201 偽名か愛称か
「いらっしゃいませ」
仕立て屋の女店主は店内に入ってきた俺を見るなり、笑みを浮かべて出迎えてくれる。
「ご無沙汰しています」
「いいえ。いつもご贔屓にしてくださってありがとうございます」
以前ルナワームのコートを買った仕立て屋である。挨拶をすると向こうも覚えていたらしく、丁寧に頭を下げられた。
「久しぶり、デイジー」
「あら、ミリアム。今日は何かまた珍しい物を持ってきてくれたのかしら?」
ミリアムは行商をしているだけあってさすがに顔が広い。この店で生地を見てもらおうと考えていたとミリアムに伝えると、店主のデイジーと顔見知りだということで、仲介役を買って出てくれたわけである。
「いや、私はただのおまけだ。こちらのテオドール卿より、デイジーに見せたい物があるそうでね。テオドール卿。こちら、デイジーです。お2人は既に顔見知りのようではありますが」
「改めまして。紹介に与りましたデイジーと申します。今日はよろしくお願いします」
「テオドール=ガートナーです。こちらこそよろしくお願いします。突然の話で不躾ではありますが少々珍しい生地が手に入ったので、専門家の意見を伺いたいと思いまして」
「決してそんなことは。私も見識を広げられるので有り難いお話です。立ち話も何ですから、そちらの席にて」
カウンターの奥にあるテーブルに案内される。
「こちらなのですが」
生地を収めた木箱をデイジーに渡す。
「拝見させていただきます」
と言って、木箱を開け……それを見た途端にデイジーの顔色が変わった。
「……触ってもいいでしょうか?」
「はい」
織物となったものと糸束の状態と。一応両方持ってきたのだが、デイジーは恐る恐るといった様子で、まず銀色に煌めく織物をそっと手に乗せる。壊れやすい芸術品を扱うかのようだ。
「この手触り――光沢……。ルナワームに似ているけれど、また違う……」
糸束を取り、端を軽く引っ張って、その張り具合などを見ていたデイジーであったが、真剣な面持ちで顔を上げて尋ねてくる。
「これはいったい、何の糸でしょうか?」
「アルケニーの糸です」
答えるとデイジーは目を丸くした。アルケニーは個体数が少ないらしいからな。その糸となると更に珍しいのだろう。
「実は東区で店を開いたんだが、そこでこの生地を扱えないかということになってね。だが、私も価値を決めかねている。デイジーの意見を聞きたい」
「そ、それは……まとまった量が仕入れられるということ?」
「今のところ不定期だがね」
デイジーはごくりと喉を鳴らすと、二度三度と深呼吸をして答える。
「……そ、そう、ですね。私だったらと前置きさせてもらいますが……ルナワームの5倍の値段はつけると思います」
5倍? あれも結構な高級品なんだが。
「ええと。生地が素晴らしいというのもありますが……何より稀少価値がありますから。例えばこれでドレスなどを仕立てたら……私にもいくらの値が付くか分かりません。うちではルナワームを扱っているから分かるのですが、この布はエンチャントもかかりますよ」
「……なるほど。他に売っているところも無いから……」
「そういうことです」
品質と物珍しさに対して流通が少な過ぎるわけか。確かに……まず新しいものが好きな貴族や好事家連中が飛びつくだろうから、売る側としては価格を吊り上げ放題なわけだ。
「……分かりました。では、先ほどの値段で店に置いてみます」
「そうですね。私も売りに出された時にはお伺いしようかと思います。仕立て屋として、一度は扱ってみたい物ではありますから」
そう言ってデイジーは笑う。俺としてはこの店のコートの質が良かったからデイジーに扱ってもらうことも考えたが……独占的に供給するような真似をしていると、同業者の恨みを買ってしまうだろうな。
そのあたりのことはデイジーも分かっているようだ。だから売りに出されたらという話になるのだろう。
とりあえず店に並べる日を仕立て屋界隈に明示して、あまり角の立たない販売方法を取る必要があるな。
「といっても、競合相手はそれほど多くないのではと、私は見ますが」
あれこれと思案していると、ミリアムが言う。
「そうなんですか?」
「元々ルナワームを扱えるぐらいの店でないと二の足を踏むと思います。高級素材で、最先端の流行を、というのが貴族の方々が求めるものですが……それぞれの好みで贔屓があるわけですね」
なるほど……。元々の客層に貴族の固定客がいなければ、高値で仕入れても肝心の注文が入らないし、客のほうも手が届かないわけだ。なら、最初から必要な分だけ用意してそれぞれの店に卸すというのが一番いいのかも知れない。
それにしても。エンチャントがかかるということなら……生地とは別に、パーティーメンバー分の衣服を迷宮村から譲ってもらうかな。鎧などの下に着ておけば地味に防御力の底上げになると思うし。
「それでは、私はこれで戻ります」
「馬車で送っていきますよ」
「いえ、それには及びません。他に寄る場所もおありなのでは? 私も、店を空けてきていますので」
ということで、デイジーに礼を言って店を出たところでミリアムと別れた。
近くに停めてある馬車に戻ると、グレイス達は互いの髪を結ったりして盛り上がっていた。
「――確かに。クラウディア様の黒い髪は素敵ね」
「自分と違う色だと憧れますよね」
「かも知れないわ」
前にも同じようなことを工房でやっているのを見たが……楽しそうだな。今はローズマリーの髪をマルレーンがシニヨンに結っているところだ。ふむ……。マルレーンとローズマリーも、結構打ち解けたのかな。
「どうだったかしら?」
グレイスの髪を櫛で梳いていたクラウディアが尋ねてくる。そのクラウディアもツインテールだったりするが。
「ルナワームの5倍ぐらいじゃないかって。品質も良いし希少価値が高いから、高級品路線だね」
「そう……。あの子達に伝えたら喜んでくれるかしらね」
「と思うよ。でも無理はしないように伝えておいたほうが良いかも知れない。自前の糸なわけだし、需要があるからってあまり張り切ると大変そうだ」
「そうね。糸を紡いだり織ったりだけでも相当手間暇がかかっているのだし。糸を出し過ぎるとやっぱり疲れるそうよ」
そうなのか。意外に貴重な情報かも知れない。
クラウディアとそんな会話をかわしながら、ゴーレムの御者に命令を送って次の店へ向かう。人形の素材が必要なので錬金術師の店に行くことになっているのだ。ちなみに装甲やパイルバンカーの金属素材についてはアルフレッドが手配してくれるそうである。
本の中はカウントしないものとして……ローズマリーにとっては久しぶりの外出となる。アナスタジアの格好ではあちこち歩き回っていたようだから、色々感慨深い物があるのだろう。馬車が動き出すと、窓から街並みをじっと見ていた。
やがて馬車は錬金術師ベアトリスの店に到着する。
「いらっしゃい」
ローズマリーと共に店内に入ると、相変わらずの気だるげな調子でベアトリスが出迎えてくれた。
「魔法人形を作りたいの。触媒を見せてもらってもいいかしら?」
「そっちの棚にあるわぁ」
ベアトリスに指差された棚をローズマリーはあれこれと見て回る。
「ロ……っと。マリー。必要な物は足りる?」
ついついローズマリーと呼び掛けそうになって言い換えると、少しきょとんとしたような顔でこちらを見てくる。
「……いや、安直だった。アルフレッドもそうだから呼び方は変えたほうが良いかなと思って」
今は変装中だからな。見た目としてはアナスタジアとも違うわけだし、偽名についてはもう少し話をしておけば良かったか。
ローズマリーは棚のほうへ視線を移すと、肩を竦める。
「今後はずっとそれでいいわ。場所によって呼び方を変えると、ややこしいでしょう?」
……そんなものだろうか。名前の一部を抜き出しただけだから偽名という感じではないように思うのだが。
ちなみに肝心の品揃えのほうはローズマリーが感心するほど良いようで。必要なものは揃ったようだ。
さて。これで心置きなく人形の製作に移れるだろうか。人形の完成品を模したゴーレムにパイルバンカーの試作品を持たせて、色々実験といこうじゃないか。




