番外1661 擬態獣との一戦
「あれはわたくし達が」
「ああ」
ローズマリーの言葉に俺も頷き、イグニスと擬態獣が戦闘を開始する。
枝葉のような尻尾を鞭のようにしならせて、高速で打ち込んでくれば、それに対応するようにイグニスがマクスウェルや戦槌を合わせ、剣戟の音が響き渡った。
打ち込む衝撃か音か。その戦闘音に呼応するように近くにあった深い水たまりからも何かが複数這い出して来る。
甲殻類系の何か。姿としてはヤシガニに似ているが、図体も魔力も中々に大きい。
水たまりに収まっていたとも思えないので、地下脈とああした一部の水たまりは直接つながっているのだろう。いずれにせよ新手の出現という事でみんなも身構え、即座に対応を見せた。
「そこ!」
イルムヒルトが光の矢を放つ。牽制の一撃は、しかしヤシガニが体表に纏う氷の鎧に防がれていた。身体の周囲に煌めきが走り、そこから氷の弾丸を応射してくる。
「氷なら私が!」
アシュレイが一歩前に出てメイスを虚空に振るえば、飛来した氷の弾丸は魔力の干渉波を受けて形と勢いを失うように散る。氷の塊が細かく霧散して、きらきらとした光を空中に残して消えた。
ラヴィーネも反撃とばかりに氷の弾丸を撃ち返す。ヤシガニ達は自分達の正面に氷のレーンを作り出すと、砲弾のような速度で滑り出し、四方八方に散るように回避して見せた。
と、その動きを阻害したのがアンバーだ。地面に前脚をつくようにして干渉すれば、地形が波立つように変化して滑走が乱される。ほぼ同時にコルリスが跳躍しながら岩塊を叩きつければ、回避もできずに直撃した。
氷の鎧を纏っているとはいえ、魔力を帯びた岩塊の威力までは受け切れなかったか。コルリスの一撃を受けたヤシガニは活動を停止する。呼吸のぴったり合った良い連携だ。
動きが乱されると同時に、グレイスも別のヤシガニ達に踏み込んでいた。撃ち込まれる氷の弾丸を纏った闘気の壁で突破し、斧を振り抜けば、軌道上にいたヤシガニが真っ二つにかち割られる。
一方、イグニスと擬態獣はと言えば、凄まじい速度で振るわれるマクスウェルに対し、擬態獣もまた高速で尾を振るってその動きについていっている。枝葉のような尾はしなやかに伸縮し、可動域が多い。鞭のようでありながら尾の先についた葉の縁が鋭く、闘気を纏ったそれは速度も重量も十分な威力が伺える。
通常の肉体を持つ者がまともに受けたら無数の葉刃で引き裂かれる事になるだろう。一瞬出力を上げたイグニスがハンマーでそれを受け止め、マクスウェルを振るうが――。
横合いから魔力を帯びた木の幹が槍のように突き込まれ、手甲で弾きはしたものの、たたらを踏んでいた。空中で擬態獣が弧を描き、右に左に跳躍して爪と尾を振るってくる。
横合いからの攻撃は――擬態獣の新手ではない。木魔法による操作。擬態獣自身の特性を考えれば、木に干渉するような相性の良い術式を持っているのは納得だ。擬態獣は見せた手札はもう隠す必要すらないと判断したのか、咆哮すると周辺の木々に干渉し、槍や盾として攻防に交えつつ、イグニス、マクスウェルと切り結ぶ。
イグニスの支援を行うローズマリーもそれは望むところというように笑う。この区画に出現する魔物は未知の相手ばかりだ。だからこそ、手札を引き出して相手の出来る事、出来ない事を把握して早期に対策を練っておくのが重要と言える。
擬態能力も樹木の利用も、厄介な能力ではあるが知識としてあるかないかだけでもかなり変わるしな。実際、イグニスが相手をする事で比較的安全に手札を引き出す事ができたし、以後後衛でも擬態獣による奇襲攻撃への対処がしやすくなるだろう。
「行きなさい」
静かにローズマリーが言って、複数のマジックスレイブを解き放つ。すぐさまイグニスの出力強化に使うというわけではない。四方に飛んだマジックスレイブは、何もせずにそのまま戦場に滞空する。
擬態獣はそちらに意識を向けつつもイグニスと切り結ぶ。マジックスレイブの動きや位置も意識しながら包囲されないように位置取りしているのが見て取る事ができるが――。多角的な戦いにも対応できるスペックを有しているというのが分かるな。
ローズマリーが出力強化をしていないとはいえ、ああしてイグニスと渡り合っているあたり、擬態能力を持っているが直接戦闘能力も十分にあるという事だ。
切り結びながら葉刃を周辺に浮かんだマジックスレイブや後方のローズマリーに向かって飛ばすが、マジックスレイブは的が小さく十分に距離を取っているので当たらず、ローズマリーが見えている位置はマルレーンの幻術による支援によって映し出されたものだ。葉刃そのものが当たってもすり抜けていく。
ローズマリーも立ち位置を変えながらイグニスの支援が可能な位置取りをしている。隠形符も併用して使っているから、イグニスに対応しながら遠距離攻撃をローズマリーに命中させるのは至難の業だろう。
と、攻防の中で先に仕掛けたのはイグニスの方だ。武器と尾とが交差して火花を散らし、弾かれて互いに後ろに飛ぶ。次の瞬間、イグニスは身を屈めたかと思うと爆発的な速度で踏み込んでいった。擬態獣もそれを見て取ると魔力を噴出させて迎撃の構えを見せる。
周囲の木々がざわめき、一斉にイグニスに向かって突き進む。イグニスは速度を緩めずに突っ込み、擬態獣もまた真っ向から受けて立つ。
「今――」
ローズマリーの冷徹な声。
迫る木々がイグニスに命中するより前に。それらが一斉に中空で断ち切られた。
周囲のマジックスレイブが、切断に特化した魔力糸を蜘蛛の巣状に展開したのだ。空間に張り巡らすには強度に優れた構造。一瞬の発動だが、スレイブの座標固定に魔力を集中させている。
全てを切り裂けたわけではないが、残った木々ではイグニスとマクスウェルの攻撃を押し留められるほどの物量ではない。互いにそのままの勢いで激突する。瞬間、生物としては有り得ない角度にイグニスの身体が曲がりながらも、魔力が込められた爪を回避。下から掬い上げられるようにマクスウェルが振り抜かれ、跳躍しながら避けると同時に擬態獣の尾が叩きつけられる。
激突する尾とマクスウェル。弾けるスパークに合わせるように、イグニスに装備された閃光弾が炸裂していた。擬態獣の身体は激突の余波で空中に押し留められたままだ。
或いは――視界が万全ならば続くイグニスの動きに対応する事も出来たのかも知れないが――。
上体がぐるりと回転して、擬態獣の下に潜り込む。マクスウェルは磁力に任せて手放し、そっと左腕を擬態獣の胴体部に添える。流れるように自然で、攻撃というにはあまりにも静かな動き。
躊躇なく。手甲に装備されたパイルバンカーが炸裂していた。胴体部を撃ち抜いたまま、パイル自体に仕込まれた雷撃術式までもが解放される。擬態獣は一瞬身体を跳ねさせ、そうして動かなくなった。マジックスレイブの発動と、そこからのマクスウェルとの連携。イグニスに装備された兵装の効果的な運用。
十全にイグニス達の能力を引き出しつつ、ローズマリー自身の魔力消費は抑えた戦いの運びと言えよう。
「感知能力は視界に頼っている部分があるようね」
ローズマリーが羽扇で口元を隠しながら言う。
確かに、閃光弾からの一連の攻撃を避けられるならば、視力以外での感知能力があるという事だからな。攻防の中で終始相手の能力を明らかにするように動いていたのだから有難い話だ。
擬態獣自身もイグニスと切り結べるほどの能力を持っていたし、この分なら魔石の質も期待できそうだな。