207 贋者
「う……ぐ……。痛ぅ……」
男はうめき声をあげて薄目を開くなり、表情を歪ませる。身体を痛みが貫いたからなのだろう。四肢に力を込めるも、寝転がされたまま。しかも体に痛みがあって動くこともできないといった様子だ。
「目を覚ましたか」
その声の聞こえた方向に、男は視線を送る。そこには連中のリーダーである、エルマーの姿。エルマーもまた、土魔法で固められて転がされていた。その姿に、男は自分がどんな格好をして転がされているのかに理解が及んだらしい。
「ご無事でしたか……」
「無事とは言い難いがな。この有様だ。魔法も使えん。頭も顎も痛くてな。少し話しにくいが、まあ、何とか生きている」
頭部に包帯を巻いたエルマーが苦笑する。
「魔法が……それは……」
「声を落として話せ。誰に聞かれているかも分からん」
声のトーンを落としたエルマーに、男がはっとしたような表情を浮かべて忙しなく周囲の様子に視線を巡らせる。自分のいる場所。置かれている状況。
どこか見知らぬ屋敷で、随分と立派な内装であることに気付く。周囲には男とエルマーのみ。他には誰もいない。
「これは……どういう状況なのです?」
「分からん。恐らくだが、ここはガートナー伯爵邸の一室だろう。他の連中もいたのだが、1人1人運び出しているようだ。尋問されているのか輸送中なのかは分からんが……どういうわけか知らんが……事が露見し、敗北し今に至るというわけだ」
男はエルマーの言葉に少し思案するような表情を見せてから、言った。
「あっ、そ、そうです! ベイルの奴……! あいつが裏切ったのでは!?」
「あれは魔法の類で操られただけだろう。知らない魔法だが、そういうものがあるのだろうな。敵のほうが上手だった。それだけのことだ」
男はその言葉に目を見開く。それから大きく息を吐き、言う。
「……俺達はこれから、どうなるのでしょうか」
「救助は望めん。別宅に張り付かせていた連中も仕掛けて返り討ちにされているからな。ゴドウィンを連れて歩いていたのは、露見した際に身代金目的だと言い張るためだ。このまま口を噤んで、粛々と刑を受けるしかあるまい」
エルマーの言葉に男は気落ちした様子を見せ、力無く笑った。
「あの2人が機を読み違えるとは……」
「2人で行けると判断するほどなら間違いなく好機ではあったのだろう。見逃せば次はないというほどにな。ならば、人手が足りなかったということだ。……俺の読み違えだよ」
「そんなことは……」
「うまくいけば……或いは我らの目的も達成していたかも知れないのにな」
「パトリシアの保有する魔法の奪還ですか……」
男がそこまで口にしたところで、エルマーの顔から表情が消える。
「エルマー様?」
訝しむ男の問いには答えず、何げない様子でエルマーが普通に立ち上がった。
男は言葉を失う。エルマーを縛めていたはずの石の棺桶は、張りぼてのように中身がスカスカで、ただ蓋を被せてあっただけだ。その気になればいつでも動くことが可能だった。
何故? 魔法の封印が解けたから縛めを破れたのか?
男の抱く疑問や希望はそんなところだろうか。それらに対する解答は、エルマーの思いもよらない変化だった。
「ひっ!?」
顔から。手から。色が抜け落ちる。目も、鼻も、口も形が曖昧になって、頭髪も頭皮に吸い込まれるように戻っていった。僅かの時間でエルマーだったものは、半透明の何かへと変貌していた。つまり――ドッペルゲンガーの本当の姿。
そこで部屋の扉が開く。男は入ってきた俺を見やり、目を見開く。
「ご苦労様、アンブラム」
アンブラムは腰に手を当てて一礼すると部屋から出ていく。カドケウスも一緒だ。今のやり取りは小声であろうがしっかりと聞かせてもらっている。
アンブラムは人の姿をしていないと声帯がないので喋れないらしい。人の姿をしていても受け答えがそこまで上手ではないので、予め決めておいた受け答え以外を細やかに喋らせようとするなら、ローズマリーが直接制御してやる必要があるそうだ。
ローズマリーが周囲に当たりを強くしていたのも、使用人から距離を取らせることで影武者のボロが出るのを防ぐ布石でもあったそうだ。
そして、直接制御するとああなるというわけだ。
「な、何だあれは!?」
「話す必要はない。一応、言っておいてやると今のは確認のための答え合わせでさ。お前だけが情報を漏らしたわけじゃないから、特別に気に病む必要はないぞ」
男はようやく乗せられたことに気付いて、ぱくぱくと口を動かす。言葉もないといった様子だ。
魔法審問だとか魔法薬とか、色々用意するぐらいならこっちのほうが手っ取り早いしな。ローズマリーも俺の提案に、多少なりとも父さんへの償いになるのならと、かなり力を入れてアンブラムの制御に臨んでいたようだし。
ともあれ、聞くべきことは聞いた。スリープクラウドで再び意識を失わせると、レビテーションで玄関ホールへと運ぶ。
「これで最後かしら?」
クラウディアが尋ねてくる。
そこには梱包された誘拐犯達が、荷物のように積まれていた。傍らにみんなが待機しているという状況だ。
「うん。タームウィルズ側の受け入れ態勢もできているらしいから、よろしく頼む」
「ええ。任せて」
クラウディアの足元から転移魔法の魔法陣が広がり、連中はきっちりとタームウィルズに出荷されていった。後に残されたのは――青い顔をしているゴドウィンだけだ。
こいつは魔法も使えないようだし、連中との繋がりも薄いからな。隷属魔法で魔法行使制限などの必要がない分、どちらかというと父さんに委ねるべき案件だ。
元使用人のゴドウィンが金目当てに犯罪者を手引しようとしたと、しっかり公に喧伝し、続く者が出ないようにきっちりと牽制する役割を担ってもらう。
「ご、誤解なんです、旦那様! ……テ、テオドール、坊ちゃんも! わ、私はただ――伯爵領の案内をすればお金が貰えると言われただけで……!」
俺と父さんがゴドウィンに視線を送ると、引き攣った笑みでそんなことを言う。
……案内ねえ。
「酒場で愚痴をこぼしていたら、声をかけられたんだってな?」
俺が言うと、ゴドウィンはガタガタと震えだす。
連中から複数の証言を得ている。ゴドウィンは長年勤めていたのにあっさり辞めさせられたと、父さんを恨んでいたそうだ。それにしたってゴドウィンは実質的に侯爵家のスパイで、伯爵家を裏切るような真似をしていたのだから自業自得だろう。
そうやって酔って逆恨みで愚痴を零していたところを、情報収集していたあの連中に目をつけられて、伯爵家の財宝を盗み出す手伝いをしないかと持ち掛けられたらしい。
しかし手口は誘拐。そして――目的は財宝ではなく、パトリシア――恐らくは母さんの魔法術式にあった。あの場で2人が仕掛けたのは、父さんとキャスリンの2人を同時に誘拐できると踏んだからだそうだ。
父さんが温情をかけているキャスリンの身の安全を盾に取れば、父さんの自白を促すことができると踏んだわけだ。夜に紛れて犯行を目立たせることなく、2人纏めて誘拐できるなんてチャンス、そうあるものでもないだろうしな。
まあ、ゴドウィンはそれを知らされていないのだろうが、だとしても……伯爵家の内情を連中に漏らし、顔見知りであるからと周辺をうろついて、目撃されたとしても再雇用を願い出にきたと思わせる作戦を立てて動いていたらしい。
情報は与えられていないが……かなり積極的に連中に加担していたのは間違いないのだ。
「隣室から色々話は聞かせてもらっているよ。残念だ、ゴドウィン」
「ち、違うんです! 私は! あいつらに騙されていただけで!」
父さんが溜息を吐くと、ゴドウィンは目を見開いてあれこれと言い訳を重ね始めたが、聞くに堪えない。喚きながら兵士達に運ばれていった。
「パトリシア、か……。シルヴァトリアのことといい……」
父さんは渋面を浮かべて額に手をやる。ああ……。疲れているな。
まあ、立て続けだし仕方が無い。
「――母さんは、自分の事情に巻き込みたくなかったんでしょう」
「……それは……。リサのことだ。きっとそうなのだろうな」
目を細めて、苦笑する。……そういえば、さっきは父さんに言えなかったな。
「先程言いそびれたことですが――父さんはご自身が甘いと仰いましたよね?」
「うむ」
「母さんはそれを、優しいと言いましたよ」
そこが、好きなんだとも。
父さんは少し目を見開き、それから穏やかな笑みを浮かべる。
「ありがとう、テオ」
そう言って。父さんは静かに目を閉じる。
「来て早々……色々ありましたが、明日の宴席は楽しみにしています」
「そうだな。そちらは予定通りに行えるはずだ」
ローズマリーの話もその後でとなるか。
「では僕達は一度母さんの家に戻りますので。明日改めて仕切り直しとしましょう」
「うむ。では明日。楽しみにしている」
それまでに俺達も連中の証言で分かったことを整理して、きちんと纏めておかないとな。父さんとのやり取りに微笑を浮かべていたグレイス達であったが、視線を向けて頷くと、真剣な表情で頷き返してきた。




