241 テフラ山へ
「ベネディクトの滞在している宿の場所を教えていただけますか?」
「少々お待ちを。地図を持ってこさせましょう」
侯爵が使用人にいくつか指示を出し、地図を用意してくれる。
「連絡係によると、ベネディクトが宿泊しているのはこの宿ということになりますな」
上空から見た街並みの記憶と地図に記された街並みの位置を照らし合わせる。ジルボルト侯爵の指し示す場所は――なるほど。港から程近い宿に陣取ったか。この近くにカドケウスを派遣し、こちらでも監視する形が良いだろう。伝令を待つより早く状況把握ができるし動きがあった場合すぐに対応が可能になる。
俺の指示を受けたカドケウスが液状化して窓の隙間から出ていく。ベネディクトは……一先ずこの状態で様子見だな。
「テフラ山へは……天候を見ながら明日の朝早くに出掛けましょうか。竜籠で移動すると目立ちますが光魔法と幻術で、町からは見えないように誤魔化します」
「分かりました」
タームウィルズの儀式場と、テフラ山の間を繋ぐゲートの管理にはジルボルト侯爵も契約として組み込まれる。よって、侯爵自身の同行が必要だ。となると、やはり護衛対象には固まって動いてもらう必要があるわけだ。
「霧が晴れれば良いのだけれど」
「私が目になる方法は?」
「となると、私とセラフィナもかしら?」
ステファニア姫の言葉に、シーラとイルムヒルトが答える。
確かに……視界が悪くても2人の感知能力やセラフィナの能力があれば割とどうにかなってしまう部分はあるが。
「……そうだな。時間もあったし、なるべくなら楽に行ければとは思っていたけど」
「うん。私も頑張る!」
セラフィナが拳を握って右に左に飛び回る。
ふむ。ベネディクトが早めにやってきたから、そこまで悠長なことも言えなくなった。ある程度は致し方あるまい。
「分かった。それじゃあ……探知の訓練も兼ねて行ってみるか」
俺の言葉にみんなは頷くのであった。
明けて一日。早朝の、やや肌寒いとも言える空気の中でテフラ山へ向かう準備を進める。念のための防寒具と保存食を準備。目指すは山頂。火口付近だ。
ジルボルト侯爵領の城下町からの距離は目と鼻の先と言って良い。――なかなか標高の高い山なのでそれに比例して裾野が広いから、山頂まではやや距離があるのだが。
「では行きましょうか」
「風の防護魔法は?」
と、ローズマリーが尋ねてくる。
「使える?」
「ええ。習得しておくと何かあった時に便利かと思って前に覚えたのよね」
何かあった時ね。有事の際の逃走手段用として用意していた手札にしか思えないが……。
「じゃあ、よろしく」
竜籠に乗る際の風の防御魔法というのは、気圧対策だ。
通常、竜籠をそこまで高く飛ばすことはないが、山頂に向かうなら必要かも知れない。いきなり高度を上げ過ぎると問題があるというのは竜籠の運用に伴って分かっていることではあるのだ。
「迷宮はどこでも気軽に転移してたけど……テフラ山と儀式場の間の転移は高度が違うから気を付けないといけないかな?」
「儀式場の位置に対応した所へ転移できるはずよ。契約そのものは火口まで行かないといけないけれど」
と、クラウディアが答えてくれる。
「なるほど。人里離れていれば十分だから……標高の低いところに転移すればいいだけだな」
どうやらあまり気を付けなくても問題はなさそうだ。では行こう。
「それじゃ行こうか、マルレーン」
マルレーンはこくんと頷く。
竜籠には乗らずリンドブルムの隣を飛ぶ。マルレーンのランタンにより背後から空の色で覆い、更に俺が光魔法で景色を屈折させてカモフラージュ。これで下からはほとんど見えなくなるはずだ。距離が離れたら水魔法を用いて、背後を霧で覆ってやれば、遠景からでは分からなくなるだろう。
侯爵領の城下町を出ると緑に覆われた長閑な丘陵地帯が広がっていた。このあたりから既にテフラ山の裾野に当たるわけだ。緑の絨毯のあちこちに紫や黄色の花が咲いていて、朝の陽の光に揺れている。
「いい景色ですね」
グレイスが竜籠の窓から顔を覗かせて表情を綻ばせる。
「急いでなければこのへんを散策したりするのも良かったんだけどな」
「うむ。それも悪くはないな」
「山中の湖から流れる川には、湯が湧き出しているところもありますよ」
ロミーナが嬉しそうに説明してくれる。
「天然露天風呂か。魅力的だけど……色々解決したらかな」
ゲートが構築できてしまえば気軽に来られるようにもなるし。
しばらくの間、景色を楽しみながら進んでいくと段々斜面の勾配がきつくなってくる。そろそろ水魔法で霧を作って背後を覆い、光魔法のカモフラージュを解いても良い頃合いだ。
「うん。マルレーン。ありがとう」
俺の言葉に、マルレーンはこくんと頷いて屈託のない笑顔を見せると竜籠に戻る。
「それじゃあ、外に出る」
入れ替わりにシーラとイルムヒルトが竜籠の外に出る。セラフィナとラヴィーネも竜籠から外に出た。
アシュレイとラヴィーネが連携することで地形情報を把握しようというわけである。更にラヴィーネの背に乗ったセラフィナから音を送ってもらうことで、シーラが音を感知。イルムヒルトがラヴィーネの温度を感知。
これにより、霧で視界が悪くても竜籠が山体に激突しないように安全に進めるというわけだ。
「注意が必要な時は言いますね」
「分かった。リンドブルム。程々に速度を落としながらな」
俺の指示を受けてリンドブルムは声を上げる。速度を落とした竜籠が、霧の中を慎重に進んでいく。
さて。町の様子はどうか。カドケウスはベネディクトの宿の近く――路地裏の影の中で待機中だ。
と……動きがあった。宿の入口から出てきたその姿。一目で分かる。
三角帽子にサーコートという出で立ちだ。その顔には――マスカレイドに付けていくような、額から鼻までを覆う仮面を身に着けている。まあ……舞踏会に付けていくものと違って、装飾は控えめなように思えるが。
顔の左側。頬のあたりに火傷の痕。僅かに仮面からはみ出している。……火傷の痕を隠すためか。なるほど。その話は嘘ではないようだが。
しかし何というか……人相が分からなくても、かなり目立つな。
とはいえ、目立つことは別に王太子ザディアスにとっては不利益に働くことではないのだろう。何せ、テフラと侯爵家の夫人と令嬢を人質に取っているつもりなのだから、これ見よがしに王太子の手の者が領内にいても手出しはできないと見ているに違いない。
寧ろベネディクトが姿を見せることそのものが、侯爵領の者達に釘を刺すような意味合いを持っているとも言える。
となれば……その役割は魔女の迎えか、或いは魔女の帰還を確認して報告するだけか。
ベネディクトの足取りは自然体。散歩をするようなのんびりとした歩調だが……尾行をする場合は逆に困るような速度だ。寛いでいるように見せて隙がないあたり、腕利きだという話も確かなようだな。エルマー達もやや対処に困っているのではないだろうか。
どうやら歩いて港へ向かうつもりのようだ。カドケウスを物陰から物陰へと、平面を滑らせるようにして後を追わせる。
やがてベネディクトは港に到着する。相変わらずゆったりとした歩調で船着き場周辺の建造物やら停泊中の船を見て回る。港周辺の下見と言ったところだろうか?
海からの風が吹く。ベネディクトは三角帽子を手で押さえる。
飛ばされそうになることを嫌ったか、帽子を手に持って小さく溜息を吐いたようだった。白髪――いや、銀髪か。口元から受ける印象では老齢という感じはしないが……。
一通り港を確認し終えたのか、ベネディクトは元来た道を通って宿へと戻っていった。
「ふむ……」
「どうかした?」
「いや、ベネディクトが姿を見せた。港の下見をして帰ったようだけれど」
尋ねてきたシーラに答える。
テフラ山の標高が上がるのに合わせて竜籠も高度を上げるものだから、かなり気温も下がってきている。植物がまばらになって、ごつごつとした石が目立つようになってきた。
野生の山羊もいるようだ。日陰には万年雪も見える。
「見えたぞ。火口だ」
テフラが言う。山頂が綺麗に窪んでいる。マグマや噴煙が地上に見えているなどということはないが……確かにこれが噴火したらジルボルト侯爵領は大変なことになるだろうな。
「よし。リンドブルム。旋回して竜籠を降ろせそうな場所を探そう」
ゆっくりと火口を回り、少し平になっている岩場に竜籠を慎重に降ろす。……ややバランスが悪いかな?
「勾配の下から、私が支えておきます」
「分かった。少しの間だから」
「はい」
グレイスが笑みを浮かべる。封印を解除すると、グレイスは竜籠から降りて回り込み、手を添えるようにして転がらないように固定する。
「では、始めましょうか」
クラウディアとテフラ、ジルボルト侯爵が火口へと降りていく。クラウディアが地面に手を翳すと、足元から大きなマジックサークルが広がった。
「テフラ、侯爵。サークルの中へ」
「うむ」
「……これで良いのですかな?」
「ええ。それじゃあ、始めるわ」
クラウディアの足元に広がるマジックサークルの紋様が回転を始める。回転は次第に速度を上げ――やがて淡い光の柱が立ち昇る。
「私の言葉に承諾を。まずはテフラからね」
「うむ」
「ここに道を築く。精霊テフラ。汝はこの地に門の存在を認めるか」
「認めよう」
答えた途端、テフラの身体の周囲に燐光が纏わりつく。
「ジルボルト侯爵。汝はこの地を治める領主として、鍵を預かる責を負うが如何か」
「確かに、責任を持ってお預かり致します」
同様に、侯爵にも燐光が纏わりついた。光は一瞬だけ強く輝いて、弾けるように消えた。
クラウディアは大きく息を吐いて目を開く。
「……できたわ。私が道を作り、テフラが門を認め、そして鍵を侯爵が預かる」
よし。これで無事退路も確保できたわけだ。ゲートの性能を確かめたら、ベネディクトの問題に注力するとしよう。




