番外1787裏 幽世の因縁と共に・4
咆哮する巨大型の顔面に煌めく魔力の波が浴びせられた。城門に向かって放たれようとしていた呪力の輝きは、宝石になって掻き消える。
オルディアの固有能力だ。単純な呪力弾はもう射撃型達が見せている。巨大型の放とうとしていたそれは、規模が大きくなっただけの同じものである以上、オルディアにとっては与しやすい技だった。
「消えなさい」
オルディアが掌の中にあるものを握り潰すような仕草を見せると、巨大型の口腔内部にあった宝石が光を放って砕けた。自身が放つはずだった呪力の砲弾が弾けて、内側から頭部を吹き飛ばす。頭を失った巨大型がぐらりと倒れて地上型の部隊を押し潰していた。
その頭上をテスディロスが雷さながらの鋭角軌道を描きつつ横切っていく。軌道上にいる射撃型が槍の穂先で突き通され、薙ぎ払われて消失していき、横合いから隣の部隊へと突っ込んで飛行型へと切り込んでいった。機動力に特に優れるテスディロスは縦横無尽。戦場をあちこちへと駆け巡りながら遊撃を行う役回りだ。担当部署を定めないのは臨機応変に作戦を伝え、骸達に動きと戦力の予想を難しくするためでもある。
大鷲がテスディロスを追おうとするも、民家の上に差し掛かったところで結界が発動していた。大鷲と共に飛行型と地上型の一団を飲み込みながら、内部にいる骸達を消失させていく。
実のところ、結界は城の内部や周辺に集中するような形で配置してある。罠にかけていけばこういう形での防衛戦に移行していくことは予想がついていたからだ。
光芒が閃き、矢玉が飛び交い――再び結界の柱が立ち昇る。
機を見るに敏。ローズマリーにしろ、クラウディアにしろ、発動の機会と見ればそれを躇うことはない。効果的なタイミングで一瞬の隙をついて結界を発動させる。それはテオドールと共に戦いを潜り抜け、訓練を積んだ成果でもある。
それに対する骸達は、後方から次々と兵力を増産していくという分かりやすい物量作戦だ。
『パルテニアラ様によると、呪力の少ない大鷹と猟犬が混じっているとのことです。見た目だけ変えて結界の発動対策に偽装をしているようですね』
エレナからそんな報告が城に入る。
「中々考えたものね。何体か巻き込んだから対策してきた、と」
「それならそれで、通常の兵力を多く巻き込める瞬間を狙うまでだわ。不発に終わるよりは確実な効果を見込めるようにする」
ローズマリーが薄く笑うと、クラウディアもまた不敵に笑って応じる。
そんな二人の方針をアシュレイが皆に伝えていく。
「マルレーン。担当分を使い切ったらわたくしが前に出るわ」
ローズマリーが伝えると、マルレーンがこくんと首を縦に振る。ローズマリーと交代する形で戦場から後方に下がり、祈りに集中するということになる。ソーサーや闇魔法による召喚獣への直接的な支援はなくなるが、城の中から遠距離攻撃や拠点防衛を行っている現状ならば、ガシャドクロの守りは問題ない。
『前に出るときは、気をつけて。マリー姉様』
鈴が鳴るような、マルレーンの声。ローズマリーは少し驚きの表情を見せた後、羽扇で表情を隠すこともせず、そんなマルレーンに向かって穏やかな表情を向け、そうして互いの無事を願うように頷き合うのであった。
裏門――子供達の寄宿舎として使われていた側も攻撃を受けている。
今もって骸達の発生しにくい方角ではあるが、骸達は迂回してまで全方位からの攻撃に拘っているからだ。
裏門の守りについているのはエスナトゥーラだ。城壁の上から鞭を振るい、空間、地面、壁を問わずあちこちに魔力をばらまき、叩き込んではトラップを仕込んでいる。その為、見た目以上に防備が厚い。迂闊に踏み込めばエスナトゥーラが魔力を発動させて、力を奪われ、動きが鈍る領域と化しているのだ。そこに火線が殺到すれば攻防もままならずに粉砕されてしまう。
「ふふ……。城内に満ちる祈りの力は私の力の源泉とも相性が良いようね。魔力が満ちてくるようだわ」
エスナトゥーラは薄く笑う。エスナトゥーラが戦いの場に身を置いているのは愛娘であるルクレインのためであり、氏族達のためだ。武功を積むことが氏族達の平穏に繋がる。
だから、カギリの復活と共に子供達の無事を祈っている今の状態は、エスナトゥーラと非常に相性が良い。
解呪された氏族達は月の民の系譜。精霊に近い性質を持つが故に場の魔力に後押しを受けることができる。ルクレインのことを思えば、いくらでも力が湧いてくる。
エスナトゥーラは戦列を組んで迫る地上型の新手を一瞥すると片目を見開き、牙を剥くような獰猛な笑みを浮かべる。
音速の壁を越えて無数に破裂音を響かせる、暴風のような打撃の渦。仕込むだけにとどまらず、時折飛来して当たった者を凍てつかせる魔力の衝撃は、見た目以上に分かりにくく、射程距離が広い。
加えて言うならば、触れた相手の止めは武官や術師達がやってくれるためにエスナトゥーラ自身への負担も少ない。
そうして余剰魔力の火花を散らしながらもそこかしこにトラップをばら撒き、搔い潜ってきた飛行型には直接鞭を叩き込んで打ち落としていくのであった。
黒紫の火花を散らす闘気の煌めきと、グレイスの暗黒の闘気よりも更に暗い、呪力の残滓を軌道上に残しながらもグレイスと指揮官型は空中で交差して斬撃を応酬する。
否。それはもう指揮官型とすら呼べまい。指揮官としての役割を放棄したということもそうだが――体躯も一回り肥大化し、肩の後ろや背中あたりがぼこぼこと泡だったかと思うと、骸や犬、猛禽の顔が現れ、怨嗟の咆哮を響かせ、腕が飛び出したかと思うと何かを掴もうとするかのような仕草を見せては、沈むように消えていく。
存在を増強した事による不安定さが傍目にも見えるのだ。呪い本体の意識――その強い影響下にあるそれは、既に呪いの意思そのものと言って良い。
それを裏付けるように、『呪い』はグレイスと切り結びながらも、刀を握っていない方の手を前に突き出した。
グレイスの周囲に無数の呪力が渦を巻く。それは骸達の出現前の兆候に似ている。出現までは僅か一瞬。さながら弾丸や矢玉のように四方八方から牙や爪といった小さなパーツが、グレイスに向かって射出された。
骸達を形成する呪い本体の力を一部分け与えられているということだ。個体として成立させることもできないし影響を及ぼす範囲も狭いが、戦いには応用できる。
グレイスは――意に介さない。ただ『呪い』を見据えたまま、渦巻く闘気を吹き上げて呪力弾を弾き、同時に真正面から切り込んでくる『呪い』を迎え撃つ。
紫色に燃える大刀を受け止め、空いた脇腹にもう一方の斧で胴薙ぎの一撃を繰り出せば、脇腹から生えてきた骸武者の上半身が黒い刀を持って受け止める。
カタカタと嗤う骸武者と『呪い』本体からの斬り込みを、双斧を以って切り返す。凄まじい速度で剣戟が打ち鳴らされるその中で――『呪い』が掌の中に呪力を溜め、同時に肩口から槍を手にした骸武者の半身が飛び出してくる。グレイスの視線が一瞬そちらに向いて――。
大音響と爆発が巻き起こった。激突は刹那の出来事だ。爆風から弾かれるように両者が後方に飛び出したかと思えば、即座に相手目掛けて突っかける。
二振りの刀と一本の槍。掌底から放たれる呪力の一撃。一瞬にして放たれた波状攻撃を、しかしグレイスは対応して見せた。
斬撃を受け止めながら上から突きこまれる槍の一撃を半身になって避け、跳ね上げた蹴りに込めた闘気によって掌底から放たれた呪力弾を相殺。その結果が何か重いものが正面衝突したかのような音と爆発だ。
衝突による衝撃を意にも介さず、両者が真っ向から突っ込む。グレイスの振るう暴風のような双斧と『呪い』の振るう刃の領域とが再度ぶつかり合い、けたたましい音を打ち鳴らし、闘気と呪力が干渉し合ってスパーク光を幾度も散らす。グレイスの漆黒の闘気が一瞬膨れ上がったかと思うと、そのまま左手の斧に纏わりつかせるような形で横薙ぎの一撃を放ってくる。真一文字の闘気の斬撃波。
闘気の技法としては単純な技だが、グレイスが放つそれは凶悪な威力を秘める。地平まで薙ぎ払うかのような、長大な斬撃波だ。
『呪い』はそれをまともに受けるようなことはせず――しかし前方へ最短距離を突っ込むような攻防一体の回避を見せた。波を飛び越えるように突き進みグレイスへと切り込む。
その瞬間に。グレイスの左手で振り抜かれていたはずの斧が直上から降ってきた。槍を持つ骸の反応が遅れる。受け止めようとしたが、巻きつくような動きを見せた鎖に絡め取られていた。
遅れて落ちてきた斧に首を刈られ、飛び出した骸の上半身が塵になって消える。
「槍兵の動きはあの一連の攻撃の中では稚拙でした。手数を増やしすぎましたね」
グレイスが事も無げに言えば『呪い』が咆哮する。独立しているような動きを見せても、決して別個体ではない。統率するのは『呪い』という端末なのだ。だから部位を増やせば増やすほど散漫になる。そのことを、あの一瞬の攻防で見抜いたのである。
『呪い』にとってグレイスは戦いに際して笑う狂戦士の類に見えたのかも知れない。力押しに見える戦い方も、暴力的な衝動をそのまま塗り固めたかのような漆黒の闘気も、それを助長するのだろう。
しかしそうではない。吸血鬼としての特性を、破壊衝動を克服し、統制下に置き、テオドールと幾度となく戦いを潜り抜けてきたのだ。細かな制御だけでなく判断力や洞察力も歴戦の戦士のそれを備えている。
事実として斧の形に闘気を形成し、暗黒の闘気の渦と斬撃波によって手から離した斧と鎖の挙動を見えなくするという芸当までやってのけた。
恐ろしいほどの力量を持つ難敵。『呪い』はグレイスの評価を何段か上方修正しながらも、躊躇うことなく切り込んでいく。斬り込む、斬り込む。刺突を繰り出し、練り上げた呪力を以って術を放つ。生前の武芸を、技法を攻防の中に注ぎ込んで。
いなし、弾き、放っては叩きつけ、吹き飛ばして間隙を縫うように斬り込む。皮一枚の距離を刃が行き交い、うなりを上げて通り過ぎたかと思えば、反撃を見舞い、見舞われて。幽世の空で切り結び、弾き合い、交差して攻防を応酬する。
澱みを汲み上げ、生前の知識と技術を動員し、血族とカギリへの恨みを刃に込めて。
それでも尚届かない。力も技も。今の呪いが生み出せる、最大限の力を宿す個体であるはずなのに。攻撃を受け止め、弾いても揺るがない。
対するグレイスの一撃は、攻防のその中で怨霊武者の甲冑の端を斬り飛ばしていく。
気付かれているのだ。鎧も生み出した骸も、端末の一部である以上削られれば力の総量を削がれると。人の恨みを元としているから、戦うための形も方法も、彼らのそれを下敷きとしている。
端末が頭を吹き飛ばされる等、人や獣が活動できなくなるような欠損をすれば人と同じように戦闘力を失うのはそのためだ。
刀も鎧も、呪いの一部ではあるのだ。だから。活動するために防御力を上げるという意味では意義はあれど、斬り飛ばされれば浪費するのに等しい。
届かない。届かない。グレイスには怨霊武者の刃も術も届かない。だというのにグレイスの刃は少しずつ確実に『呪い』を刻んでいる。
大上段。渾身の力を込めた斬撃が斧に受け止められる。火花を散らしながらも、逆に押される。腕力で押されているのが分かる。
気に、入らない。
掌に溜めた呪力を至近戦で爆発させる。自身を巻き込むことも厭わない戦法。互いに後方に弾かれて――それでも尚グレイスは無傷であった。
高めた力が。研鑽した技が届かない。屈辱だった。あの日、手もなくカギリに蹂躙されたのと同じように。『呪い』は忌むべき記憶と、それに付随する薄暗い感情に身を任せる。
「グ、ルオォオォオオオオォッ!」
咆哮と共に火花を全身から散らし、紫色の炎が全身から噴き上がる。自身の身体ごと呪力の爆発的な燃料として力を無理やり引き出している。次の一刀が届かなければこの端末に用はないとでも言わんばかりの戦い方だ。
実際それは力の届かない相手への、呪い側の戦法としては正しいのだろう。何にでも自爆戦法を敢行するのは効率が悪いが、要所要所であれば話は別だ。取り返しのつかない相手と違って、自分達はまた汲み上げて端末を作り直せばいいのだから。
差し違えるだけでも相手の損害が上回る。しかしそんな戦い方を容認し、実行に移してくる思考や、実行できてしまう存在そのものが歪んでいるとグレイスは眉を顰める。
「かつては武人であったはずなのに……全霊を尽くし、敗れて尚悔いなし、とはならないのですね。あなた方の場合は」
双斧を交差するように構えるグレイスが、それを迎え撃つために力を高めていく。互いの身体から火花が散り、大気がびりびりと震える。
その震えが収まる。どちらからともなく、示し合わせたように真っ向から突っ込んでいく。
激突と同時に、互いの一撃に高められた闘気と呪力がぶつかって大爆発を起こした。その只中を突き抜けるように両者が爆風を突き抜ける。突き抜けて反転。爆発の只中を突っ切って、再びの激突。互いの命と恨みを燃やし尽くすかのような攻防。
ここに来て優位に立った、と『呪い』は思う。一撃ごとに呪力を炸裂させている。限界まで攻撃に力を振り絞って問題のない自分と、生き物である相手は違う。爆風から身を護るためにも力を割かねばならない。だから、ぶつかり合って力負けしないならば、自分の刃が相手に届く――!
二度、三度。身体ごと飛び込むような斬撃をぶつけ合う度に爆発が巻き起こる。その闘気に、揺らぎが見える。
『呪い』は薄く笑った。次の一撃で自身を焼き尽くしてでも仕留めて見せよう。相手は死ぬ。それでも呪いが尽きることはない。これまで以上の炎を噴き上げ、『呪い』が刀を構え、そして直上から突っ込む。
そして、見た。
こちらに向かって突っ込んできながらも何か――魔力の球体のようなものを牙で嚙み砕くグレイスの姿を。
それが何であるかなど、『呪い』に知る由もない。それはローズマリーが力を込めてグレイスの懐に忍ばせておくようにと渡しておいたマジックスレイブだ。
間接的に術式を繰り出して支援する形でもいい。種族固有の能力として、魔力を吸い取って利用する形でも。
闇と親和性の高い魔力を吸血鬼の能力で取り込む。それがどういう結果を生むのかはグレイスから爆発的な闘気が噴き上がったのが答えだ。
止まらない。最早止まれない。互いに向かって突撃しながら斧を構える、赤く輝く双眸が『呪い』を捉えていた。
斬撃の交差と爆発。突き抜けるようにグレイスが幽世の空へと舞い上がる。その背後で。
『呪い』が信じられない物を見るようにグレイスを見上げていた。
刀ごと胴体を輪切りにされている。己の身ごと燃やし尽くすような一撃すらも破られた。
怨嗟の想いが口腔内に呪いの火を灯す。せめてもの一矢をとグレイスに向かって口を開くも、両断して尚、グレイスには一瞬の油断もない。もう一方の斧を振り被るように構えていた。
死力を尽くして尚、相手をただただ恨むことしかできない『呪い』を、憐れむような眼で見据えて。
闘気で火花を散らす斧が容赦なく打ち下ろされる。
「オ、オォォォオオォッ」
怨嗟の咆哮すら意に介さず、神珍鉄の斧はその斬撃に応じるように巨大化し、当たり前のように軌道上にいた『呪い』ごと、地上にいた骸達の群れを両断していた。
「統一された意思を持ち、次の為に駒の犠牲を厭わない……。あなた方にはあなた方の強みがあるようですが、私達は一人で戦っているわけではありません。いくらでも相手になります」
グレイスはそう言うとローズマリーのマジックスレイブを忍ばせていた胸のあたりに手をやって微笑み、それから城に向かって跳ぶのであった。