番外1421 塔の思い出
「予定通りに進めば喜ばしい事だけれど、こればかりはどうにかなるものでもないわね。大人しく肩の力を抜いて待つ事にするわ」
予定日を待ちながらみんなとのんびり過ごしている中で、ローズマリーはそんな風に言った。予定日が明日に迫っているから、ローズマリーとしても色々と考えてしまうのだとは思う。就寝前に……こうして二人で話をさせてもらっているのは、そういうわけだ。
出産を控えて主寝室に隣接する個々人用の寝室も利用しているのである。みんなで一緒に眠るのは寝返りから子供を守るというのもあるし、個々人の診察もあるしな。
急に産気付いてもティアーズが控えていて教えてくれるし、ロゼッタかルシールのどちらかはフォレスタニアに控えていてくれるので、俺としては色々安心である。
ふむ……。予定通りに進めば、か。グレイスもステファニアも予定日から多少前後したしな。この辺の予測値は魔法検査で発覚してから数えて大凡の日数を割り出したものだが……やはり実際のところは個人差や体調というか、その辺によるところが大きい。
それを近くで見ていた身としては多少の前後も普通に有り得ると受け止めているわけだ。言葉通り、緊張や不安はあまりないように見受けられるが。
「確かに、多少の予定日からのズレはあるかも知れないね。往診や循環錬気で分かっている部分から言うと安心ではあるけれど」
「そうね。実際心強いものよ。わたくしだけでなく、みんなそうだと思うわ」
ローズマリーは静かに目を閉じて頷き……穏やかな表情で笑う。羽扇で隠さずそういう表情や感情を見せるというのはローズマリーとしては珍しい、ように思う。
「何かしらね。この気持ちは。今は無理ができないからあまり行動の自由があるわけではないのだけれど……悪くはないわ。目的に邁進していた時に望んでいたものと今の状況は違うのだけれど、それでも先々の事がこんなにも楽しみというのは……自身の事ながら想像もしていなかったというか、不思議なものね」
ローズマリーの元々の目的と、邁進していた時、か。
ローズマリーは王位を継承して、ヴェルドガルが長く平和だったが故に色々と風通しの悪くなっていた部分を変えたいと考えていたからな。例えばマルレーン暗殺未遂事件の真犯人。三家の問題。一部の貴族、騎士達、役人の腐敗であるとか。
その為に自身の見せ方、イメージ戦略もしていたし、占い師の姿としての裏工作に魔法薬を使っての情報収集によって、腐敗した連中の弱みを握ったりだとか……色々やっていたようではあるかな。それも暗殺未遂事件の真犯人を探る意味合いもあったのかも知れない。
ローズマリーは自分のしてきた事に対してあまり自己弁護をする事がないので俺やメルヴィン王が推し量っている部分もあるのだが……そうだな。王位を継承するか、それに近い段階になっていたら腐敗した連中も一掃するか、利用して使い潰す気だったのではないかという気がする。何となくだが少し前のローズマリーの方針ならそうなりそうというか。
邁進していた時というのは王城の隠し書庫を見つけて力をつけて……陰で計画を進めていた時の事だろうな。確かにそれは、色々充実していたのだろう。
「マリーの考えていた事や懸念も……今では解決しているものが多いからというのは有るかも知れないね」
「それはあるわね。塔に幽閉されていた時も、望ましい方向に向かっていたからわたくしは調べ物に注力を――ああ、あの時の状況や気分に似ているのかしら。あまり出歩けないけれど、先々に期待している、というのかしらね」
そんなローズマリーの言葉に頷く。古文書の解読結果を聞きに王城の北の塔へ向かったりしていたっけ。ローズマリーはあの時幽閉という状態ではあったが、それでも割と状況を楽しんでいたように見える。
先々に期待というのは、生まれてくる子供の事や、これからの暮らしの事か。それらを楽しみにしているから不安もない、というのは……うん。ローズマリーらしくていいと思う。
「何だか、懐かしく感じるな。塔にいた時は……マリーが割と楽しんでるのは伝わってきた」
「まあ……来訪時のやりとりを楽しんでいたのは事実ではあるわね」
そう応じるとローズマリーは少し笑い、羽扇で表情を隠しながらも手を差し出してくる。眠りにつく前の循環錬気という事で、俺も少し笑ってローズマリーの手をそっと取った。
そのまま循環錬気を行っていけば……ローズマリーはその感覚に身を委ねるように目を閉じるのであった。
ローズマリーが産気付いたのは――予定日当日だ。つまり、そんなやり取りをした次の日の事であった。
ティアーズがローズマリーの個別の寝室から顔を出して音を鳴らし、それでみんなも目を覚ます事となったのだ。
時刻は明け方頃だ。最近は早めに就寝して循環錬気に時間を使うという生活でもあったので、早い時間帯で起き出してもみんなそれほど苦は無いようだ。というより即座に目が冴えてしまったというか。
グレイスとステファニア、シーラとイルムヒルトといった面々は目を覚ましても安静にしておく必要があるが、俺や年少組の面々は寝台から身体を起こして朝の挨拶もそこそこに、すぐに動き出し、やや慌ただしい朝となった。
「マリー様の様子を診てきますね」
「ん。ありがとう」
アシュレイが個別の寝室に向かい、ローズマリーの様子を見にいってくれる。それから程無くして、アシュレイは部屋から顔を出して言った。
「マリー様は兆候だけなのでまだ大丈夫と仰っています。治癒術等も必要とはしていないとの事ですね」
「予断は許さないけれど、切羽詰まった状況ではない、っていうところかな」
とりあえずは一安心といったところか。アシュレイの言葉にやや安堵する。
改造ティアーズも生命反応をモニターできるので今は問題ない、大丈夫というように、身体を傾けて頷いてくれた。
ティアーズは既にロゼッタ達にも連絡を回していたようで、殆ど間を置かずロゼッタが主寝室まで訪れて来る。
朝の挨拶を交わしつつも「任せて頂戴」とローズマリーの寝室に向かうロゼッタである。ルシールからも今からすぐに向かうと水晶板越しに連絡を入れてきて、かなり心強い。
そうして空が白み始めた頃合いに起き出し、みんなで動いていく事となったのであった。
個人用のフロートポッドでローズマリーには安静にしたまま城の一角に移動してもらい、後はロゼッタとルシールに状況の推移を見守ってもらいながら待つ……という形になるな。
一緒に付き添って城内を移動し、医務室と待合室の近くまで来たところで、フロートポッドに乗ったローズマリーに名を呼ばれる。
「それじゃあ……少しだけ待っていてもらえるかしら」
そんな風に言って笑うローズマリーは……やはりこれからの事が楽しみといった表情で。昨晩の会話を思い出し、俺も笑って応じる。
「ああ。俺も……マリーや家族みんなで一緒に過ごせるのを、楽しみにしてる」
「ええ」
笑って頷くローズマリーを抱擁する。抱擁して、循環錬気による増強を行えば……ほのかな香りと共に、ローズマリーからも俺を抱擁してきて。離れ際にそっと頬に口づけをされた。
「待っているわ、マリー」
「お待ちしています」
「ん。マリーなら大丈夫」
「いって、らっしゃい」
ステファニアに続いてみんなも励ましの言葉を口にした。応援しているといった風に気合がこもった表情で言ったのはマルレーンだ。
ローズマリーもそんなみんなの言葉に嬉しそうに目を細めて頷き返す。羽扇はない。表情も感情も、みんなに向けての物で。
「行ってくるわ」
と、そう言ってロゼッタ、ルシールと共に医務室に入っていった。ローズマリー自身も今のやり取りで魔力の調子が上がっていたな。精神状態がそうしたところに影響を及ぼすというのはある。後は……ロゼッタとルシール、それからローズマリーを信じて待つのが俺の仕事だ。




