番外1656 水平線と星と
「この門をくぐる前に、少し良いでしょうか?」
ティエーラが言葉を紡ぐ。一緒にいるコルティエーラも宝珠を抱えたままでこくんと頷く。
「勿論」
俺達の視線が集まると、ティエーラは静かに頷いてから続ける。
「迷宮の区画は中枢に繋がる一部を除けば、資源確保や訓練のためではあります。この先は私の影響を受けて生まれた区画ではありますし、私の在り方は変わっていません。ですから……恐らく力を得るための迷宮魔物も出てくるのだろうと思います」
ティエーラがそう感じている、という事は恐らくはその直感は正しいのだろうと予想される。
迷宮管理者となった事もティエーラの考え方にも影響を与えているだろうし。
「とはいえ皆の怪我を望んでいるわけではありません。強く育ってくれる事を喜びとし、望んでいる気持ちと矛盾はしているようではありますが……心配する気持ちもあるというのは心に留めておいてください」
「私の半身は管理者だから……。この区画に限らず迷宮魔物達を止める事はできる……。訓練であるのなら、無理は良くないから」
ティエーラの言葉を引き継ぐように、コルティエーラも言った。
「このあたりは、少し複雑な感情ですね」
ティエーラが少し苦笑して言う。
「うん。ティエーラとコルティエーラが期待してくれているのは分かるから、それには応えられるようにしたいな。基本的には撤退や避難の判断と方法も自分達でしていこうと思う」
「そうね。転移魔法については任せて頂戴」
俺やクラウディアがそう答えると、ティエーラは微笑んで頷いた。
「理解があるから、助かる……」
俺の言葉にコルティエーラがそう言って、ティエーラと共に微笑む。
ティエーラの言う強く育つというのは、戦いにおいての単純な強さというだけではなく、生存能力全般に絡んだ話だしな。
例えば助け合う群れとしての力……種が生存に適するコロニーの形成や技術力といった知識の伝達や継承も種としての強さだし。
勿論この場合……危険を察知して退避し、生き延びる、というのも強さの一種ではある。
ティエーラ達としても迷宮管理者としての立場から離れれば中立ではあるが、精霊としての在り方がそもそも強い種が続いていってくれるのを望む、というものだからな。
つまり……中立とは言っても本質的なところではルーンガルドに生まれた生命全般の味方だと言えるし、それ故にこうやって関わりが深く、親しくなれば心配してくれる。中立であろうとする在り方とは矛盾するような気持ちも抱いてしまうものなのだろう。
だから、迷宮管理者としての部分以外ではティエーラにはあまり頼らないようにしてやりたい。その辺で思い悩んだり心配をかけたりしないように。
そのあたりの事はみんなも分かっているからか。そうしたやり取りを受けて各々気合の入った表情になっていた。
「調査の前に士気が上がっているようで良い事だけれど、みんなも気負い過ぎて無理のないようにね。撤退した場合に自分達の力で無事に帰るっていうのも、またティエーラの期待してくれている事そのものなんだし」
そう伝えると気合はそのままにみんなも頷いて応じてくれる。うん。問題はなさそうだ。
「では、門を開きます」
ティエーラが巨大な門にそっと触れると――ゆっくりと奥に向かって扉が開いていく。中心部から光が漏れるようにして、真珠のような質感の光の境界が出現した。
「それじゃあ、先行して安全確認するよ」
「お気をつけて」
「うん。一先ずの問題がなければカドケウスが知らせる」
そう言うと一同頷き、カドケウスが任された、というように猫の姿で右の前脚を片方上げていた。というわけでみんなに先んじて門をくぐる。
基本的にどの区画も入口周辺はセーフティーエリアになっているが、ティエーラの影響で作られた新区画だ。門をくぐる際も念のために警戒はしておいた方が良いだろう。
眩い光に包まれて、区画と区画を繋ぐ門を抜けたかと思うと、空気感が庭園と変わる。
――そこはかなり開けた場所だった。門の周辺は一段高くなった、円形の石造りの広場になっているが、その先もまた見通しのいい開放的な空間が広がっている。しかしまあ……これはすごいな……。流石はティエーラの区画というべきか。
風景に見惚れてしまいそうになるが……先にやるべきことをやっておこう。風景に見惚れていたから危険に晒されたというのも、原因として起こってしまいそうだし。
周囲を少し探ってみるが……やはりセーフティーエリアになっているのか、この広場とその周辺に関しては魔物の姿もなく、問題はなさそうだ。
早速カドケウスに合図を送ると、カドケウスは門の前まで移動して大丈夫というようにこくんと頷く。それを見たみんなも、早速門をくぐってこちらへとやってきた。
「これは――」
「すごい……」
みんなも眼前に広がる風景を見て、衝撃を受けているようだ。
ティエーラの新区画――広場の周辺はウユニ塩湖のような光景が広がっていた。鏡面の浅い水面が、どこまでも続いているように見える。
空は明るい星空だ。天の川のような天体群の青や紫のグラデーションが水平線の彼方に映し出され、巨大な木星のようなリングのある天体が浮かんでいて。圧倒されるような大きさというか距離感で空に浮かんでいるな。絶景という言葉以外が出てこない。
遠くの風景は迷宮が映しているものなのだろうが、実際に何やら空中に浮かんでいるものがある。大小様々な岩だ。足場のように小さな岩が大きな岩へと繋がっているようで、それを追っていくと、点在する浮遊島に繋がっていた。
「私の影響で生まれた区画、というのも不思議なものですね。何となく、魔力は落ち着くものを感じますが」
ティエーラが区画の様子を感知して、そんな風に言う。コルティエーラも腕に抱えた宝珠を明滅させつつ、空を仰いで頷いていた。
「環境魔力は確かに澄んでるね」
「景色も綺麗だし、危険な迷宮魔物が出ないのなら居心地は良さそうだわ」
俺の言葉にクラウディアも頷く。
非常に魔力が澄んでいて、秘境や良い魔力溜まり――霊場に行った時のような静謐な空気がある。迷宮の性質を考えると、ティエーラに近しい性質の環境魔力が蓄積されている区画という事になるのかも知れない。
巨大な天体や天の川のような宇宙を意識させる風景も……ティエーラが始原の精霊として宇宙を放浪していた時期があった、という事を考えると納得できる部分もあるか。
新区画だからまだ精霊達はいないが……まあ、門は開放されたからな。小さな精霊達はここを気に入りそうな気がするが。
「他の区画にない特性があってもおかしくはなさそうだ。浮遊島自体が探索できる場所なのかも知れないね。水面側も気になるところではあるけれど」
この区画を探索しようと思うなら、レビテーションは必須かも知れないな。俺達の場合は空中戦装備もあるから問題はないが……。
まあ、まだ冒険者達に開放できる区画はどうか分からないから心配する段階ではないか。浮遊島の探索ができないならできないで、水辺にも何かあるかも知れないし。
「余裕があれば探索班を変えて水面側の調査を行うのも良いかも知れませんな」
「後方支援だけというのも何だしな」
オズグリーヴが言うと、ゼルベルもにやりと笑って頷いていた。ユイやヴィンクルもうんうんと頷いていたりするな。
ともあれ……まずは調査がしっかりとできるように、この広場で色々と準備を整えてから動こう。
ティエーラの影響を受けた区画だし……現時点では秘匿すべきかどうかも不明だからな。
確保した素材を転界石でギルド側に送っていいものかも不明な点があるから、確保した物資はまず転送魔法陣でこの広場に送る予定でいる。
転送魔法陣を描いて物資集積と休息のための天幕も張ってと、調査前の準備を進めていく。諸々終わったら、いよいよ調査開始といこう。