番外1702 蛮族王との対峙
そして、セリア女王とメギアストラは蛮族王の軍勢に対して迎撃に動いた。防御呪法もしっかりと用いて精神支配の魔眼が魔王軍に作用しないように準備を整えている。
名前を刻んだ呪符を身に着けてもらう事により、防御呪法の効果を高めている。
言うまでもなく、魔王国の臣民だからな。呪法に必要な縁を繋ぐというのは最初からできている。出発前や行軍中に一人一人に手ずから呪符に名前を刻み、縁を強化していったセリア女王の地道な対策にも頭が下がる部分ではあるが、その甲斐もあって魔王軍の士気は相当高い。
まあ、それはそうだろう。魔王が自ら兵卒の名前を憶えてくれるわけだから。班ごとに魔王のいる本陣に呼んだり、配置されている隊列によっては自ら足を運んで、呪符に名前を刻んで完成させていくセリア女王の様子に、メギアストラやハドウルといった親しい者、主だった者は感じ入っている様子だった。
「セリア陛下の対応には頭が下がります」
「それはまあ……これだけの事で軍の同士討ちを防げるなら、ね。流石に前線に出ない輸送隊や後衛への準備までは手が回らないし、防御札の雛形を作るのに魔術師達の手も借りてしまっているけれど」
「数が多いのだから仕方がなかろうな。魔眼の範囲や距離がもっと正確に分かれば適切な対応も可能なのだろうが」
「遠隔から集団に用いることができるのは落ち延びてきた者達の証言から間違いなさそうです。拡散すると抵抗しやすくはなるようですが、逆に言うと一人に対して集中する事で効果も高まる、ようで」
メギアストラの言葉に、報告書を見ながら側近のパペティア族が言う。小国の実力者を集団の中から選んで精神支配をした、という内容を伝える。
「油断なりませんな。雑多な種族を率いている事と言い、札の対策がなければどうなっていたことか」
「魔眼を使う事で消耗はするようだし、そのあたりで駆け引きを狙う……しかなかったでしょうね。消耗させるという狙いに気付けば向こうも使いどころを絞ってくるでしょうから」
ハドウルの言葉に、セリア女王はそうなった場合の事を想像してか、表情を曇らせてかぶりを振った。
質を以てしても量を以てしても対抗するために犠牲が出てしまうのは間違いない。犠牲を払って消耗させても逃がしてしまうと回復されて元の木阿弥どころか状況が悪化してしまう。自分達の消耗、人員の損耗もそうだが、魔眼の効果は浄化しない限り長期間続くという……想像以上に凶悪な異能力であるからだ。
だが、今の魔王軍に関して言うならその前提も覆ってくる。ファンゴノイド達が伝えた防御呪法によって魔眼対策が進んでいるからだ。加えて、目下最大の問題と見做されている竜はメギアストラが抑え、蛮族王自身はセリア女王が対応する。ハドウル達はセリア女王の護衛であり、露払いだ。
行軍中に対策もこれぐらいで十分だろうと思われるところまで進んだため、後は直接対峙するセリア女王の体力や魔力を温存する方向となった。
「体力や魔力の回復には自信があるのだから、もう少し頑張れる気もするのだけれどね」
「駄目ですよ。セリア陛下は放っておくとやれるところまでやってしまうので。しっかり休む事も仕事の範疇とお心得置き下さいませ」
呪符の雛形を作りながらも側近のパペティア族が言う。水魔法による転写の術式を使っていて――これはカーラも魔王国の図書館でも使っている術だな。
「ファルナはセリアを良く分かっておるな」
「セリア陛下とは先代の頃からの付き合いですからね」
メギアストラの言葉にそう答えるファルナは、パペティア族なので表情こそ変わらないものの、どこか楽しそうな声色であった。メギアストラもうんうんと頷き「この前もセリアは――」「ああ、やはり」と、ファルナと談笑する。
セリア女王はそんなやり取りに苦笑しつつも、メギアストラがファルナとも打ち解けているその姿に優しげな眼差しを向けていた。
そうして……やがて魔王軍は蛮族王の軍勢と対峙する。蛮族王は増強された軍勢を維持するために積極的に略奪や狩りを行う。その為、魔王国軍の地方都市を目指して進軍してきた。
セリア女王は平野部へ軍を展開し、迎え撃つ形だ。というのも戦いを長引かせるつもりがセリア女王にはない。元より蛮族王は精神支配した異種を仲間だとすら思っていない。捕虜であり、人質であり、武器や防具であり、食料ですらあると見做している。
だから、都市防衛戦の形で戦いを長引かせる事は、ろくな事態にならない。食料などの軍事物資が蛮族王の軍勢から尽きることはなく、逆に小国の難民を受け入れている魔王軍に物資に余力がないという事情もあった。
「――侵略を受けた小国の者達が使い潰される前に、蛮族王を仕留めるべきだわ」
軍議においてそう宣言したセリア女王の言葉は、小国の者達にとっては有難い事だったろう。他種族の融和は魔王国にとっての国是ではある。理念や人道的な問題というだけでなく、実利面から見ても長引かせることに利がない。
何より、蛮族王を仕留める事は急務だ。精神支配の魔眼があるがゆえに、敵軍は軍という呼称ではあっても集団を纏めている個体が失われればそれだけで瓦解する。
都市に籠って防衛していては魔眼による戦力増強の機会もないから前に出てこない。それらの理由からセリア女王達は野戦を選択したのだ。
「まあ、珍しい竜が敵軍にいるとなれば前に出てくるだろうよ。話を聞いている限り、自身の能力に随分と自信をもっているようだしな」
メギアストラが傍らのセリア女王を見やり、竜の姿でにやりと笑う。そう。その為にセリア女王とメギアストラは最前列にいるのだ。メギアストラは蛮族王を釣り出すためと竜の相手をするため。セリア女王は釣り出した蛮族王を仕留めるために。
ハドウル達、実力者も随伴させてはいるが、装備等は敢えて目立たないものにしている。精神支配を受けた蛮族王の軍勢との戦いは、正々堂々と戦っても名誉ある戦いとはならない。有害な魔物の狩りと同じと考え、使える手札は非道なものでなければ採用、というのがセリア女王の見解だ。
「そうね。目に物を見せてやりましょう」
平原の向こうに展開する蛮族王達の軍勢を前に、セリア女王は怖気づいた様子はない。メギアストラに少し笑って答え、真っ直ぐに前を見据えて戦意を漲らせている様子であった。
その――蛮族王の軍勢の前衛が左右に割れて、輿に乗せられた蛮族王が前に出てくる。玉座に肘をついて自信に満ちた笑みを浮かべていた。
魔界のゴブリンは普通のゴブリンよりも背丈が高く、子供ぐらいの背丈のルーンガルドのものと比べてもかなり大柄だ。
蛮族王はその魔界ゴブリンの、更なる変異体だ。長身痩躯で筋肉質。炎のような赤毛を持つゴブリンロードだ。下顎から長い牙が上に向かって突き出ており、オークのような印象もあった。
魔力を宿した赤い瞳が遠目にも輝いている。腰に大剣を佩き、身に纏った鎧や羽織ったマントも上等な仕立てだ。頭に宝冠を乗せていて、それを見たセリア女王が眉をしかめる。身に着けている装備品にしろ宝冠にしろ、それらは蛮族王が侵略してきたどこかから奪ったものなのだろう。
それでも魔眼の力で他種族を従えているだけの輩が宝冠をその頭に乗せているのはセリア女王の目から見て気分の良いものではない。
王の冠というのはそのような軽いものではないのだ。少なくとも、魔王国とセリア女王にとっては。魔王を継いだ時の決意まで侮られているような気がしたと、後からメギアストラに心情を聞かせてくれたという話だ。
セリア女王やメギアストラの内心はどうあれ、事態は動く。輿に乗せられた蛮族王が前方を指差して声を上げると、雑多な種族で構成された軍が動き始める。平原での蛮族王との戦いは、火蓋を切って落とされた。