番外1717 東国の歴史の影にて
そんなわけで、少し日が陰ってくる頃合いまで、離宮の一角でのんびりとお茶や菓子を楽しみつつ過ごさせてもらった。
冷やした水羊羹や葛餅といった、見た目にも涼しげな菓子が饗される。寿甘は最初にヒタカに到着した時の歓迎であったが、離宮側でもヨウキ帝は色々と用意を整えて待ってくれていたらしい。
離宮の女官達も琴や三味線、琵琶といったヒタカの楽器を持ってきてくれて、楽師代わりに演奏をしてくれた。離宮で働いている面々は多芸な事だ。ユイが以前、レイメイからもらった篠笛もある。イルムヒルトもリュートに似た弦楽器という事で三味線や琵琶の扱い方を女官達に聞いたりして、みんなで楽しそうに演奏を楽しむ。
三味線や琴で奏でられる演奏は優雅な印象なものから、少しアップテンポなものまで色々だ。
「琵琶や三味線については、演奏と共に道義や物語を伝える、語りものというものがあるのです」
ユラが概要を説明すると、みんなもそうした内容に興味を抱いたようだ。景久の記憶で言うところの……琵琶法師が平家物語を語るものだな。物語だけではなく、経文や教義を説くものが最初であったそうだが。
翻訳の魔道具もあるから内容も問題なく理解できるだろうとは思う。
「琵琶による語りものは一通りに身に着けている女官をこちらに呼んでいるからな。興味があるようならいくつか披露してもらう事もできる」
「内容はどういったものになるのですか?」
「昔の――戦乱の時代の話だな。戦いの中でも様々な逸話、物語が生まれた。勝った者がいるならば、当然敗れていった者達も。語り継ぐべき歴史でもあるが……鎮魂であり、為政者への戒めでもある。些か歓迎の席にそぐわぬかも知れぬが」
「いや……。それは寧ろ王として興味が尽きぬ内容だな」
ジョサイア王が言うとヨウキ帝も静かに頷き、鑑賞の前の前提となる知識――歴史的背景を語ってくれた。
俺も……ヒタカやホウ国の歴史は多少調べているので東国の事はある程度理解したつもりではある。
帝と武家は他国で言うところの王と臣という関係性だ。ヒタカの帝は術師達の元締めではあるが、実際に保有する兵力、軍事力は武家の方が絶対数の関係で優位にある。
とはいえ、妖怪達から民衆を守る上で要となるのは、やはり術を使える帝を始めとした術者達だ。それ故にヒタカの民から慕われている部分はあるだろう。
一方、時代時代で力をつけてきたそれぞれの武家は伝統的な背景がない勢力であったから、朝廷の権威を求めても王位は望まず、臣としての立場を望んで受け入れてきた、というわけだ。
だから戦乱の時代があっても帝は帝として一貫して存在していたし、武家は武家同士、争ったり取り込んだり、という事も行われた。
そうした戦乱には帝が関与している場合もあれば、全く関係のない場所での戦いもあったわけだ。まあ、王家と貴族家の確執だとか、貴族家同士の小競り合いというのは西方の国々でも歴史を紐解けばある話だ。
魔物や魔人の脅威もあるので人間同士の争いがそこまで派手になるケースは地球に比べれば少ない。
但し……妖怪に関しては精霊に近い部分があり、成り立ちと性質が行動原理と結びついていたりするので、そこに抵触したり条件が整っていないと案外派手に暴れるものは少ない。東国に魔人は進出していない、という差もある。
だからこそ……地球程ではないにせよ、人間同士の戦乱の規模に関して言うならば、ヒタカノクニやホウ国の方が大きくなりやすい余地があるという印象だ。もっとも……そうなった場合結局陰の気が増して性質の悪い妖怪や魑魅魍魎の被害も増えてしまうらしく、あまり長々と戦乱の世を続けられるほどの余裕がないのも確かだが。
ともあれ今は帝の人望もあり都周辺は安定しているし、武家同士のパワーバランスも崩れていないのでヒタカは戦乱のない安定した時代が続いている。
そうした内容も含めて前提知識をヨウキ帝が教えてくれたところで、語りもののできる女官がやってきて、そこからの内容を引き継いでくれる。
「お初にお目にかかります。ミツキと申します」
「よろしくお願いします」
俺達もそう言って応じると、ミツキは深々とお辞儀をする。落ち着いた物腰の妙齢の女性であった。
「では――」
と、ミツキは座敷に腰を落ち着け、琵琶を手に物語を始めてくれた。
琵琶特有の幽玄な音色が響き渡ると、みんなも少し居住まいを正す。しっかりと耳を傾けなければならない力に満ちているというか、静かな滑り出しなのに迫力がある。
今回語られるのは帝の外戚となった武家の当主が病に倒れた帝を廃し、幼い帝を擁立しようとし、朝廷や各武家の反発を招いて戦乱の内に滅ぶまで、という内容のようだ。
「エイロウの時代――夏の事。都にユシロノトヨタカというものありけり」
情景を交えながら語られるそれは情感がたっぷりと込められており、琵琶の音が場面と情念に合わせて話を盛り上げるというものだ。
鎮魂の意味合いもあると言っていた通り、琵琶の音色と語る声が場の魔力を揺らがせてくる。半ば呪歌呪曲の領域に片足を突っ込んでいるが……これは――ミツキ嬢の技量によるものか。
細かい部分は歴史書で補完する方が良いのだろうが、語りものでも主要な登場人物にスポットを当てて、何故戦乱に至ったか。誰が立ち上がり、その結果どうなったかを分かりやすく伝えている。
武家の中で力を付けていたトヨタカなる人物が野心を持って幼帝を立てて傀儡にしようとした、というわけだ。トヨタカは暴君の気質があり、そういった専横に対して反発した有力な武家を中心に纏まり、病に伏していた帝の信任を得て打倒ユシロ家を掲げて戦いとなったという。
帝の手引きを受けてユシロ家を都から追い出し、他の武家と連係して追いつめたという。激しい合戦を経て最終的にはユシロ家は滅ぼされる事になったが……。
「ユシロの血に連なるが故に、ここで恩情に縋り永らえて、後の憂いとなることをよしとは出来ぬ。幼きゲンソウ帝――かく語りき」
ゲンソウ帝は、トヨタカに立てられたが自分が後の火種となることを嫌って、投降には応じず、燃え落ちるユシロ家と運命を共にした、という。
傀儡にされそうにはなったが、当人は聡明な少年だったと伝えられている。だからこそ、だろう。語りものの中でもゲンソウ帝の最期を悲劇として伝えていて、繰り返してはならない、戦いや権力への固執は虚しいものだと説いていた。
その内容と語り、演奏の内容にみんなも感じ入っていた。話も終わり、ミツキが深々とお辞儀をすると、ジョサイア王が「見事なものだった。考えさせられるな」と応じる。
ゲンソウ帝や当時の兵士達、普通に暮らしている住民達。そういったものまで犠牲になるからな。
ヨウキ帝も静かに頷き、それから意外な言葉を口にした。
「この話には――少しだけ続きがある。表向きの歴史ではゲンソウ帝はそこで亡くなったと、そう伝えられているがな」
「ああ、それは――」
「実のところ、ゲンソウ帝は自刃しようとしたが寸でのところで止められて、女房や女官、他の幼子達と共に保護されたのだ。まあ、こういう立場だから知っている事であり、この顔触れで今の時代だからこそ話せることではあるな」
当時の帝が傀儡とされた子の命を奪うのは忍びない、と手を尽くしたらしい。
故人ということになったゲンソウ帝は名を変え、戦の犠牲者の冥福を祈りながらも生涯を静かに過ごしたのだという。
「それでも、一人の野心から国が乱れ、犠牲者は出ました。物語の結びとしては、やはり変わらないのでしょうね」
ユラが遠くを見るような目で言うと、ミツキを始め、みんなも静かに頷く。
「きっと、為政者の判断としては甘いのだろう。ゲンソウ帝が危惧したことも間違いではない。だからこそ……祖先がそうした決断をしてくれたこと、ゲンソウ帝がその想いに応えたことは、価値のあるものなのだろう」
そうヨウキ帝は言った。そうだな……。確かにそうだ。
ジョサイア王も感じ入っているようだが、俺達や氏族としても考えさせられる内容でもあるな。
ヨウキ帝が話してくれた裏の事情は、少しだけ救いのあるもので……ミツキの語りや演奏も含めて聴いて良かったと思えるものだったと、そう思う。