番外1699 魔王都での暮らしと
そうして、セリアと名もなき竜は動き出す。竜が魔王国まで送っていくと申し出た時のセリアの表情は完全に虚を突かれた、というようなものだった。
セリアは落ち着いていて理知的な性格だ。口調は堂々としているが、この辺は使者としての立場や竜に初めて会った緊張感が強く出ていて、仲良くなってくると段々素が出てきたという。表情は割合ころころと変わって感情表現は豊か。内面は可愛らしい部分もある、というのがメギアストラ女王の人物評だ。
ディアボロス族の見た目はルーンガルドの住民からしてみると、やや悪魔的なイメージも強い部分があるが……実際に接してみると別に性質が邪悪などという事はない。個人差はあるのだろうが、セリア女王も含め、俺が見てきたディアボロス族は総じて堂々としていて尚武の気風が強く仲間想いというか。歪んだところのある悪魔とは正反対な気がする。
セリアの堂々とした部分も……恐らくそうなのだろう。
「というわけで我の背に掴まるがいい。魔王国まで連れていく」
「命ばかりか使者の使命まで……。本当に……感謝するわ、竜殿」
「構わん。歌や絵を教えてもらったこちらからの返礼でもあるからな」
竜はにやりと笑い、セリアを背に乗せて巣穴を出る。崖の中腹に空いた洞窟から、滑空するように飛び立つ。竜の身体が柔らかな波長の魔力に包まれ、音も振動も風も感じさせず、翼をはためかせることもなく。ただ静かに魔界の空へと舞い上がる。
「傷は塞がっているがまだ完全ではなかろう。できるだけ静かに飛ぶことにしよう」
実際、病み上がりのセリアを気遣って、身体能力よりも魔力を積極的に使っての飛行だったという話だ。
「これは……気遣い痛み入る。想像を超えるような精緻な術で驚いている」
「本来はもっと高い所や雷雲の中を飛ぶための術ではあるのだがな。ちなみに、知識はあったが普段は必要としていなかったから、初めて使った」
竜が肩越しにセリアを振り返って笑う。そんな竜の言葉に、セリアは「おお……」と声を漏らし感動している様子であった。知識はあっても実践した経験が少ない名もなき竜だが……実際はまだ成体となっていない竜なのだ。それでも並の魔物よりも遥かに強力な力を秘めているのが魔界の竜である。
ましてや、メギアストラ女王は魔力に特化した竜だしな。
魔界とルーンガルドでは竜の生態も少し変異しているのか。それとも魔界に引き込まれた竜達の祖先が元々そういう生態だったのか。例えば迷宮の水竜親子は家族として一緒に暮らしているが、魔界の竜達は生まれた時から独立独歩だ。孵化した後に自身の卵を食する事で知識を引き継ぐ事ができるのだという。
「それで、どっちに行けばいい?」
「魔王国の王都――ジオヴェルムが目的地よ。私を拾ってくれた森の中の道は……ああ。あれね。あの道沿いに進んでいけば間違いないはず」
「なるほどな」
竜は頷くと、前方にマジックサークルを展開し、静かな飛行のままで速度を上げていく。それに伴い、スクリーンと客席に広がる景色もスピーディーに流れていく。まるでセリアや竜と一緒に飛行しているかのようだ。
竜が術式によって安定飛行しているので速度を上げても映像酔いしにくいというのは、こちらとしても有難い。竜の速度は変えず。少しカメラの位置を変えて、セリアを乗せた竜の立体映像を客席側に映し出し、色んな座席から二人の姿を眺める事ができるようにしている。
その間にもセリアと竜が話をする事で二人や景色を眺めながらも、観客は魔界に関する知識を深めたり、彼女達に感情移入ができるという寸法だ。
「私も魔術師の端くれとして、もっと魔力制御を鍛えねばならないか」
「ほほう。セリアは魔術師であったか」
「ええ。竜殿の術式はとてもいい刺激になっている」
「それは何よりだ」
こんなやり取りをしているが、後年、セリア女王はメギアストラ女王をして圧巻の魔力制御を誇る魔王となるという。出力ではメギアストラ女王の方が上回るが、コントロールはセリア女王という事らしい。この時の経験や交流がセリアの向上心に火をつけた部分があるのかも知れないな。
そうして――セリアと竜は魔王国の王都、ジオヴェルムへと至る。
「ああ。これはすごい――」
「人の住む場所は不思議なものだな。面白い」
と、それぞれにジオヴェルムを気に入ったようだ。
当時の街並みは今とは少し違う。魔王城も増改築されている部分はあるし、想念結晶塔は今のような大きなものではなく、ずっと小型の補助的なものだ。魔王城以外の建築物――特に民家についてはもっと違っている。時代時代ごとの流行り廃りもあって結構様変わりするのだ。
メギアストラ女王やファンゴノイド達の記憶や魔王国側の資料を元に、時代ごとのジオヴェルムの移り変わりもある程度分かっているから、この辺の変遷も幻影劇中に落とし込んである。
ともあれ、竜に乗っての来訪はかなり魔王国側にとっても大きな出来事だったようで、兵士達や武官達に囲まれて大ごとになっていたが、セリアが丁寧に事情を説明し、窮地に陥ったところを竜が助けてくれた、という旨をしっかりと伝えていた。竜は助けてくれただけなので、魔王国とも自分達の一族とも関係がないと。
「む。関係がないとは。もう友人だと思っていたのだが」
「勿論、私個人としてはそう思っている。だから――いや、話がややこしくなってしまうが、とにかく友人は使者の立場とは違う。問題があったのならその責は私だけに」
と、そんなやり取りをしながらも魔王国側の将兵達に竜に手出しをしないよう伝えるセリアであったが、魔王国側の面々――特に当時のギガス族の騎士団長は大笑して応じた。
「はっはっは! 良いな、使者殿と竜殿は! 魔王国は様々な種族の友好を旨としている。庇い合う友人同士を傷つけては魔王国の沽券に関わるというものよ!」
ギガス族の騎士団長の言葉に、周囲の緊張も少し解けた様子で、そこに厳かな声が響いた。
「――その通りだ。使者殿と竜殿は賓客として丁重に迎えるように」
「これは魔王陛下」
騎士団長が敬礼で応じる。現れたのは当時の魔王だ。先々代、という事になるな。竜が飛来したという事で様子を見に来たらしい。
種族はパペティア族だが――外装や衣服から覗く顔や腕は透き通っていて、内側から青白い魔力の輝きを放っている。
背中からも腕が生えている。腰からはロングスカート型の外装を身に着けているが、脚部は外からは見えておらずに宙に浮かんでいた。一般的なパペティア族が人型の造型を好む事に比べると、結構かけ離れた姿をしているな。
セリア女王、メギアストラ女王から見ても当時は相当隔絶した魔力を秘めているのを感じたという話だから、やはり魔王に選ばれた実力者という事なのだろう。
「使者殿も竜殿も……うむ。その在り様も造型も美しいな。素晴らしいことだ」
魔王はそう言って笑っていたというから、価値観はパペティア族のそれ、という印象があるが。
ともかくそんなやり取りを経て使者としての務めを果たし、少しの紆余曲折はあったもののセリアの部族も魔王国に編入されたという。
編入前からセリアと竜は魔王からいたく気に入られて国賓として迎えられた。セリアは王都の一角に仮住まいを与えられて厚遇されたという話であるが――。
「こういう場での暮らしというのも中々面白いものだな!」
魔王都での生活、文化が気に入った名もなき竜は、半同居のような形で度々セリアのところに泊まり、滞在していたという話だ。生活様式に合わせるために初めて人化の術を使ったという竜は――メギアストラ女王の面影はあるが今よりずっと幼い姿で。セリアと一緒に屋台で買い食いをしたり、将来セリアに仕える武官文官と知己を得たりして魔王都での生活を楽しんでいた。
そういった光景をBGMと共にダイジェストで観客に見せながら幻影劇は進行していった。