番外1685 妖精姫と魔界と
季節は本格的な夏に近付いている。戴冠式も結婚式も少し暑い時期になってしまうとは思うが、当日はジョサイア王子とフラヴィアの周囲は勿論、街中でも闇魔法で陽射しを少し弱めて、熱中症対策を行う予定だ。これに関しては街中の各所に仕込む幻術の魔道具に簡単に組み込める。夏場、冬場共に使えるようにオンオフできれば使い勝手も良い。
「空間に投影する幻術と相性がいいからね」
「兄上も暑い日の危険性と対処法を周知すると仰っていたよ」
俺の言葉にアルバートも笑って頷く。
折角の晴れの日に体調を崩してしまってはつまらないし元も子もないからな。熱中症の危険性を伝えると、ジョサイア王子も「城からも街の皆に伝えるので是非その方向で進めて欲しい」と応じてくれていた。
同盟各国や国内の領主達にも日程が伝えられて、知り合いの面々は皆来訪の旨を告げてきている。当日振る舞われる酒と料理の準備も進められていて、タームウィルズの街中も賑やかな雰囲気だ。
人出が増える事で若干のトラブルが起こるのは致し方ない事ではあるが、その辺は騎士団や兵士達が巡回を増やしたり、盗賊ギルドも水を差さないようにと手を回してくれていたりするので表裏で抑制が働いているために賑わいの割りに落ち着いたものだ。
フォレスタニアもそれに応じて観光客や冒険者が増えているが、こちらも問題はないかな。
酒の席でのトラブルもあるが、酔っ払いに絡んでのいざこざがあった場合はクリアブラッドの魔道具で対応して良いと巡回している面々には伝えている。
酔ってトラブルを起こしているところをいきなり素面に戻された場合、恐縮して頭を下げてくる場合が殆どという報告を受けている。一度クリアブラッドで正気に戻されると寸前までの記憶が鮮明だし気分の落差が大きいから、かなり効果があるというか。
現場の兵士達からの評判も良いな。酔っ払いの対応をするにあたって怪我をしたりさせたりする心配がないからだ。加えて言うなら短時間で問題が解決して注意で終わって後に引かないし、当人にも強く印象に残るので再発に気を付けようとする者は自身の酒癖に自覚を持ってくれる。その上、クリアブラッドは中毒等の応急処置にも使えるしな。こちらとしてはメリットが大きい。
フォレスタニア側だけでなく、タームウィルズでも同じような対応を、という話になっているな。まあ、治安向上と対応の楽さを考えるとそうなるか。事態が深刻になりにくいから大目に見やすくもなっているし、実際対応としては前よりも大らかな雰囲気すらある。
とまあ、そんなわけで戴冠式と結婚式の準備は順調に進んでいる。
当日は各所に水魔法を使った休憩所、給水所も用意される予定だ。この辺の魔道具は工房製ではなくヴェルドガルお抱えの魔法技師達が準備を進めてくれているな。
そのためこちらとしての負担や仕事は増えるわけでもなく、また本番に必要な準備そのものはもう粗方できているので、今現在は工房の面々やサティレスと共に新しい幻影劇の作成作業を進めている。
「サティレスのお陰で幻影劇を作る速度も上がりそうだし、上手くすると結婚式までに作成が間に合うかもね」
「恐縮です。私としても幻影をこう見せればこう感じるといった感想を聞けると思うので、色々と参考になりそうですね」
サティレスが俺の言葉ににっこりと笑う。立体映像の作成は全体を見回す事もできるが、一番見せたいものは正面側に置いておく必要があるし、実際今まで作った物も基本的にはそれを心掛けている。周囲を見られるのはあくまで現実感や没入感を高める演出なのだ。
見せたいものが正面以外にある時は光源や物音を使ったりして観客の視線を誘導するようにしている。
他にも主観的な映像を動かす際は平行移動させて酔わないようにするなど、気を付けなければならない事も多い。
この辺は感覚没入型ではない頃――立体映像を基礎としたVRには結構付きまとった問題という事で、前世でVRに触れてから暫くした頃に少し調べたことがある。視差を利用した映像を左右の目に見せるだけで立体的に見える、というのがそれだ。
この時、主観的な映像が動いているのに対して、身体の方が動いていないと、感覚に齟齬が生じて所謂3D酔いをしてしまう。原理的には船酔いと同じだな。周囲が動いていないように見えるのに船が水の影響で上下しているものだから酔いが生じる。
だから主観的な映像は上下左右に揺らさない方が良い。平行移動で進むだけならば酔いは比較的抑えられる。長時間にならなければ不慣れな者も問題は出ない。
そうした工夫というのは……全く逆にノウハウを応用すれば三半規管への攻撃になるのでサティレスにとっての武器になったりもするわけだが。
サティレスには相手の見ている風景そのものを幻術として展開し、気付かれにくい程度に小さく揺らす事で知覚しにくい攻撃にもできる、というのは伝えている。
この辺は三半規管の丈夫さ、と言えば良いのだろうか。そうした耐性や慣れに依存するので効き目に個人差はあるが、ルーンガルドでは3D酔いを経験したことがある者もほとんどいないだろうから、効果を発揮する場面もあるだろう。
「魔法への耐性とはまた違う原理で効果が出るから手札としては面白いかもね」
「効果的に使えるように精進します」
俺の言葉にそんな風に頷いていたサティレスであったが。
ともあれ、サティレスの手伝いもあって立体映像の撮影は順調に進んでいる。新しい幻影劇は先代魔王――セリアの話という事で、メギアストラ女王から聞いた情報やファンゴノイド族の記憶も見せてもらい、当時の魔界の様子やセリア女王の姿等もかなり再現度が高いものになるだろう。
立体映像で細かな素材も作ってサティレスのノウハウもしっかりしてきたので、後はサティレスを実際に魔界に連れていき、魔界の雰囲気であるとかメギアストラ女王の竜としての姿、ファンゴノイド族の過去の記憶を見てもらえば本格的に映像作成に移っていく事になるだろう。
サティレスは迷宮深層の守護者だから、魔界迷宮の事もしっかりと知っておくべきだと思うしな。
そんなわけで……執務や工房の仕事、リハーサルの合間を見てサティレスを連れて、みんなと共に軽く魔王城を訪問する事となった。
迷宮内の移動に際して、ユイやオウギ、アルクスが魔界への回廊や要塞部分の道案内をしてくれる。魔王城からはボルケオールの案内だな。
「アルクス様の本体とお話をするのは初めてですね。どうぞよろしくお願い致します」
回廊を抜けたところで、アルクスの本体と顔を合わせてサティレスが丁寧に挨拶をする。これまではスレイブユニットを通しての面識だったからな。
「こちらこそ。普段は要塞の守護任務についているが同じ守護者として、友人として仲良くしてもらえると嬉しく思います」
アルクスもそう言ってサティレスと握手をしていた。そんな二人を見てユイもにこにことしていたり、オウギもうんうんと頷いたりしている。
というわけで浮遊要塞の内部をアルクスの道案内で移動していく。平時なので要塞内部の移動もスムーズなものだ。やがて境界門の間に到着すると、サティレスは興味深そうに庭園を眺めていた。
「フェアリーライトが綺麗ですね。好きな花ですよ」
そう言いながらフェアリーライトを愛でているサティレスである。妖精とフェアリーライトは名前からして似合う部分があるな。
「それなら、星海群島の調整の際にフェアリーライトが自生する部分を作るのもいいかもね」
「本当ですか? それは嬉しいですね」
サティレスは俺の言葉に微笑んでいた。
「おお。待っていたぞ」
境界門の前まで辿り着くと、パルテニアラも顕現してサティレスを歓迎してくる。さてさて。では魔界へと移動していくとしよう。