フラスコに入った何かの液体。紙で包んだ粉末の薬。
更に、こういう調合の定番と言えば良いのか。ヤモリの干物だとかコウモリの羽まである。
「……大鍋は?」
「そこまで本格的な代物でもないから、普通の鍋で事足りるわ」
木の実を鍋に入れて、すりこぎ棒で木の実を押し潰す。鍋に水を注ぎ火にかけて、ゆっくりとかき混ぜながら液体と粉末をその中に注いでいく。
「後は――これを少し煮詰めれば出来上がりよ。櫛に付けて髪を梳かすの。眉毛や睫毛にも塗らなければいけないけれど、化粧道具もあるから問題はないでしょう」
「……本当に簡単に作れるんだな」
鍋の中には黒い液体が満ちている。これで髪を染めるわけだから……多分紫がかった黒い髪になるだろうか。
ローズマリーは染料の完成を待つ傍らで、もう1つの鍋でまた別の薬を並行して調合している。こちらには干物だの羽だのを使うらしい。
「こっちは染料を落とすためのものよ。水では色を落とせないけれど、この薬を使えば木の実の色だけを抜いてしまえるのよね」
「へえ……」
便利な物だ。脱染色剤とでも言えば良いのだろうか。ただ、こちらは多少手がかかるようで、混ぜながら詠唱をしたりと色々魔法的な工程を加えているようだ。
「私と同じような髪の色になるかしら?」
染料の入った鍋を覗き込んで、クラウディアが言う。
「近い色になるかと思います。他の色にもできたのですが、この色が一番間違いがないので」
まあ、確かに。俺とアシュレイの両方に対応させなきゃいけないわけだからな。
染料が沸騰し、一煮立ちしたところで火から下ろす。
「……さて。それじゃあ、手分けしてやってしまいましょうか」
「そうですね」
グレイスとマルレーンが椅子を2つ運んでくる。
「上着は脱いで。色が付いてしまうわ」
「んー。了解」
「ジルボルト侯爵、いらないシーツはありますか?」
「準備させましょう」
といった具合に、どんどん染髪の準備が進んでいく。
上着を脱ぎ、シーツを被るようにして椅子に座ると、シーラが竜籠から化粧箱を持ってくる。絵筆のような道具が取り出されて調理台に並べられる。
「ふむ。面白いものだな。我の髪はそれでは染められないとは思うが」
テフラが興味深そうに覗き込んでくる。
「ふふ。こういう準備ってなんだか楽しいわね」
ステファニア姫が笑う。
変装のためではあるのだが……ステファニア姫だけでなく、みんなどこか楽しそうだ。……例えるなら文化祭で仮装の準備でもしているような雰囲気とでも言えば良いのか。
「最初は少しだけ染めてみて、発色を見ながらかしらね。色合いが薄いようなら木の実を足すし、濃過ぎれば薄めるから」
まずは俺から。ブラシに染料を付けて、髪の先を梳く。みんなが真剣な面持ちで覗き込んでくる。
「はい。テオドール」
「ん。ありがとう」
セラフィナが手鏡を持ち上げて俺に仕上がりを見せてくれる。
前髪が一房、光沢のある黒になっていた。
「うん。良いみたいだな」
「そうね。自然な色だわ」
イルムヒルトが頷く。
「それじゃあ、少しずつ丁寧にね。頭皮にはなるべく染料をつけないように」
「分かりました」
グレイスとローズマリーが手分けして左右から俺の髪を染めていく。染めた傍からアシュレイが魔法で水気を飛ばして髪を乾かしていく。
マルレーンとクラウディアが染料の付いた筆を手に取り、右眉と左眉を丁寧に塗っていく。俺は彼女達の手元が狂わないよう、なるべく動かないようにしてされるに任せる。やや、くすぐったい。
「髪の根本と睫毛は、シーラに任せたほうがいいのかしらね?」
「ん。任された」
と、筆を持ったシーラが真正面に来る。目を閉じると、睫毛をちょいちょいとくすぐるような感触があった。更に髪をかき上げ、まだ染まっていない毛髪の根本付近を軽く筆で撫でて染髪していく。
「シーラが仕上げをしている間に、アシュレイの染髪も進めてしまいましょうか」
「はい。よろしくお願いします」
隣ではアシュレイも同様に染髪を始めた。髪の先のほうから染めて、発色を見つつ進めている。同じ染料を使っているのだが俺とアシュレイでは髪の色が違うから仕上がりもやや異なるようだ。
「できた」
「ありがとう」
筆を動かしていたシーラが手鏡を手渡してくる。
自分で髪をかき上げたりして染め残しがないかを確認していく。裏側はセラフィナがもう一枚鏡を持って、合わせ鏡で見せてくれる。
うん。どうやら良さそうだ。アシュレイの髪は長いので俺より時間はかかりそうだが。
「邸内の安全確認、終わりました」
そこにエルマーが戻ってきた。まあ、一先ず変装と拠点の安全確保は完了といったところだろうか? この際だ。侯爵の別邸にも避難用の隠し部屋など作っておくのが安心かも知れないな。




