217 呪詛
「魔女が現れたそうですね」
「ええ。精霊の安全も確保しました」
儀式場に私服姿のチェスターら、騎士団と魔術師隊が現れる。守備役の交代だ。必要なことを伝えたら俺達は中央区へ向かう。
揃って私服姿なのは人員の動きを察知されないようにという狙いがある。武器防具の類は事前に儀式場の滞在施設に運び込んであるのだ。人員も少数ながらも空中戦装備に習熟した者を厳選し、極力街中の動きが慌ただしくならないようにしているわけだ。
「これから向こうに出向くと……。相変わらず仕掛けが早いですね、大使殿は」
「相手側に情報収集の時間は与えたくないですからね」
そう答えると、チェスターが苦笑する。
「彼女が例の精霊ですか」
東屋で巫女達と談笑しているテフラを見やり、チェスターが尋ねてくる。
「ええ。テフラと言います。穏やかな性格ではありますが、高位精霊であることはお忘れなく。精霊との接し方については巫女達が心得ていますので、分からないことがあったら、彼女達に聞くのが良いでしょう」
「承知しました」
俺の言葉に、チェスターを始めとした面々は神妙な面持ちで頷いた。
中央区、ジルボルト侯爵が泊まっている宿に向かうのは、俺含めパーティーメンバーのみんなと、エルマー、それからドノヴァンだ。
イグニスなどは否が応でも目立ってしまうため、馬車に乗り込み向かう形になる。
戦闘になることも想定。グレイスは解放状態に。武器などの目立つ荷物は布で覆い、マルレーンのランタンによる幻影で小さな手荷物に見せかける。
「いらっしゃいませ。琴奏亭へようこそ。ご宿泊でしょうか?」
大きな宿だ。高級宿らしく従業員も貴族家の使用人のような風格を漂わせている。中央区らしい石の建築様式だが、内装にはかなり手を加えているらしく、洋館のような雰囲気を漂わせていた。
「ジルボルト侯爵にお取次ぎを願いたいのですが。エルマーが来たとお伝えください」
「畏まりました。少々お待ちを」
エルマーがそう伝えると、宿の従業員は一礼して客室へと向かった。
さて。問題はここからだ。カドケウスを張りつけて調べたのだが、ジルボルト侯爵家一行はこの宿に3つの部屋を取っている。
まず、侯爵家が一家揃って過ごすための部屋。次に身の周りのことをさせるために連れてきたのであろう、使用人達の部屋。それから魔女とその護衛が宿泊する部屋の、3室だ。
問題はエルマーの来訪を聞かされたジルボルト侯爵がどう出るかであろう。
つまり、どこで話をするのか。その場に魔女を立ち会わせるのか。
カドケウスでしっかり探りを入れて、侯爵や従業員の動きをよく見て、客室から受付に戻ってくるまでの間に合わせてこちらも動かないといけない。
もし魔女が立ち会うなどとなれば、俺達はエルマーの連れではなく、宿泊客として部屋を取る予定でいる。場合によっては深夜、みんなが寝静まってから侯爵家一家を転移魔法で連れ去り、それからゆっくりと事情を説明するなんてことまで考えているのだが。その時はまあ、非常事態ということで納得してもらうしかないだろう。
天井の暗がりから、カドケウスが客室前の監視を続ける。
ジルボルト侯爵の部屋から従業員が出てくる。そのまま監視を続けるが、侯爵は――出てこない。これは、部屋に呼ばれる形になるか。
ややあって、従業員が客室から戻ってくる。優雅に一礼して、言った。
「ジルボルト侯爵より、お部屋まで案内するようにと仰せつかりました。どうぞ、こちらへ」
従業員の案内に従い、皆でジルボルト侯爵の部屋へと向かう。
「侯爵様。エルマー様をお連れしました」
「入れ」
従業員がノックをしてそう呼びかけると、すぐに部屋の中から返答があった。さて。
「失礼します」
エルマーに続いて、部屋の中へと入る。
客室はかなり広い。主寝室と居間のほか、部屋がいくつかあるようだが居間にいるのは侯爵だけのようだ。こちらの姿を認めると、怪訝そうな面持ちになる。
「部下共々参上しました」
エルマーに適当な言葉を続けさせる傍ら、魔女の部屋側から聞かれないよう、風魔法で音を遮断する。
「失礼」
「……ほう。音を消したか」
こちらのマジックサークルを見た途端、ジルボルト侯爵はテーブルの側にあった杖を手に取って身構える。侯爵自身も魔術師か。
偽装はしていなかったとはいえ、マジックサークルから術の内容を見切るあたり、さすがはシルヴァトリアの貴族というところか。
「部下云々というのは、まあ、方便です。隣の部屋には話の内容を聞かれたくはないもので」
害意が無いことを示すために、ウロボロスをグレイスに渡して一礼する。
「どういうことかな?」
侯爵はまだ身構えたままだ。その間にもエルマーは防音の範囲外で、任務が上手くいっていることなど、でっち上げた成果を話して聞かせている。代わりにドノヴァンが一歩前に出て、エルマーの言葉を引き継ぐ。
「私達はこちらのテオドール卿に敗れ、ヴェルドガル王国に捕えられたのです。任務に失敗し、あまつさえ隣国に助力を請うた。私共への処罰は必ずお受けします。しかしどうか、テオドール卿の話に耳を傾けていただきたく」
「……よかろう」
ジルボルト侯爵は頷くと、防音の範囲外に出てから言う。
「よくやったエルマー。ここでは大した褒美も渡せぬが、茶ぐらいは出そう。せめてゆっくりと寛いでいくが良い」
「ありがとうございます、ジルボルト侯爵」
エルマーが一礼する。
侯爵は一先ずといった様子で杖を脇に置くと、テーブルに座るように促してくる。
さて、説得は迅速に行わなければならない。単刀直入且つ簡潔に。そのうえで拒絶されたら力尽くだ。納得は後からして貰う形でもいい。
妻子や領民より王太子を取るであるとか、シルヴァトリアの忠誠からこちらの話を断った場合は――敵として身柄を押さえるだけの話だ。
「危険な状況につき、過程は後から説明します。人質の一件は聞きました。月女神の祝福により呪法を弾き返すという対策を講じました。精霊テフラは儀式場で保護しております」
「な、に?」
突然の話に、侯爵は目を白黒させている。
「魔女の呪法で人質に取られている奥方とお嬢様を、同様の手段にて、保護したく思います」
俺の言葉に、ジルボルト侯爵はエルマー達に視線を移す。エルマーとドノヴァンは、真っ直ぐにジルボルト侯爵を見ながら頷いた。
「私が今の状況を変えようと願うなら、君に賭けろと。そういう、ことか?」
「はい」
百聞は一見に如かず。こちらの手札を見せていくべきだ。
「マルレーン、頼めるかな」
視線を送ると彼女は頷いて、祈りの仕草を見せる。部屋にいる全員に祝福の効果が及んだ。
「こ、この祝福の強さは……? マ、マルレーン――第三王女、殿下?」
察しはついても、まさかという思いが強いのだろう。目を見開く侯爵に、マルレーンは微笑を浮かべ、スカートの裾を摘まんで挨拶してみせる。このあたりはさすがというか。王族ならではだ。マルレーンぐらいの年頃の子では、一朝一夕で身につく仕草ではない。
まあ、祝福の強さはマルレーン自身の巫女としての能力に加えて、クラウディアが全面協力していることも理由の1つではあるのだが、そこは明かす必要もあるまい。
侯爵は呆気にとられていたようだが頭痛を堪えるように額に手をやり、乾いた笑い声を上げてから立ち上がる。その時にはもう笑みはなく、領主としての顔がそこにはあった。
「2人は寝室にいます。どうか私達を、領民をお助けください。私では最早、力及ばないのです」
「お任せを」
その言葉に頷いた。
伯爵が隣室に声をかけると、夫人と令嬢が顔を覗かせる。
その時だ。窓の隙間から部屋の中に風が吹き込み、カーテンが揺れる。
そこに――見た。テラスの先。宙に浮かぶ、黒づくめの女――魔女。視線が、合う。祝福の光に包まれているこちらを見て、驚愕の表情を浮かべる。
防音はしていたが……カモフラージュとて完璧というわけではないからな。隣室の異常を悟ったか。
「祝福だと? 覚悟の上か、侯爵ッ」
魔女は目を見開き牙を剥いて、笑う。
「な――!?」
ジルボルト侯爵が声を上げ、魔女の手の中にマジックサークルが輝く。見たことも無い術式。恐らくはあれが呪法――。
こちらがマジックサークルを手の中に輝かせると、魔女は一瞬回避するかそのまま呪法を発動させるかの逡巡をしたようだ。
だが。魔女は手を突き出し、そのまま拳を握る。それには対象の心臓を握りつぶす効果が宿っているのだろう。
しかし――そこで魔女は愕然とした表情を浮かべた。手応えが無かったのだろう。
「お……のれッ!」
ぎりと、歯を軋らせるように食いしばり、俺を見やる。
そう。マルレーンが祝福を発動させてしまえば。そして、夫人や令嬢と直接顔を合わせてしまえば。それでもうこちらの勝ちだ。
祝福は祈りによりもたらされるもの。それを強固なものとするには、相手のことをより深く、具体的に知ることだ。例えば、その顔や境遇、抱える事情を知っているだとか。
魔女の呪法に対抗しなければならない。だからこそ、直接会いに来る必要があった。
「もう1つの呪いを忘れたわけでは――」
「精霊の心配より、自分の身を案じたらどうだ?」
魔女が何かを言いかけたが、それを遮る。俺が途中で止めなくても、そうなっていただろう。
魔女の周囲に黒い靄が纏わりついていく。人を呪わば何とやらだ。行き場の無くなった呪詛は――術者に返る。
「ぐうっ!」
呪詛が、魔女の身体のあちこちから侵食する。血管を黒く染めて、魔女の身体を蝕む。
それは苦痛を与えるものであるのか、魔女は苦悶の声を上げた。恐らくは、あれが心臓に届いて握り潰されるのだろうが――。
「邪魔、だッ!」
魔女は苛立たしげに怒鳴ると、振り払うような仕草を見せる。
2つ分の呪詛を力尽くで体外に押し出し、それを――薙ぎ払っていた。
「……魔人」
シーラの声。呪詛を体外に押し出したのも、薙ぎ払ったのも瘴気だ。
驚くには、値しない。その可能性も視野に入れていたからこそ俺が出てきたのだし、ここにいる全員に祝福をかけたのもそれが理由だ。
魔女の護衛役であった男も、主人を追ってきたらしい。空中に留まって、こちらに視線を送ってくる。魔女の瘴気に動じたところがない。奴も――魔人だと見るべきだな。
「クラウディア。準備は?」
「少しだけ時間が欲しいわ。このあたり一帯の人を生命感知で識別して、儀式場と迷宮、同時に飛ばすから」
「了解」
要するに、あの魔人達をクラウディアの魔法完成までの間、余計な真似ができないよう抑えておけばいいというわけだ。
「テオ――お気をつけて」
「御武運を」
「もう1人の魔人は、わたくし達が受け持つわ」
「分かった。みんなも、気をつけて」
彼女達と頷きあい、それから魔人に視線を送る。
「なるほどなるほど。我らの動きを掴んでいたというわけか? ククク。虚仮にされたものだ」
魔女……いや、魔人は怒気を漲らせた瞳で引き裂くような笑みを浮かべ、全身から瘴気を立ち昇らせてこちらを見下ろしている。その背には、巨大な――極彩色の蝶の羽が輝いている。
どうやらやる気らしいな。それこそこちらも望むところだ。
「来い。叩き潰してやる」
魔人に呼応するように笑って、ウロボロスを構える。魔力を高めてスパーク光を放つと、奴もまた嬉しそうに笑みを深めた。




