番外1369 思い出と共に
ルシールからの連絡は――出産の前のそれらしき兆候があるという事だった。
大凡このあたりだろうと見積もっていた予定日からは数日前だが、多少の前後は普通の事だからな。循環錬気での補助もあったならば推移は順調だろうから不思議はないだろうというのがロゼッタとルシールの見解でもあった。
夫が現場に立ち会うのは忌避されるもの、というのはルーンガルドでもそうらしい。そういう側面もあって、状況がこのまま動いてしまえば俺は近くで待機するぐらいしかない。
非常時に循環錬気と魔法で対応というのはあるかも知れないが、そんな状況はない方が望ましいしな。グレイスと顔を合わせて話をするなら今の内が良いだろうとの事である。
その事を造船所に集まっていた面々にも伝える。
「ああ。それは……良い事だけど大変だ。戻ろうか」
「こっちは何時でも動ける」
アルバートが言うと、テスディロス達も応じる。
ヒュージゴーレムをブロック化して石材に戻し、テスディロス達の封印の状態も元通りにし……早速みんなでフォレスタニア城へ戻る事になった。
エスナトゥーラやルドヴィア、ラムベリアやゼルベルといった面々はまだこっちに来て日が浅いからな。
諸々の事情からタームウィルズやフォレスタニアの街中を移動する時はまだ俺が付き添った方が良いというのはあるので、先に戻らせてもらうというわけにもいかない。それだけに早め早めでロゼッタとルシールが連絡をしてくれたのは助かるな。
しかし何というか。ここに来ていきなり状況が動いた感があるな。
心の準備はできていたつもりではあるのだが、やや落ち着いていないのを自覚してしまうというか。いや、俺が焦っても仕方がないのだろうけれど。
「ルシール先生もロゼッタ先生も信頼の置ける人達だよ。きっと大丈夫」
と、そんな風にアルバートが言ってくれる。
「ああ。それは……ありがとう。何か顔に出てた、かな?」
「いや。テオ君は対応力があるし、実際解決するけれど、それだけに内心では色々気を回したり心配する性質だと思ったからね」
「……ん。そうやって気遣って貰えるのは嬉しいよ」
そう答えるとアルバートは「僕も色々テオ君には心情の面でも助けられているからね」と言って、明るい笑みを向けてくれた。
「我らにできる事はあまりないが……そうだな。祈りの力が届くと言うのなら俺もそうしよう」
「そうですな。我らにできる事があるとしたらそれぐらいのものです」
テスディロスが真剣な面持ちで言うと、オズグリーヴも目を細めて同意する。
「おかえりなさい、テオドール様」
「ただいま。早めに連絡して貰えて助かったよ」
フォレスタニア城に戻るとアシュレイが俺達の姿を認め、みんなも明るい笑顔で迎えてくれた。
待っているグレイスに会う前にアシュレイが浄化の魔法をかけてくれた。魔道具の用意もあるので、戻ってきたみんなで衣服や髪、手足を清浄にしていく。
こうした装置をフォレスタニアの入口や転移門あたりに設置する、というのは良いかも知れないな。酒や発酵食品なども扱う事があるから門に仕込んで自動化というところまではいかないが。
「グレイスの様子は落ち着いているわ」
「ええ。今は……テオドールを待っているわね」
クラウディアとローズマリーが教えてくれる。
「良かった。戻ってくる途中でも、少し心配になったりしてたんだ」
「アルバート達とのお話も聞いていたわ」
「ん。祈りは良い案」
ステファニアが微笑んでシーラが目を閉じて言うと、マルレーンが自分の胸のあたりに手をやってこくんと頷く。
「ふふ、心強いわね」
イルムヒルトもマルレーンのそんな反応に表情を綻ばせていた。
そうしてグレイスの待っている部屋まで一緒に移動し、通してもらう。
「おかえりなさい、テオ」
「おかえりなさいませ、テオドール様」
部屋に入るとそこには寝台に横になっているグレイスと、隣に付き添っているエレナがいた。ロゼッタとルシール。それに助手役としてティアーズやアピラシアの働き蜂達も一緒だな。
「うん。ただいま。間に合って良かった」
そう言うとグレイスは穏やかに微笑んで頷く。
「今は小康状態と言って良いのかしらね。話もできると思うわ」
そんなロゼッタの言葉に頷く。そうして、どちらからともなく互いにそっと気遣うように抱擁する。
「ふふ。今度は――私が行ってきますね」
「うん。今の時点では……俺のする事は待っている事だけだけれど、すぐ傍にいるから」
「はい。テオが近くにいてくれるなら安心できます」
そっと俺の手を取ってグレイスが言う。
……昔を、思い出すな。グレイスは俺に心配はかけさせまいとするけれど、不安がある時はこうして俺の手を取ったり抱きしめたりしていた。
だから……俺も昔のようにそっと握り返す。グレイスはその手にもう片方の手も重ねて、大切なものを抱きしめるように目を閉じていたが、やがて目を開き、俺を真っ直ぐに見て言う。
「もう、大丈夫です」
「うん。お互い、こうやって乗り切ってきたからね」
「ふふ。そこは同じ気持ちですね」
そんな風に言って少し笑い合う。グレイスが支えてくれたから。俺も前に進もうと……そう思えた。グレイスも俺の変化を見て力になっていたというのなら……それは嬉しいな。
グレイスから離れる前に、そのまま少しだけ循環錬気を行う。
母さんとグレイスとの思い出。あの冬やその後の暮らし。今までの思い出と共に無事でいて欲しいという想いを込めて、魔力と生命力の増強を行った。二人分の力強い反応が返ってきて……それが俺の身体にも温かな流れとなって巡る。
……うん。きっと大丈夫。
「ここから少し診察しながら様子を見て行くわね」
ロゼッタが言う。俺も頷き、ロゼッタとルシールに一礼して「お願いします」と伝える。
「ええ。任せて」
「承りました」
と、二人が答える。後は……部屋の外に出て待つだけだ。アシュレイ達もグレイスに励ましと応援の声を掛け……そうして廊下を挟んで向かいの部屋に向かう。ここを待合室代わりにさせてもらっている。
「色々考えてしまうわね。私達が焦っても仕方がないのだけれど」
「わたくし達もこれからだから他人事ではないけれど……グレイスがテオドールと顔を合わせて安心できたのなら良い事だわ」
ステファニアの言葉にローズマリーが静かに答える。
「ん。自分が先行してみんなにも安心して貰えるなら嬉しいって言ってた」
「ふふ。グレイスらしいわ」
シーラの言葉にイルムヒルトが表情を綻ばせる。
「大丈夫だよ……! 私やみんなもついてるもの……!」
と、元気よく言うセラフィナである。待合室に顔を見せたティエーラ達もそんなセラフィナの言葉に表情を柔らかいものにしていた。
「ふふっ。心強いですね」
エレナがそんなセラフィナと顔を見合わせて笑う。
「水魔法が必要なら、私も頑張ります……!」
と、アシュレイも気合の入った表情を見せている。
「私も……自分にできることをするね」
鈴の鳴るような声。マルレーンはそう言ってから祈りを捧げる仕草を見せていた。クラウディアもそんなマルレーンの言葉に目を閉じて微笑む。
「神格の反応からすると、みんな無事を祈ってくれているようね」
「テスディロス達もそうするって言ってくれていたからね」
各所への連絡は――もう少し状況の推移を待ってからだな。このまま長引いたりと言うのも普通にある事なので。
子供か。……実際に顔を見て、この手に抱いてみて。俺はどんな風に思うのだろう。先々の事をあれこれと想像すると地に足がつかないような感覚がある。
グレイスと循環錬気をした時の、あの力強く温かな反応を思い出しながら俺もまた目を閉じて。祈りに想いを込めるのであった。