番外1605 祝福と変化と
対話のための仮想空間がまばゆい輝きに包まれ、それが落ち着いてくると……後には集合体が静かに佇んでいた。
凪の海のような雰囲気と言えば良いのか。領主から完全に切り離されて――目的意識であるとか、攻撃衝動であるとか、そういったものも喪失してしまったように思える。
それも領主の怨念や残留思念が、忌むべきもの達の意思決定の中心になっていたからだな。
だが……先程の戦いで俺や君主が放った呪法の数々はまだ活きている。俺が覚醒能力で干渉してその進行を止めてはいるが、忌むべきもの達は全にして個という存在だから領主だけを切り離して倒したからと言って発動した呪法が止まるわけではない。
目的を失ってしまった忌むべきもの達がどう動くのか。そのまま呪法を使うべきか否かに、まだ判断がつかない部分があったからこうしているが……。
仮想空間の外では忌むべきもの達も怨念の粉砕と共に動きを止めたようだ。カドケウスを通して、襲ってこないなら討伐も保留して欲しいと状況は随時伝えておく。
ここからは……仮想空間の本来の使い方をしていこう。忌むべきもの達とて、造られて世に生まれたからにはもっと他の生き方だってあるはずだ。
俺が意識を向けているのに気付いたのか、忌むべきもの達もまたこちらに見るというか、意識を向けてきたのが分かった。だが、そこには何もない。感情も何も。本当に凪のようなもので。
元々は自意識が薄かったのかも知れない。領主に使役される存在だったという事なら兵隊役としての辻褄も合う。
だが……これならば、何とかなるのかも知れない。
記述を付け足すような形でこのまま仮想空間本来の役割……彼らとの対話を行うというのが良いだろう。呪法のパスはまだ繋がっているから、干渉もできる。
マジックサークルを展開して目の前に佇む凪のような存在に語り掛ける。
「初めまして、かな。さっきまであれだけ戦っていて、自己紹介からというのもおかしなものだけれど」
そんな言葉と共に意思を伝えると、彼らは何というか……疑問というか、不思議そうなものを見るように反応を示してきた。
戦う事以外を知らなかったからか、こちらの語り掛ける言葉や意志を理解しようとしてはいるが色々と腑に落ちていない、というような反応を見せる。
生まれてからかなりの年月が経っているというのに純朴な子供のような反応だ。だからこちらも、一から色々と伝えていくことにする。戦う事以外の人々の営みであるとか、喜怒哀楽の感情であるとか。知らない事を色々と伝えていくことで見えてくるものもあるだろう。
「そうだね。時間はあるからゆっくり話をしていこう」
少し腰を据えて対話をしていこう。外の状況を見れば、みんなにも話が通って、忌むべきもの達も動かなくなったので、警戒しつつも落ち着いている様子であるし。
身近な暮らし。それに付随する感情。世界の様々な事。それに魔法生物達のこと。色々な想いを記憶と共に一つ一つ伝えていく。
それに、彼ら自身の事も。要するに、知識を増やし、情動を育てるという……魔法生物の自意識構築とやっている事は同じだな。一からやり直しているというか。
対話によって仮想空間に小さな輝きが生まれている。彼らの得た新たな知識や概念、感情を象徴するようなものだ。
対話と共にその輝きが大きくなるに従って、彼らの心にも不安のようなものが生まれているのがこちらにも伝わってきた。
それは魔法生物や呪法生物であるならば本能的な部分に由来するものだ。自分が作られた目的を喪失してしまったことを理解したのだろう。戦う相手も理由もなくして、自身という存在が宙に浮いてしまった。
「誰かに造られたからと言って、必ずしもその最初の目的に沿って生きなくてもいいんじゃないかなって……そう俺は思うよ」
そう伝えると、彼らが俺を見てくる。落ち着いた凪のような雰囲気は先程と変わらず。ただ、真剣にこちらに意識を向けてくるかのような印象で根本的な部分で変化が生じていると感じられる。
変化はしてもいいし違いがあってもいいと思うのだ。彼らは全にして個であるからすぐに理解するのは難しいかも知れないけれど。
その上で、友人や良き隣人として共に暮らしていけたらというのは、俺がこうして対話をする時に望んでいる事でもある。
俺の意図は外部に伝えてあるから……祈りの力やそこに込められた想いも、この対話が上手くいくようにというものに変わっているようだ。
祈っているのは、ずっと彼らと戦ってきたドルトエルムの民もだな。
それはきっと自身達と同じように、造られたルーツを持つ種族だから。彼らの境遇にはきっと思うところがあったのだろう。そんな風に造られてしまったことは悲しい事だと。
ドルトリウス王やナヴェル、トルビット達の想いに少し触れてもそういった想いが伝わってくる。
フォレスタニアにいるみんな。テスディロス達にマクスウェル達もだ。彼らとも友人になれたらと、そう思っているのが分かる。祈りに込められた想いを対話の術式を通して伝えると、最初はぼんやりとしていた光が段々と強くなっているのが分かった。
分からない事や知らない事も多かったけれど、教えてもらったことは、何だかとても心地が良かったと。だから……今伝えられた事を目標にしてみたいと、彼らからも想いを伝えてくれる。
そうだな。分からなくても前に進んでいくには、一先ずの目標というのは必要だ。そうやって暮らしていく中で更に学んで、成長していくものなのだと思う。
まばゆい輝きがみんなの祈りと共に、彼らに取り込まれていく。同時に俺も術式を展開する。
解呪の術式だ。彼らの受けている呪いは、俺だけのものではなく、呪詛返しの形で君主の放った呪法の呪詛返しにもなっている。
これらの解呪であると同時に……彼ら自身の作られた理由やこれまでの日々の中で生まれて重ねてきてしまった負の想いも、またゆっくりとでもいいから解消されていって欲しいと。そんな願いを術式に込めて解き放つ。
再び仮想空間が光に包まれる。
「また……外で会おう」
呪いが解けたことを確認してそう伝える。何も見えなくなるほどの光の中で、彼らが頷いたのが伝わってきた。
そのまま離脱すれば、意識が身体に戻ってきて。そして、そこでも変化が生まれていた。
集合体もそこから分かれている者達も……また健在だった側近や君主達も。
一瞬震えて形が崩れたかと思うと、一斉に光と共に爆ぜた。
爆ぜたといっても破壊的なものではない。煌めくような光を散らしながら、不定形な姿と色とりどりの姿になって、さながら雨のように降ってくる。
「これは――」
「おお……何と」
『綺麗……』
戦場にいる者も、中継で見ているみんなも。その光景にしばし見とれているようだった。雨のように降った後で地面にて集まって、個々にある程度の大きさになって落ち着く。
彼らは本来不定形だったが……それが解呪と共に前面に出た形だろうか。
不定形の……濁った暗黒塊だったもの達が……半透明で色とりどりのスライムのような姿になってしまった。
スライムと言っても、魔物として恐れられているタイプではなく、もっと愛敬のある姿だ。丸みを帯びていて、透明で光沢がある。弾力を有したゼリー玉といった風情の姿になっている。
感じる魔力も……解呪や祈りの力が及んだのか、清浄なものになっていた。広場の床に降り立った俺と向き合うと、身体を変形させてお辞儀のような仕草をしてくる。
少し笑って頷くと、ぷるぷると身体を震えさせて応じてきた。
君主であったものが爆ぜて変化したスライムは、何やら内部に金色の……星型のような核を有していて。
んー……。他の個体よりも魔力反応が明らかに大きいな。リーダー役なのは変わらず、というところだろうか。
色や大きさが不揃いなのも――違いがあっていい、変わってもいいと、そんな風に伝えた部分があるからだろう。
「呪法由来の存在を解呪した上で、存在そのものは残したままで変化する、とはな。中々に常識外れな事をするものだ」
『流石はテオドール様です……!』
パルテニアラが目を閉じて頷き、エレナも嬉しそうな笑顔を見せていた。
「根本的な部分を解呪したわけではないからね。今まで積み重ねてしまったしがらみから解き放たれると良いとは思っていたけれど。だから祈りや解呪の、副次的な効果としての呪いの反転、かな?」
「祝福を受けての反転ですか。私達とも似た立場というわけですな」
「それを言うのであれば我らとも、だな。最早以前のような呼称は相応しくないであろう」
俺の言葉を受けて、オズグリーヴやドルトリウス王がしみじみと言うと、みんなも穏やかに笑って頷く。特にマクスウェル達、魔法生物組は、核を明滅させてかなり喜んでいるのが見て取れるな。
忌むべきもの達とはもう呼べない……か。確かに、そうかも知れない。