231 火精温泉
「水着持参でいらっしゃった方はそれで結構ですが、そうでない方はこの湯着を。施設内ではこれを着てお過ごしください。販売もする予定ですが、今回は試供ということで」
用意した湯着を水着を持っていない者に配る。巫女の水行用の服そのままだと肌が透けたりして、少々問題があったので染料で着色してある。
形状も下はトランクス風であったりキュロットスカート風であったりと、割と当たり障りのないデザインだ。腰のあたりを紐で締める形なので、サイズにもある程度融通が利く。
湯着が行き渡ったところで移動して各所を解説していく。まずは大浴場からだ。
男湯に通すと、おおという歓声が上がった。陽の光が差し込み、湯気で白く煙る大浴場の様子は、なかなかに浮世離れした雰囲気である。水没した遺跡というイメージで作ってあるのだ。洗い場やうたせ湯、サウナを除けば、ほとんどを浴槽の面積が占めている。
大浴場に関しては男湯女湯の違いはほとんどない。全面が石で作られており、床は滑らないようにある程度のざらつきを残し、壁や天井は大理石のような滑らかな質感である。
湯船の中から直接、天井を支える太い柱が突き出している。浴槽の真ん中に台座があり、台座の上には水瓶を傾ける女の彫像がある。その水瓶から湯が止め処なく流れ落ち、浴槽を湯で満たしているというわけだ。
「こちらが男湯になります。温泉の効能としては火傷や皮膚病に効果があります。また傷の治りも早くなり、肌も瑞々しく保たれると言われていますね。薬効があり、魔力も含まれていて、飲んだ場合にも一部の内臓の病に効果があるようです」
湯の効能についてはジルボルト侯爵の受け売りだ。美容に効果が高いと聞いて女性陣の受けは良いようである。
「では、こちらへ」
浴場の一角へと案内する。そこは円形に区切られた浴槽があった。ジャグジー風呂だ。
まあ、公衆浴場ということで、それなりの人数に対応できるようにしてある。ジャグジー風呂としては割合大きい部類だろう。
「これは? 縁に魔石が埋め込まれているようだが」
メルヴィン王が首を傾げる。
「はい。ここに触れますと――」
魔石に触れて魔道具を起動させると、浴槽が水流と泡で激しく撹拌される。何人かが目を見開き、身を乗り出したのが分かった。
「こうやって水流と泡で身体をほぐし、温泉による血行促進の効果を高めようというわけですね」
「ほほう。面白い趣向よな」
そのまま移動する。
洗い場を横切り仕切りの壁の裏側へ回ると、そこは天井付近から湯が注がれる、うたせ湯区画であった。獅子の顔の意匠から湯が流れ落ちている。
「これは?」
「うたせ湯と申しまして、あの落ちてくる湯の勢いを利用して、身体のこりをほぐしたりするものです。肩や首筋に当てたりといった使い方を考えています」
「ほうほう。先ほどの泡風呂と言い……面白いものですな」
強い興味を示したのは宰相のハワードであった。食い入るように獅子の顔を見つめている。
「次に行きましょう。こちらへ」
頃合いを見ながらサウナの扉へと向かう。入口の脇に水飲み場と水風呂が用意してある。
「こちらは蒸し風呂になります。汗をかくことが目的なので、水を飲んでから入室してください。中で汗をかいたら水風呂で体を引き締める、というわけです」
サウナの使い方や注意点などを説明していく。
さて。これで大浴場内の設備は説明を終えただろうか。続いて2階の休憩スペースへと移動する。ここはソファやテーブルなどが置かれていて、思い思いに話をしたり寛いだりできるわけだ。
カウンターがあり、飲み物を提供できるようになっている。プールを見渡せるテラスに足湯。休憩室の隣には遊戯室もある。まあ、設備としては俺の家の娯楽室に近いかも知れない。
「何というか、至れり尽くせりですな」
ハワードは呆気にとられていたようだが、苦笑した。
「まだ屋外にも設備がありますよ。ここの屋上にもあります」
にやりと笑うとハワードが目を見開く。
「ああ……。気になってはおりましたが」
屋上へ移動する。スライダーにみんなが目を見張った。
「これを滑り降りるわけです」
「すげー……!」
孤児院のブレッドなどは目を輝かせている。
「これは面白そうじゃな!」
「ですね!」
孤児院の子供達の興味を惹けることは分かっていたが……アウリアとミリアムも目を輝かせているのはどういうわけなのやら。
「モニカ。後で試してみようぜ」
「ええ、いいわよ」
「結構高くて怖いですねぇ」
フォレストバード達も興味津々といった様子である。まあ、反応は悪くないな。
「……むう。危なくはないのですか?」
ハワードがスライダーの全景を見ながら言う。
「相当な勢いをつけても落ちないようにと実験は繰り返しましたが――網を設置していますので万が一の時も怪我はしないようにはなっていますね」
「なるほど……」
「注意点としては、一回一回少々の間隔を空け、滑り降りたらすぐに真っ直ぐ移動してください。これは利用者がぶつからないようにするためです」
と、みんなの顔を見て言う。孤児院の子供達も神妙な面持ちで頷いている。
「そして滑り降りた先……あの場所で泳ぐことができます」
屋上からプールの紹介をしていく。温水プール、流水プール。それから水深の浅い子供用のプールと。いずれも夜間の見通しを良くするためにライトアップが可能な仕様だ。
「あちらの楕円形をしたものは、川のように水が流れています。それほど流れは速くありませんが……流れに乗って遊んだり、流れに逆らって泳いだりできますね」
「ほほう」
反応したのは冒険者ギルド副長のオズワルドである。チェスターに何事か話しかけていた。多分流れに逆らって泳ぎまくるつもりなんだろう。
「流れに乗って遊ぶなら外周側。逆らって泳ぐなら円の内側で使い分けてくれると助かります」
「承知した」
「あの真ん中の建物は何ですか?」
と、ペネロープが尋ねてくる。
「あれは溺れている者がいないか、いち早く発見するための監視塔ですね」
「さすがはテオドール様ですね」
ペネロープは屈託のない笑みを浮かべて、両手を合わせる。
「というわけで、僕からの説明と案内は以上です。皆様には思い思いに楽しんでいただけたら幸いです」
と言って一礼すると、大きな拍手が起こった。
何はともあれ自由行動だ。各々湯着に着替えるために屋上から降りていく。孤児院の子供達は着替えたらスライダーに戻ってくるつもりなのだろうから大変だ。急いで階下へと駆けていった。……アウリアも混ざっていた気がするが。
「期待していた以上の素晴らしい施設であるな」
「いやはや、全くです」
メルヴィン王と宰相ハワードを始めとした王城組は屋上に残った。2人はそんなふうに言って笑い合う。
「こちらの大浴場に近い設備なら儀式場にも用意してあります。あちらは関係者以外の立ち入りはできませんので、普段温泉を利用する時は儀式場の滞在施設を利用してもらえればと思います」
具体的にはジャグジー、うたせ湯、サウナと言ったところだ。あちらは木の浴槽を採用しているので檜風呂のような香りと風情が楽しめるのだが。
「承知した。だが、今日のところはこの施設のお披露目であるしな。皆と同じように、この施設を楽しませてもらうことにしよう」
「はい」
今日来ている面々も信用の置ける面子ばかりだしな。問題はないだろう。
「余らも……そうだな。まずは湯を楽しませてもらうとしよう。後程、2階の休憩室かテラスあたりでな」
と言って、メルヴィン王達も階下へ降りていった。
「グレイス達はどうする?」
「私達はまずお風呂に入らせてもらおうかと思っていますが」
そう言って頷き合う。うちのパーティーメンバーはまずはみんなお風呂からか。
「それじゃ、俺も風呂からかな」
「父様が後で休憩室でと言っていたし……そこで落ち合うことにしましょうか」
ローズマリーが言う。
「そうだな。泳ぎたいとか、みんなもしたいことがあるだろうし、お昼は各々でっていうことでいいかな?」
「私達はそれでいいわ」
とりあえず監視塔にカドケウスを置いて、プール側の安全確認はさせてもらうとしよう。
大浴場はかなり広い。今日やってきた面々もかなり大人数だが、それでもかなり余裕があったりする。
「おお。これは良いですな。実に良い」
「これは自宅に欲しくなりますな!」
「迷宮商会で買えるのですかな?」
「恐らく魔道具は受注生産になっちまいますがねえ」
「左様ですか! いや、買えると分かっていればそれで良いのです。ここに足しげく通うのも悪くない」
宰相のハワードと宮廷魔術師のリカードがジャグジー風呂を動かして、楽しそうに笑っている。向かいに座っているのは商会お抱えのドワーフ親方という……なかなか異色の組み合わせだ。
「ああ……いい湯だ」
アルフレッドがほうと溜息を吐く。浴槽の縁に背中をつけて手足を投げ出して脱力し切っているようだ。
「……いや。本当、お疲れ様」
タルコットとシンディーもいるし、ローズマリーの人形もある。人手は増えているのだが、工房は久しぶりの大仕事だった。
「タルコットは泳ぎに行ったみたいだけどね」
……うむ。タルコットは今、流水プールでオズワルドやチェスター、ミルドレッドにメルセディアという面子で、流れに逆らって泳ぎ続けている。競泳するかのようなペースで泳いでいるが……まあ、あれはあれで楽しんでいるのだろう。
孤児院の年長組、フォレストバードの4人。それからアウリアなどはウォータースライダーを繰り返し滑っているようだ。
ペネロープとサンドラ院長も子供用プールの側にいるな。孤児院の年少組を遊ばせているようだ。こう……丁度幼稚園の引率するような光景というか。
まあ、プールサイドはそんな調子で概ね平和だ。みんな楽しんでくれているようで何よりである。
「ああ。そうだテオ君。竜鱗の防具が割と面白いことになっていてさ」
「面白いって?」
「前にアルケニーの糸から編んだ生地をもらっただろ。あれと組み合わせてみたんだ。そうしたら……相乗効果っていうのかな? アルケニーの生地が燃えにくくなっているみたいでね」
ほー。元々アルケニーの糸の強度は相当高かったし……これが燃えにくくなったとなれば、なかなか面白い効果が期待できそうだな。
「そんなわけで、アルケニーの糸で竜鱗を繋いで防具を作ってみたんだ。注文通りだけど、衣服と同じように着ることができて、より広い範囲を竜鱗で覆えるようになった。だから性能は予想より上がっていると思うよ」
「それは楽しみだな」
「まあ、ジルボルト侯爵のところに行くまでに仕上がらなかったら……フォブレスター侯爵領までは出張しながら仕上げるなんてのも有りかなと思ってる」
ふむ。まあ、侯爵家令嬢のオフィーリアがアルバートの婚約者だしな。後で、休憩室に行った時にメルヴィン王と相談してみよう。ステファニア姫もジルボルト侯爵も来ていたし……テラスで足湯にでも浸かりながら、のんびり打ち合わせというのも悪くないのではないだろうか。
ともかく、温泉施設は好評のようで。俺としては割合上手くいって手応えを感じているところである。もうしばらくはここでゆっくりと湯に浸かって羽を伸ばすとしよう。




