番外1646 境界公の野外講義
「みんなで作業する風景は良いものですの。しばらく見学していっても良いですの?」
「勿論です」
楽しそうにみんなの天幕設営を眺めるヴェリーツィオに小首を傾げて尋ねられ、俺も頷く。
ヴェリーツィオは人化の術を解いたのか、足の部分を本来の姿である根に戻すと、アウリアやクレーネが使う比較的小型の天幕の近くに埋まるようにして作業風景を眺める。
腰を落ち着けるというのか。人化の術を解いてもヴェリーツィオの印象は大きく変わらないな。
ともあれ日向に腰を落ち着けて子供達の作業風景を眺めるヴェリーツィオは非常に満足そうで何よりである。
さて。そんな調子で天幕の設営ができたところから、子供達が申告にやってくる。俺達の天幕の設営は終わっているので申告に来たところから安全確認を行っていく。
ティアーズ達が付いているので天幕の設営も問題なさそうではあるが。
「うん。しっかり出来てるね」
「良かったです」
「がんばりました!」
嬉しそうに表情を浮かべる子供達である。
「照明を支柱のこの部分に吊るせるようになっているんだけど……これは後で説明するよ。みんなもそんなに時間がかからずに設営が終わると思うから、そうしたら水を汲んできたり他の作業の準備を進めていこうか」
訓練も兼ねているので天幕の中の照明は術式や魔道具ではなく、一般的なランタンを使う事になる。火と油を使うので安全のために監督と説明が必要ではあるな。サラマンダー達もいるし天幕や子供達それぞれに担当のティアーズや働き蜂達が付くので安全性は高いが。
俺の言葉に子供達は少し真面目な表情になって頷くと早速動き出す。水についても訓練という事を考えて、実際水源まで行って汲んでくる形だな。
「水源については近くに小川がある。だが、綺麗に見えても生水は安易に口にしないように」
イグナード王がそんな風に注意事項を伝えていた。エルフの集落には井戸もあるという話だが、野営なので井戸ではなく小川から水を汲んでくる。
天幕の設営。火の起こし方や取り扱い方に、煮沸や濾過、浄化の術式といった飲料に適した水の確保。するべき事は色々だが、実際に体験した上で後から文章や図解などにしてまとめた物を配っておけば身に付いた経験や知識として機能してくれるだろう。
出来上がりを待つ間に、俺は俺でアルバートと共に男女別の簡易トイレをいくつか設営しておく。一々船まで戻ってトイレという形では不便だしな。
そうして設営が終わったら水の確保や火、燃料の取り扱い方等々の説明――というよりは軽い講義のようになってしまったが――を行っていく。
「ん。今回は焚火台があるけれど枯葉や草に引火して火が広がる事がある」
「焚火をする時は風向きや強さに注意したり、きちんと周囲から燃えやすいものを除いておくようにね。今回はアウリアさんやクレーネさんが火の精霊にお願いしているから安心だけれど、普段はそんな万全というわけではないものね」
シーラやイルムヒルトもそんな風に冒険者としての経験に基づいた注意をしてくれる。雨風の凌ぎ方と防寒、清浄な飲み水、燃料と火。どれも重要な事なので具体的な事例や気を付けるべき要点と共に伝えていくと、子供達は真剣な表情で頷いていた。
こうした話は……タームウィルズやフォレスタニアに住んでいるに限らず選択肢が広がるからな。真剣に聞いておいて損はない。
冒険者や迷宮探索として日々の生活の糧を得ながら別の目標を持つというのも選択肢として十分に有りだし、こうしたサバイバルと野営の知識というのは武官や行商人、傭兵になったとしても役に立つ。
遭難や避難……その救助等々の有事でも使えるだろう。そんな状況は無いに越したことはないけれど、経験と知識があれば違ってくる。
森の浅い部分で軽く薪に適した乾燥した枝を集めたりもする。薪とて適したものとそうでないものとで違うし。訓練なので必要になる量を全て森から集めるということはせず、訓練や体験になる、という程度の収集ではあるが。
様々な火のつけ方、火口の使い方、火起こしのポイントを説明したり、今回とは違う水の集め方と浄化方法をいくつか幻術も交えて説明したり実演して紹介もしておく。
そうした諸々の講義に対して――子供達は真剣でありながらも、同時に楽しんでくれてもいるようで。火をつける事と煮沸による水の浄化はセットだ。料理と飲用水でも使えるので、これから班ごとに夕食を作る作業も兼ねている。
「火傷しないように気を付けてね。もし今日出来なくても、フォレスタニアで訓練できる場を用意しておくから、一人で火を扱ったりしないように」
俺の言葉に年長者も年少者も真剣な表情で頷く。
火口に点火が成功した班は竈に入れて薪をくべ始める。一方で点いた火が消えてしまった班もある。そうした結果に一喜一憂している姿は微笑ましいものではある。危なっかしい場合でもサラマンダー達が傍についてフォローしてくれているな。子供達の火起こしを応援するように見守ってくれている。
生活魔法を使える者、火魔法を使える者も子供達の中にはいるのだが、今回訓練なので魔法は無しという方向だ。そうした術が使える者は広場に集積されている薪を班のところへ運んだり、鍋に水を入れて竈に置いたりと、別の作業で班の仕事を手伝っている。魔力切れの時のために敢えて訓練するという想定で火起こし等をするのは自由ではあるが。
「空気の通り道が大事だってテオドール様が言ってたからここのところをこうして――」
「やった! 火が点いた!」
と、あちこちで声が上がり、賑やかな訓練風景である。ヴェリーツィオもそんな光景に目を細めて先程養蜂場で言っていた虫を操作する術式を発動させたりしていた。周辺の虫の動きをコントロールして虫よけを行ってくれているようだ。
「ありがとうございます、ヴェリーツィオさん」
「頑張っている子供達が集中できるならお安い御用ですの」
俺の言葉に微笑むヴェリーツィオである。
講義を受けたら実践という事で子供達にとっては中々に大変そうではあるかな。ただ、体力回復の魔道具は使用自由にしている。まだ日も高いので頑張って挑戦してもらいたいところだ。
やがて全ての班が火起こしを終える。先に火おこしの終わった班が終わっていない班に手伝いに向かう。実に結構な事だ。簡易の竈に鍋をかけて綺麗な水を作りつつ、そのまま料理の時間という事になった。
班ごとに料理を作り、みんなで夕食という事になるな。
広場の中央に陣取り、料理の手順を説明していく。今回はキャンプで定番かつ、比較的簡単で失敗も少なめという事でカレーライスを作る予定だ。
準備してある食材を班ごとに受け取っていき、早速料理の時間となる。
「料理をする前に――きちんと手や調理器具、食器を洗う事。手を怪我している場合は料理をしない事。食材は食べられる部分、食べられない部分をきっちり分けてきちんと火を通す事。どれも食中毒を予防するために必要な事でね」
衛生関係についても理由も含めて指導しておく。食中毒の原因の一つとしては……菌の働きによるものだ。精霊とはまた違う目に見えないぐらい小さな生き物がいて、有益なものと有害なものがいるといった具合だ。食材そのものが毒を持っている、という場合もあるが。
菌の場合は有益なら発酵に利用できるし、有害なら毒素を作り出す。まあ、浄化の魔法もあるし食中毒もクリアブラッドで対抗できるのだけれど。
「怪我をしている場合……どうして料理をしてはダメなのでしょうか?」
「怪我をしている部分に小さな生き物が栄養を求めて集まっている場合があるからだね。その生き物が作り出した毒素が食材や料理に移って、それを口から接種した場合お腹を壊したりしてしまうっていうわけだ。この毒素の場合は、加熱で小さな菌は倒せても既に作られた毒は性質を失わなかったりするからね」
「目に見えない小さな生き物か。前に本で目にした記憶があるよ」
ブレッド少年の質問に答えるとアルバートがそう言って、みんなも感心したように頷いていた。これは俺の一足飛びな前世知識というわけではなく、ルーンガルド側でも書物で提唱されていたりする内容でもあったりするので伝えて問題はない。
というわけでまずは手指の浄化からだな。何もなければ作りたての清潔な灰を利用した方法でもいい。サバイバル的な方法を説明しつつ、今回は魔道具や術式による浄化を行う。手指に傷のある者は浄化と治癒術の併用だ。
それが終わったらみんなで料理を進めていくとしよう。今からなら丁度良い頃合いに料理の仕込みも終わるはずだ。