番外1781 祭りの前夜
「ん。広場からの避難も、いい感じ」
シーラは俺から借りた懐中時計を見ながら言った。幽世側にいる住民達の、城の広場から結界内部までの避難訓練も進めていたのだ。水晶板で確認しながら結界シェルター内部に入るまでの時間を計測していたわけである。
「避難の時も大丈夫そうだね」
こういうのは一度でも訓練しておけば違うというデータがあるのは……地球側の話だったはずだ。ヴァルロス達と戦った時もタームウィルズの住民に避難訓練をしてもらったが、有意に効果があるという結果が出ているので、こっちでも行っている。設備的なものだけでなく人員の訓練面でも準備は万端と言えよう。
「改めて、感謝します。テオドール公。私達だけでは解決のしようがありませんでしたからね」
テンドウが俺達に言った。
「いえ。僕も自分がしたくてやっていることではありますからね。ジョサイア陛下やヨウキ陛下に伝えておきます」
「ふふ。それでもですよ」
笑って応じるテンドウである。
実際、他人事とは思えない出来事だったからな。子供達の事、親達の事。それに呪いの事も。色々と考えさせられてしまうというか、生き方に関わる部分というか。
エレナや氏族達も呪いに関しては色々思うところがあるし。
ともあれ。祭りの最中――或いは直後に訪れる骸対策と覚醒したカギリとの対決。祭りそのものの準備と、それらの対策などは粛々と進められていき、諸々が終わった。
最終的には戦いに至るという相当に風変わりな祭りになってしまったが……それでも祭りは祭りだ。集落の面々も幽世の面々も、皆意外と楽しんで準備を進めていたように思う。
扱うものも基本的に華やかで繊細な提灯だとか紙で作られた飾り、意匠にこだわった面や神楽に使う楽器といった、見ていて楽しそうなものが多いしな。
お祭りの雰囲気を盛り上げるために集落側に派遣したゴーレム達には屋台の出店的な催しを行わせる予定だ。金銭を取るというよりは食事や間食の配布コーナー的なものになるのだろうが。
「なんだか、皆さん楽しそうですね」
水晶板で集落の様子を見て、グレイスが微笑む。
並べられた提灯や飾り付けを、親子並んで見上げて笑顔を見せたりしている。準備が一段落して手が空いたからか、出来上がったものに目を向ける余裕も出てきているのだろう。
「集落の人達も、普段の祭事といえば畏れ敬う形での鎮魂の儀式って性質が強かったからね。それで余計にっていう部分もあるんじゃないかな」
明るい雰囲気の祭りとなると、ユキノのように外を知っている一部の例外を除いて、ほとんどの者達はこれが初めてだ。それもあってか、祭りの雰囲気に当てられている面々が意外と多い様子である。
外から来た面々でも、祭りということでテンションが上がっている面々がいる。
「ようやっと我等も合流できたからな。祭りとなると期待してしまうぞ……!」
「うむ。妖怪は総じて祭り好きというのもあるがな」
と、転送魔方陣で移動してきた御前やオリエは中々に上機嫌だ。ユズ、カリン、レンゲの小蜘蛛達もこくこくと頷いており、それを見るレイメイが苦笑いを浮かべていた。
当然ながら領地を持つ御前やオリエのような面々は隠形札や封印術を併用して力を抑える形での参加である。テンドウも正式に客として招いてくれているし、これならばカギリからは察知されず、いざという時に隠形と封印術を解除すればカギリの覚醒を一気に促す起爆剤になれるという寸法だな。
覚醒状態の推移によって骸の戦力がどこまで増強されるかは未知数だが、どちらにしても完全覚醒に至れば呪いの勢力も全解放されるのだ。戦力は多ければ多いほど良いし、こちらに状況をコントロールできる手札があるというのは大事なことだろう。
集落側でもコマチが飛行型の絡繰りを披露していて……祭りの前の盛り上げ役をしてくれているな。子供達が楽しそうに絡繰りを追いかけている。
集落側にも幻の風景を投影する魔道具を敷設し、お互いの様子を見られるように環境も整えた。この辺は五感リンクと立体映像装置の複合魔道具だな。幻影劇場と同じような設備を集落の広場に埋め込んだわけである。
そうやって準備が終われば、後はゆっくり休んで体調を整えるだけだ。
祭りが始まってしまえばそこからはもう後戻りはなしで、決戦までセットとなる。準備に力を注いできた分、コンディションには気を遣って当日に備えなければならない。
そんなわけで……俺達は早めに休ませてもらい、順番に風呂に入ったりした後で親子水入らずの時間を過ごさせてもらうことになった。
風呂から上がって戻ってくると、みんながにこにこしながら待っていて。
「ん。何かあった?」
「ふふ。テオは準備で忙しくしていましたから。みんなで労いをしようなんてお話をしていました」
グレイスが俺の言葉を受けてそんな風に答える。労いということで、風呂に入っている間、何やら俺にマッサージをしようなどという話になっていたらしい。
「それじゃあ、お願いしようかな」
「ええ。こちらへどうぞ」
布団の上にうつ伏せになると、手足や肩、腰といった部分をみんなで手分けしてマッサージしてくれた。イルムヒルトが尻尾をふくらはぎに巻き付けて柔らかく圧迫してくるのは……何やらすべすべとした感触と相まって独特の心地よさがあるな。
「中々首回りが凝っているみたいだわ」
首をほぐしつつ、髪を撫でながらステファニアが言う。
「魔法建築や魔法陣で細かい作業が多かったからかな」
「その甲斐あってみんな期待しているみたいですね。お祭りと決戦が一緒というのは……やっぱり少し不思議なものですが」
「神様の復活にみんなで願いを込めているわけだし、案外合っているのかも知れないわ」
アシュレイが素朴な感想を口にすると、クラウディアが微笑みを見せる。
「祭事も戦いも、派手にいきたいところね」
そう言ってにやりと笑うローズマリーだ。
「過去の呪いにずっと縛られているというのは……私としても見過ごせないものがありますからね。頑張ります」
拳を握って気合を入れているエレナである。
今回はグレイス達も骸相手に戦闘に出るということで、オリヴィア達は一旦フォレスタニアに戻ることになる。
そんなわけで戦いの前に親子で心置きなく過ごせる時間を確保できたのはありがたいことだ。幽世の城は……準備も終わって本番前の休息ということになったから、部屋の外も静かなものであった。
遠くから幽世の住民達が奏でる琴の音色も聞こえてきて……落ち着いた内装の和室や風呂上がりの洗い髪から仄かに香るサボナツリーの香りが心地よい。何というか旅館にでも逗留しているかのような雰囲気があるな。
「こっちの国の音楽も独特で素敵ね。こういう音楽や幽世の建物も、テオドールの知っている日本に似ているのかしら?」
イルムヒルトも尻尾をそっと俺の手に絡めつつ、琴の音に耳を傾けつつ尋ねてくる。
「伝統的な楽器は似ているから、やっぱりそこから奏でる音楽も似ているかもね。温泉街みたいな保養地には今もこんな雰囲気の旅館があるよ」
流石に構造はこんな複雑な建物ではないけれど、と付け足す。
「ん。畳は好き。匂いとか感触とか」
そう言って両腕を伸ばしつつ畳の上を転がって、和室を満喫しているシーラである。マルレーンも一緒に畳の上を転がって見せて、くすくすと笑っていた。マルレーンも楽しそうで何よりだ。
さてさて。そんな調子でみんなと雑談をしたり子供達をあやしたりしてのんびりとした時間を過ごさせてもらっていたが……やがてエーデルワイスが船を漕ぎ始めたあたりでそろそろ明かりを消して眠ろうということになったのであった。子供達をそっと寝かしつけ、あどけない寝顔を見届けてからみんなで手を繋いで循環錬気を行う。
そうしてみんなの温かな魔力を感じながらも俺達は穏やかに眠りに落ちていったのであった。




