246 船旅の記憶
「――私がどうしていたかの話もするべきなのだろうね」
エリオットはアシュレイの話が終わった後で言う。
アシュレイに向けた言葉と言うより……俺達にも視線を向けてきたことから、ザディアス絡みの話になるという意味合いが込められているのだろう。
「その前に、まずはお互いの自己紹介を済ませてしまいましょうか」
「そうでしたね」
エリオットは寝台から降りると一礼し、それから大きく息を吸ってから自分の名を名乗る。
「エリオット……ロディアス=シルンと申します。改めてよろしくお願いします」
その名乗りにどんな思いが篭っていたのか。エリオットは名乗ってから僅かに瞑目する。
「テオドール=ガートナーです。こちらこそよろしくお願いします」
「ああ。ガートナー伯爵縁の方でしたか」
「実家はそうです。今は家を出た身ですが」
エリオットの名乗りに返すように、こちらの面々も名乗りを返していく。
ヴェルドガルの王族が3人も揃っているあたりでエリオットは目を丸くしていたが、更に俺の婚約者という肩書きも続いたので、若干乾いた笑いが漏れていた。
「ま、まあ……あれほどの実力であれば、そういうこともありますか」
ふむ。カエクスジェムがくっ付いていた時の記憶も残っているようだ。となれば王太子についても色々と情報を得られるかも知れない。
エリオットは1つ咳払いをすると、気を取り直すようにかぶりを振る。
「話を戻しましょう。ええと。そう、6年前のことからでしょうか」
「憶えているのですか?」
「……当時は……多分、本当に忘れていました」
顔の火傷痕に触れて、エリオットは言う。
やはり。記憶の喪失については回復していたのをジェムが阻害していたか。
「6年前――ケンネルからの手紙を受け取った私は、シルン男爵領へ帰るために船に乗りました。ですが……その帰りに、洋上で襲撃を受けたのです」
「誰にですか?」
船の事故が災害の類ではなく、襲撃であるならば――候補としてはザディアスの配下。或いは魔人や魔物、海賊といった連中との偶発的な遭遇となるだろう。しかしエリオットを得るためにザディアスが襲撃を仕掛けるというのは、考えにくい……か?
「ザディアス……と、その配下です。記憶が戻った今になってから言えることではありますが」
しかしエリオットは、ザディアスの手の者どころか、本人だとまで言い切る。
「何故エリオット卿を狙ったのです?」
「彼らは私を狙ったわけではなく、他に目的があったのです。つまり……別の乗客を狙っていたのですね。魔術師は襲撃者達と戦っていました。襲撃者達の目的は最初から魔術師1人にあり、目撃者となる他の船員や、乗客は皆殺しにするつもりだったようです」
「それは……もしかするとリサ様の……」
グレイスが眉を顰める。
「そう、かも知れないな」
ザディアスに追われる魔術師。手持ちの材料から推測するなら、例えば賢者の学連から逃げ出した、母さんの同輩といったところか。ザディアスに居場所を突き止められたか、追い詰められたか。ともかく船で逃げようとした。だが逃げきれず……追手に遭遇したのが運悪くエリオットの乗る船だったというわけだ。
「私も抵抗しました。何人かは打ち倒したのですが、魔法で吹き飛ばされて頭を打ち付け、意識を失いました」
そうして。次に気付いた時には記憶も失い、どこかで治療を受けていたそうだ。そこに襲撃者を率いていた者――ザディアスも現れたのだと。そうエリオットは語る。
ザディアスは配下を倒したエリオットの腕前や、水魔法に特化したその魔力資質を気に入って、彼の出自すら気にせずに自分の配下として組み込もうとしたわけだ。
そこは不幸中の幸いと言うべきか。エリオットが応戦した甲斐があったのかも知れない。
しかも頭を打ったエリオットは記憶を一時的に喪失しており、カエクスジェムがあれば襲撃者張本人が恩人に成り代わることさえも可能だったというわけだ。
「あの時は怪我を負って身動きもできずに朦朧としていましたが……ザディアスが他の者としていた会話だけは少しは覚えています。宝石については実験だと言っていました。いずれ民達に着用を義務付けるのだとか、そのために長期的な装着による影響を見るだとか、そんなことを言っていましたよ」
「そんな、ことで、エリオット兄様を……」
「馬鹿げた話を……」
アシュレイが眉を顰め、ステファニア姫がかぶりを振る。
……国民にあんな魔法生物の着用を義務付けとは。どんなディストピアを夢想しているのやら。このままザディアスが王になったら、とんでもないことになるだろうな。
だがまあ、大体の経緯は分かった。
「そうしてベネディクトという新しい名を与えられたのです。そのまま傷の治療をしながら、訓練や魔法の勉強などを続けました」
治療に訓練。それが終わってから実力が十分と判断されて魔法騎士団への推挙されるようになる。それが船の襲撃からおおよそ2年後。
船舶事故のほとぼりも冷めた頃合い。ザディアスはどこからか記憶を失った有能な魔法剣士を拾い上げて推挙したとなるわけだから奴の功績にもなるし、美談として利用することもできるというわけだ。
「ザディアスは、配下の者に襲撃させたという話ですが……」
「……私どもではありませんな。私達の立場ではザディアスの情報を探るのは難しいところがありましたので……」
ジルボルト侯爵は首を横に振る。まあ……そうだろうな。ジルボルト侯爵に対しては人質を取って内通者を放ち、しかも自分のスケープゴートとしても使っていたわけだから。
「彼らはザディアス直属の独立した魔法騎士達です。ザディアスが自ら選出した、黒騎士と呼ばれる精鋭部隊ですね。私は通常の魔法騎士団と黒騎士達を繋ぐ連絡役でもありましたので……」
「黒騎士……。彼らは宝石で操られているということは?」
「私の知る限りでは……私のような者は他にいなかったはずです」
ザディアス直属の黒騎士達。操られていないとなれば、そいつらこそザディアスの懐刀であり、本当の手駒、切り札と見ていいだろう。
「厄介そうね。表沙汰にできない仕事を任されていて、自分の意志で従っていたとなると」
ローズマリーが眉を顰め、クラウディアが頷く。
「ザディアスが負けたら、その連中も身の破滅だものね」
そうだな。暗部の仕事も実行犯として請け負っていたとなれば王太子とは一蓮托生だ。こいつらばかりはザディアスを追い詰める際に恭順せず、戦いになる可能性があると見ておくべきだ。
「……話は分かりました」
「勝手ながら……お願いしたいことがあるのですが」
「なんでしょうか?」
「私も王都に連れていってはいただけませんか? ご覧のとおり、怪我もしていません。お役に立ちたく思うのです」
エリオットが真剣な表情で言う。
「それは……重要な証人になりますから、こちらとしてはありがたい話ではあるのですが……。シルン男爵領へ帰るという選択を選んだとしても、誰も責めませんよ。貴方とてケンネルさんや故郷の皆に会いたいでしょうし」
「このまま見て見ぬふりと言うのは……。王都には知り合いもいますから、何かあれば後悔することになる。それに、妹もテオドール殿に同行するのでは?」
……なるほど。ジェムから解放されて王太子への評価が覆ったことと、シルヴァトリアの人々への感情は別だったというわけだ。
カエクスジェムからある程度の誘導を受けていても、過去の記憶や王太子への疑念といった部分に関することでなければ、ある程度の自由意志は残っていたのだろう。
仕組みとしては特定の事柄に抵触することだけにカエクスジェムが干渉してくるといった具合だ。ベネディクト自身に悪い評判がないのも、納得が行く部分ではある。
だとするなら、ベネディクトとして暮らしていた日々の、何もかもが偽物だったわけではない。宝石の束縛から解き放たれたからこそ、確認したいものだってあるのかも知れない。
アシュレイに視線を向けると、彼女は僅かに逡巡したようだが意志の込められた表情で頷き返してくる。
「分かりました。では、エリオット卿のお力も貸していただきたく思います。ですが、一応病み上がりですし、あまり気負い過ぎて無茶はなさらないように」
「ありがとうございます。町の近くに、ヒポグリフを待たせています。移動の際も手間をおかけすることはないかと」
エリオットは深々と頭を下げて、そんなことを言う。
ヒポグリフ。グリフォンと馬のあいの子という奴だな。気性が穏やかで騎乗用に慣らしやすいという話だ。多分、逃走手段として町には入れずに用意しておいたものなのだろう。囲みを破ることができれば王都まで逃げ帰るための算段もあったというわけだ。
しかしまあ、どうやら予定通りの時間に王都に向けて出発できそうだ。
エリオットが同行する形になるから、まずは彼の荷物などを宿から回収してこないといけないだろうな。




