218裏 砂獣の騎士
「あの魔術師は私が相手をする。ベルゼリウス、他の連中をこちらに近付けさせるな。殺しても構わんが、侯爵は生かしておけ」
「承知」
魔女から指示を受けたベルゼリウスの身体が人外のそれへと変じていく。巨大な角と、硬質の皮膚を持つ――それは甲殻動物とも、全身甲冑の騎士とも判別のつかない姿であった。
「砂――?」
ジルボルト侯爵の訝しげな声。
そう。それは砂だ。甲冑の隙間から、絶え間なく砂が流れ落ちている。零れ落ちた砂が次々と空中で固まって形を取り、翼を持つ狼のような――砂獣の群れが作り出されていく。
甲冑の隙間から漏れる瘴気が砂と化して零れ落ちていく。そういう特性を持つ魔人なのだろう。砂の器に負の思念と同調しやすい雑霊を封じ従属させているのだ。
「我は塵牙のベルゼリウス。貴様らの命を貰い受ける」
まるで騎士がそうするように。ベルゼリウスが剣を顔の前に構えると、砂獣の群れが一斉に動き出した。
グレイスとシーラ、そしてイグニスが砂の獣を迎え撃つ。馬鹿げた大口に乱杭歯が覗く。しかし、グレイスに触れれば一撃。斧のただ一撃で真っ二つに裂かれた砂獣は瘴気に戻り、蒸発するように虚空へと消える。それは魔人の死による消滅を彷彿とさせる光景であった。だが、砂獣側に圧倒的な数の有利がある。
「私の側へ!」
アシュレイとマルレーンがクラウディアやジルボルト侯爵家の周囲に防御陣地を作る。ディフェンスフィールドと氷壁。更にソーサーで迫ってくる砂の獣を防ぐ。そこにデュラハンが突っ込んで大剣で薙ぎ払った。
ローズマリーの魔力糸が風切り音を立てて砂の獣を断ち切る。
「敵が多すぎるわ! 防戦では埒が明かない!」
イルムヒルトが矢を次々と放ちながら叫ぶ。
「行きます!」
グレイスがテラスから飛び出し、獣の群れの中に踏み込んでいく。先の光景を焼き直すかのように砂の獣が切り裂かれるが、消失するはずの獣がベルゼリウスの瘴気に触れた途端に、元通りの姿を形成し直して牙を剥いてきた。
判断は一瞬。ベルゼリウス本体へは踏み込まず、大きく弧を描いて後ろに跳びながら斧を投げつける。
闘気を纏った鎖が生物のように砂獣に絡みつき、遠くへ放り投げる。そこをイルムヒルトの矢が捉えた。呪曲を乗せた矢が砂獣を微塵に砕く。
「瘴気に触れると再生する!」
シーラは言いながらも敵の真っただ中へと突っ込んでいった。グレイスも反転。真っ直ぐに獣の群れの中――ベルゼリウスに向かって飛び込んでいく。
「ほう」
その光景に、ベルゼリウスは感心したような声を漏らした。
翻して考えれば、それはベルゼリウスを防御陣地に近付けてしまうと厄介なことになるということを意味している。再生する獣のただ中で、ベルゼリウス本体を押し留めなければならない。
「進めッ!」
ローズマリーの声に、イグニスも最前列に躍り出る。暴風のように大槌が振り抜かれて砂の獣が微塵に吹き飛ばされる。前に出たのはローズマリー自身もだ。中衛に陣取り、獣達を迎え撃つ。
「再生するというのなら――こういうのはどうかしらね?」
向かってくる獣達にローズマリーの虹色に輝く糸が絡みつく。薄笑みを浮かべるローズマリーの指が弦楽器でも奏でるかのように複雑に動くと、砂の獣の挙動を乗っ取る。そしてベルゼリウス本体に向かって突っ込ませた。
「中々楽しませてくれる!」
喜色を滲ませたベルゼリウスが、操られた砂の獣を拳で砕く。
ベルゼリウスの手にしている剣に砂が絡みつき、ローズマリーに向かって薙ぎ払うかのような構えを見せた。
「あなたの相手はそちらではありませんよ!」
そこに砂の獣を突破したグレイスが突っ込む。唸りを上げて迫る斧を避けながらベルゼリウスの剣が振り切られる。
それは砂の津波。剣の軌道に沿って放たれた砂の波は、しかし狙いを外して、石造りの建物の屋根をごっそりと削り取っていった。その威力に、ローズマリーは眉を顰める。
土と風の複合魔法、グラインドダストに似ている。硬質の砂の奔流で全てを削り取るような技。しかも質量で押し潰すような性質も備えているらしい。攻撃範囲も広く、マジックシールドで防いだとしても無傷でやり過ごすのは難しいように思えた。
だからこそグレイスは間合いを詰める。今の一撃には溜めが必要で、近接で攻め続ければ後衛に放つ余裕はない。暴風のような唸りを上げて斧の一撃が放たれるが、しかし剣で受け流すようにいなされてしまう。
受け流されるその勢いにグレイスは逆らわない。テオドールとの訓練の通りに。そのまま流れに身体を任せて、後方へと抜ける。追撃はさせじと、入れ違いにシーラが飛び込んでいく。
シーラの二刀をベルゼリウスは手にした剣と、瘴気から変じて固まる砂の盾で迎え撃つ。金属音を何度か響かせたかと思うと、その足元から爆発するように砂が噴き上がった。
爆発の兆候を五感で感じ取ったのか、シーラは寸前に大きく飛び退いていた。剣を構えて追撃の構えを見せるベルゼリウスに、横からグレイスが突っ込む。
今度は受け流させるようなことをさせない。身体ごと飛び込むように斧で押し込む。闘気と瘴気。互いの武器と武器がぶつかり合って火花を散らす。それも一瞬のこと。視界の外から砂の奔流が押し寄せ、それをシールドを蹴って避ける。
天地を入れ替え攻守を入れ替え、グレイスとシーラが代わる代わるに切り込む。叩き付け、突き、払い、斬撃を応酬。いなし、流し、受け、払い。砂の濁流がうねりを上げて迫る。
恐ろしいほどの体術の冴え。長年に渡り、相当な研鑽を積んだことを窺わせる動きであった。
手が、足りない。周囲の砂獣をイグニスで叩き潰し、或いは魔力糸で括り断ちながらも、ローズマリーはその光景に歯噛みする。
再生する砂の獣がグレイスやシーラに向かわないように、イグニスとローズマリー、イルムヒルトとセラフィナが潰して回ってはいるのだ。
だが、まだ足りない。処理し切れない。後ろに抜けた砂の獣は防御陣地のアシュレイとマルレーン、更にエルマーやドノヴァン、侯爵までもが魔法を放って対処に当たっているが、そこまでだ。
守るべき者がいることを考えると後衛が前に出るわけにはいかない。侯爵達も戦えるが、魔人本体と戦えるほどではない。
均衡が、崩せない。だがそこに――来た。
「待たせたわね!」
クラウディアの声と共に、巨大な魔法陣が周辺を飲み込むほどに広がっていく。識別型の多重転移魔法。侯爵達を儀式場へ。テオドール達を戦場へ送るための魔法。
防御陣地周辺のアシュレイ達。ベルゼリウスと戦っているグレイスやシーラ。そして離れたところにいたテオドールと魔女さえも白光が飲み込んで――。
眩い輝きは一瞬だけのこと。光に包まれ、それが収まった後には魔光水脈にある封印の扉の前にいた。
足首が浸かる程度の浅瀬。水の流れる音。水没した洞窟を抜けた場所にある、巨大な広間。こここそが魔光水脈の深奥であった。
「行きます!」
防衛から解放されたアシュレイ達も、動く。
ラヴィーネの背にアシュレイ。デュラハンの馬にマルレーンが同乗する。イルムヒルトも前に出た。
「転移魔法とはな……!」
それを見て取ったベルゼリウスの対応は、砂の獣を結集させることだった。その大半をまとめあげ、巨大なムカデのような形態を取らせると、その頭に飛び乗って直接操る。
操ると言うよりは一体化だ。ムカデの頭部から己の上半身を生やし、巨体と再生能力の双方を手にしたうえで、アシュレイ達に向かって突き進みながら、そのままグレイスとシーラの2人とも切り結ぶ。
その間にもムカデの胴体から砂の弾丸がばら撒かれる。行く手を遮る砂獣を、弾丸を蹴散らして踏み込んだデュラハンの、大剣による一撃がムカデの胴体を捉えた。だが長大な剣の一撃をまともに食らいながらも、ムカデには応えた様子がない。返礼とばかりに背中から飛び出す無数の砂の槍。それを大剣で切り払い、ソーサーで打ち払って離脱。
あっという間に大剣で受けた傷が塞がっていく。普通の生物なら千切れるほど深く刻まれた斬撃――ではあったはずなのだが。
「砂――ならば、こういうのはどうですか!?」
ラヴィーネと共に疾駆するアシュレイがマジックサークルを輝かせる。
第6階級水風複合魔法。コールストーム。渦巻く暴風と共に水桶をひっくり返したような、猛烈な雨が吹き付ける。
砂に水が猛烈な勢いで染み込んでいく。目に見えて砂獣の動きが鈍重になった。さすがに巨大ムカデには効果が現れるのが遅いのか、それまでと変わらぬ動きではある。
しかし誤魔化しが利かなくなるのも時間の問題。ベルゼリウスはアシュレイを自分にとって相性の悪い強敵と認めたか、そちらにムカデの首を向けて突き進んでいく。
「なるほど。相性ね――。ならば、わたくしが前に出る」
それを見て取ったローズマリーが笑ってイグニスと共にその前に立ち塞がる。そうして、自身の魔力糸をイグニスの手足に繋ぐ。
「行くわ……」
自身の魔力がイグニスに吸い上げられていくのを感じながらも、ローズマリーは人形と共に前に出た。それは人形を直接制御することによる反応速度の増強、更に魔力をローズマリーから供給することで、更なる出力や強度の増幅効果をもたらす。操り糸の魔法を見つけた時からローズマリーが構想していた、奥の手だ。
イグニスと共に、猛烈な勢いでベルゼリウスへ向かって突っ込む。
唸りを上げて迫る巨大な金属の塊すらも、ベルゼリウスは呆気なく砂の盾で受け流した。イグニスの身体が流れて、ローズマリーの前ががら空きになる。
「作り物の騎士など相手になるものか!」
ベルゼリウスが吼える。
そう。ローズマリー自身がまともにベルゼリウスと切り結んでも、数合ももたないだろう。矢面に立つのがイグニスといっても、糸で操るならばローズマリー自身もベルゼリウスの間合いの内となってしまう。
砂の槍を叩き込もうと手に瘴気を集め、逃げられないようにムカデの巨体で退路を塞ごうとしたところで――ベルゼリウスの頭部を衝撃が襲った。
「な、に!?」
「作り物が――何ですって?」
ローズマリーが嘲るように笑う。イグニスは受け流された体勢のまま、ベルゼリウスの斜め後方で背を向けるような位置にあった。しかし人間に非ざる関節の可動域を以って、ベルゼリウスの予想もしていなかった方向から大槌を振り抜いて頭部を捉えたのだ。
ベルゼリウスは目を見開くと、咄嗟に瘴気弾を放つ。ローズマリーに向かって飛んでいったそれを弾き散らしたのは、イルムヒルトの矢とマルレーンのソーサーだ。
ローズマリーは2人に向かって一瞬笑みを向けると、再びイグニスの背に隠れるような位置取りを取った。今度は瘴気弾による反撃さえ許さないとばかりに、その体の周囲をソーサーが旋回する。
「――確かに。私はグレイスやシーラに比べれば近接戦闘はてんでよね。その2人と渡り合うことのできるだけの、武と物量を備えるお前とは……本来なら勝負になるはずもない。だけれど、対抗し得るだけの力と速ささえあれば、作り物の人形だからこそお前はその動きを読むことができない」
それが相性だと。ローズマリーは羽扇で口元を隠して笑う。
魔力の供給量を上げられたイグニスが、全身から輝きを放ちながらベルゼリウスに迫る。巨大な槌を木切れのように打ち下ろし、左手の鉤爪で薙ぎ払う。
受け流し、砂の盾で受け止め――切れない。通り過ぎていった槌が上半身ごと回転して横合いからもう一度迫ってきたのだ。なまじ人の形をしているからこそ。研鑽があるからこそ。どうしても反応が遅れる。
脇腹に受けて、上体ごと流される。浅い。すんでのところで砂の盾で受け止めたのだ。しかし体勢は崩れている。勝機と見たローズマリーが、ベルゼリウスに向かって火球を放ちながら、イグニスを操って後を追わせる。
爆風を突き抜けたイグニスが左手の鉤爪を腰だめに構えて、迫る。
「甘いな!」
突き込まれた鉤爪が、虚しく空を切る。砂で作られた抜け殻のようなものだ。
イグニスの脇を抜けたベルゼリウスが、ローズマリーに向かって迫る。
目を見開き、反応もできずに固まっているローズマリーに向かって、ベルゼリウスは剣を振り抜いた。それはローズマリーの首を捉える、はずだった。
金属音。その手には無骨な大槌。ローズマリーであったはずのその姿がぼやけて、幻影の下からイグニスが姿を現す。
間合いも切り込む角度も、何もかもが狂わされた。それ故、至近から放たれた鉤爪の一撃を、ベルゼリウスは避けることができなかった。
火球による爆風。そのめくらましからの流れ、全てが布石。ローズマリーもベルゼリウスも、そしてマルレーンも。何かを使役して戦う者同士だ。どう足掻いても本体が弱点になるからこそベルゼリウスは研鑽を積んだのだろうし、だからこそ互いの狙いも分かる。
「爆ぜなさい!」
ローズマリーはありったけの魔力を流し込み、人形の出力を増強。挟み込んだ鉤爪から小さな金属音が聞こえたと思った、次の刹那。爆発音と共にパイルバンカーが炸裂した。
ミスリル銀の杭がベルゼリウスの胸に穴を穿つ。胸部の殻を砕き、その下の肉と骨を貫き――縫い止めたそこで、更に杭そのものが爆風を放った。
「がっ!?」
傷口を内部から破壊され、ベルゼリウスの身体が落下する。砂のムカデも力を失い、崩れ落ちていく。
ほとんどの魔力をただの一撃に吸い取られたローズマリーは、酸欠にも似た眩みを覚えて、表情を曇らせた。
「やっぱり効率が……悪いわね」
中級魔法を媒介にして魔力を流し込んで出力を増幅させているからだ。欠点は一応分かってはいた。
落下していくベルゼリウスに目をやれば――口腔内部に瘴気が集中しているのが見えた。
「たとえ1人だけでも――ッ!」
動けない。練り上げた魔力の大半を人形の一撃に費やしたローズマリーには、それを避ける余力が無かった。ローズマリーの身体が――射線上から本人の意図せぬほうに引き寄せられる。シーラの粘着糸だ。
「もう1人では、ないのよね」
ローズマリーが、目を閉じて笑う。自分の隙は――誰かが補ってくれる。だからあんな効率の悪い奥の手だって出せる。
そして放たれた瘴気の閃光は――。グレイスが真っ向から闘気を纏った斧で唐竹割りに叩き切っていた。
「お――」
一閃。魔光水脈の大広間に紫色に煌めく闘気の軌跡を残し、グレイスが着水する。数瞬遅れて、パイルバンカーの傷から斧を叩き込まれて真っ二つにされたベルゼリウスが落水した。




