19 グレイスとの迷宮攻略
さて。家賃を払い、学費を払い。
魔法生物を注文し、家具を取り揃えて――残金は1838キリグだ。
事前に予想していた大口の出費は粗方出ていったし、食費として2人で日に2キリグもあればそこそこの食生活を維持できる。無駄遣いをしなければ当面生活していくのに困る事も無いのだろうが、何かあれば急に入用になるのが金というものである。
半年後にはまた家賃450キリグを支払うつもりでいるし、杖やローブについても目ぼしい物が見つかっていない。特に魔法杖は……そこそこのランクの物を求めようと思えば1000キリグ程度は簡単に飛んでいくわけだし、油断しているとあっという間に無くなる程度の金だろう。急ぎではないにしろ迷宮攻略は進めていかなければならない。
そんなわけで家具を搬入した次の日から、早速グレイスと一緒に迷宮に降りる事にした。地図が使えるうちに地下6階までは進んでおきたいので、今日は一応そこまでを目標に見ている。
「何か注意すべき事はありますか?」
「魔物の数は少しずつ増えてくるけど、この前来た時と同じ方法で大丈夫。地下4階は別の区画に通じる扉と下に降りる階段で枝分かれしてるから、見慣れない扉を見てもそっちには進まないように」
「解りました」
階段側は地下へと降りていく道。分岐の扉は下水道が迷宮化した区画を通り、旧坑道側へ登っていく道だ。
俺が目指す方向としては宵闇の森の方となるから、脇道は考えずに普通に地下へ地下へと潜っていけばいい。例によってこの辺りで探索すべき個所はないから、最短ルートで降りていけばいいだろう。
「ふっ!」
グレイスの斧が風切り音を立て前衛のゴブリンを文字通りに潰す。後衛の弓持ちゴブリンへの障害物が無くなったところで循環状態からの風魔法、サイクロンを叩き込んだ。ゴブリン2体の身体が一緒くたになって迷宮の壁と天井にぶち当たり、肉を削られ、骨を砕かれながら吹き飛ばされていく。
振り返ったグレイスが、通路の逆側から迫ってきていたキラーアント目掛けて斧を投擲した。斧を食らった蟻は頭部をごっそりと喪失して動きを停止した。
前回に引き続き、ライトボールを先行させて魔物の待ち伏せを潰していく作戦を採用している。弓持ちのゴブリンが出てきたが特に問題は無い。ゴブリンは夜目が利くだけに、ライトボールを眼前に動かしてやるだけで目潰し代わりにできるからだ。普段から暗い迷宮の中にいるのだからさぞかし強烈な光に見えている事だろう。たとえ矢を射られたとしても、防ぐのも避けるのも簡単な事だけれど。
そんなわけで探索は順調である。転界石の回収、魔物からの剥ぎ取りを程々にこなしつつではあるが、特に苦労もなく地下5階の道半ばまで歩を進める事ができた。
「血液酔いは大丈夫?」
「ご心配には及びません。ゴブリンやコボルトの血は……その、臭くて」
グレイスは僅かに眉を顰めた。俺の感覚ではよく分からないが、ダンピーラである彼女からしてみると明確に違いがあるものらしい。
まあ、それもそうだよな。吸血鬼連中がリスクを承知で人間を襲うのもそういう所に理由があるのだろうし。
代替が利くのなら積極的に魔物を襲っていればいい。それで吸血衝動が満たされるのであるなら、吸血鬼は感謝されこそすれ討伐対象になる事などないはずだ。
先行させているライトボールの後を追いかけていくと、曲がり角の向こうが騒がしくなった。
向こうから走って近付いてくる足音が聞こえたので、グレイスと前衛後衛を入れ替えて対処する。
俺自身も杖術と武技主体による魔法を使わない近接戦がこなせる。この辺の技術はもっと磨いておきたいし、グレイスも斧の投擲による遠距離攻撃ができるため、こうやって臨機応変に役割を入れ替える事もできるわけだ。
魔物に対して角待ちを仕掛ける。飛び出してきたコボルトの喉笛を杖の先端で潰し、怯んだところを回転に巻き込むようにして引き倒す。喉を抑えてくぐもった悲鳴を上げるコボルトの、その口の中に体重を掛けた突きを叩き込んで、一気に止めを刺した。
やや遅れて出てきたもう一匹のコボルトはグレイスの担当だ。その姿が視認できた時点で、グレイスの斧が投げつけられた。胸板に凶悪な金属の塊が直撃して壁に叩き付けられる。
ヨーヨーでも引き戻すような気軽さで、グレイスが手元の鎖を引く。武骨な鎖の音を響かせたかと思うと、斧が飛んできた方向へと猛烈な勢いで戻っていった。
まあ……大体こんな調子だ。問題なんてあろうはずもない。グレイスは前のキラーアントの群れと遭遇した時のように、弱い相手に大量に来られると蹂躙しているうちに吸血鬼側に振れてテンションが上がってしまうようだが、遭遇も散発的だからそれも起こらないようだし。
コボルトからの剥ぎ取りを手早く済ませ、角を曲がって進んでいくと地下6階へ続く階段が見えた。
ここから先の地図は持っていないので、ある意味では迷宮攻略も本番になったとも言えるが。
「地下6階からは魔物が2種類増えるんだ」
「何でしょうか?」
「ウッドパペットとウィスプ」
「戦った事がないです」
「パペットは自然には存在してないからなあ。ウィスプも出る場所を選ぶし」
これまで出てきた魔物と違って若干の癖はあるが、基本的にはどちらも弱い。
ウッドパペットは自律行動する木偶人形だ。
痛覚や恐怖がないから前衛としてゴブリンやコボルトより優秀だが、それでも大した事はない。
ウィスプは青白い火の玉。実体がないのだが、散らされるとダメージを受ける。そして魔法攻撃にすこぶる弱い。俺やグレイスにとっては何の苦もない相手だ。
「今までとやる事は変えなくていい。寧ろ問題になるのは迷宮の進み方だけど……この辺はまだ罠も無くて構造も素直だから、基本に忠実でいいよ」
「左手を壁につけるように進む、でしたっけ」
「右手でもいいけどね。安直だけど迷いにくい」
注意事項を説明するとグレイスは頷いた。通用しない構造もあるけれど、それはそれで行動の指針にはなるし。
迷宮の通路を進んでいくと、早速パペットに遭遇した。槍持ちだったので軽く矛を交えてみたが――所詮木偶人形である。全然歯ごたえが無い。
手元で軽く杖を回して、相手の槍を巻き込みながら跳ね上げると、簡単に得物をその手から奪う事ができた。そこをグレイスに掴まれ壁に投げつけられ、手足を破壊されて身動きが取れなくなってしまう。
パペットからの剥ぎ取りは胸か頭部にあるガラス玉部分だ。弱点でもあるので破壊すればそれだけで行動を停止させられるが、そうすると剥ぎ取りが無くなってしまうというジレンマを抱えている。
ウィスプは……色々楽だ。グレイスの斧の一振りで霧散して小さな魔石をその場に残す。グレイスの斧が肉厚の刃を持つために、出てきた瞬間にやられるだけの存在と化している。
今まで出てきた魔物も隊列を組んでくるが、密集していれば魔法を叩き込むだけだし、そうでなければ端から削っていくだけだ。特に問題は感じなかった。
この辺も浅い階層だから小部屋を探索する必要はない。通路を巡っていると程無くして広くなっている場所に出て、石碑を発見した。
「どうしますか?」
「一旦ここで帰還しようか。地図を無駄にしないって方針だったし」
「解りました」
石碑に刻まれている女神像の掌に必要な分量の転界石を載せる。途端、迷宮の床に、石碑を囲むようにして光の魔法陣が展開した。
数秒内側に立っていると転送されるという寸法だ。一瞬後には神殿入口の広場に立っていた。
……相変わらずの格好だから人目に付くな。スネークバイトを返り討ちにした一件が伝わっているのか、こちらを見て噂話をしている連中までいた。
……解放状態で衆目に晒されるのをグレイスは嫌うが、指輪の操作を行うのは人目が少ない場所の方が良いだろう。まず厩舎に停めてある馬車の所まで二人で戻り、馬車の中で彼女の手を取って呪具を発動させた。
「は、あ……」
座席に座ったグレイスは、目を閉じて小さく吐息を漏らした。
何と言うか――やや艶っぽい声に聞こえなくもない。
まあ……仕方が無いんだろうけど。強力なダンピーラ状態から常人に戻るので、その際かなりの脱力感があるらしいのだ。長く解放しているほどその感覚に慣れてしまうからか、落差が大きいという事だった。
迷宮攻略は暗所で活動する事もあって吸血鬼側に振れやすくはある。例の吸血衝動の反動も来ているのかも知れない。グレイスは自分を落ち着かせるように、ゆっくりと深呼吸している。
まあ……制御を元に戻すのを馬車の中にして正解だな。これからも同じようにしよう。無防備なところを他人に見せるのはグレイスも嫌だろうし。
「気分は?」
「大丈夫です。空腹感が強くないのは助かりますね」
目が合うとグレイスは微笑んだ。何となくだが、穏やかな雰囲気がある。
うん。問題は無さそうだ。なら次は、ギルドに行って戦利品の換金をしてこようか。




