番外1305裏 玄室の戦い3
エスナトゥーラが瘴気の鞭による一撃を放つ。邪精霊は当然のようにお構いなしに突撃するが、エスナトゥーラの攻撃の性質は他の者達と少し違う。
空気の弾けるような音と共に瘴気が叩き込まれると、邪精霊の動きが瞬間的にぎこちないというか、おかしなものになる。
温度――空間にあるエネルギーの収奪や減衰がエスナトゥーラの有する瘴気特性の本質だ。邪精霊と言えどその影響から逃れる事はできない。一撃一撃で滅ぼすには至らないまでも、器を活動させている邪精霊の魔力をそのまま奪ってしまうので、一時的に肉体を操る事ができなくなる。高位精霊たるジェーラ女王と信徒たるラネブ達が揃っている限り下位の邪精霊達への供給、再生は続くから不死、不滅に近いが、それでも無敵というわけではない。
「少し……理解してきた。どこに攻撃を叩き込めば貴様らが動きにくくなるのかをな」
竜巻のように瘴気の鞭による打撃を繰り出す。邪精霊達を目にしたエスナトゥーラは一番数の多い特攻型を敢えて巻き込むようにして、なるべく多くの個体を引き付けようという動きに出たのだ。
時間稼ぎではあるが現時点で倒し切れない以上はこうするのが有効だと、エスナトゥーラはそう判断している。
邪精霊達は咆哮を上げ、爪牙にオーラを纏ってエスナトゥーラに追い縋る。エスナトゥーラは飛行しながら暴風のように鞭を振るい、打ち据えた相手の動きを阻害していく。止めを刺す気のない動きではあるが、飛行するにも魔力の要というのがある。
そこに瘴気を叩き込んでしまえば当然、空中での動きはかなり制限されてしまうというわけだ。同時に魔道具で瘴気を含んだ水も周囲にばら撒き、地面に落ちた相手を縫い止めるように氷結させ、復帰までの時間を更に稼ぐ。
魔人としての経験から空中戦を行えば、理性のない相手に後れを取る道理はない。
問題があるとすれば、やはり消耗だ。数を引き付けるにしても、動きを阻害して時間を稼ぐにしても、匙加減や体力、瘴気の消費量の配分を間違えると押し切られる危険性というのは付き纏う。
形勢がこちらに傾くまで力を温存しつつ、ディフェンスフィールドの近くで立ち回る事で不測の事態に対応する……と、そこまで計算に入れてはいるが。
「――とは言え。理性と知性を失った獣にくれてやれる程、この首は安くないがな」
エスナトゥーラは片目を見開くようにして笑うと、縦横に振るう鞭で打撃の結界を造り出し、追いすがる邪精霊達の魔力の要に攻撃を叩き込んで、幾度となく撃墜していく。
ジェーラ女王の使徒――下位の邪精霊達は理性、知性を失った者ばかりではない。例えばテスディロスと飛び回りながら切り結んでいる将軍もそうだし、オルディアが相手をしている術者達もそうだ。ディフェンスフィールドを出たオルディアは術者達の遠距離狙撃からオーラン王子とラプシェム達を防げる位置取りをしている。
呪法によって狙撃をそのまま術者に返したり、宝石から解放して元の術に戻す事で逆に他の邪精霊に叩き込んだりといった方法でオーラン王子達の戦いに横槍を入れられないように守っているわけだ。
というのも最初に撃ち込んできた落雷の術の後にオーラン王子とラプシェム達がこの戦いの要と見て取ったか、防御陣地からそちらに標的を変えてきたからだ。オルディアもそれは承知の上だ。オーラン王子達が前に出た時点で共に前に出ている。だから、標的を変えたと感じた、その瞬間から対応して見せた。
その動きとオルディアの意図を――四体の術者達もまた理解した。彼らの術式は元より数人で力を合わせて出力を上げるという、攻撃用の儀式魔法に属するものだ。分散してしまえば座標指定の遠距離狙撃もできず、威力も落ちる。だから四方に散って各々が攻撃をするという方法は取らない。
彼らの選択は不死性を盾にした波状攻撃だ。オルディアがオーラン王子達のいる戦域から離れられない状況を作り出す。オルディアを消耗させて倒せれば別の誰かが落雷などの術への防御に回る必要がある。形勢も一気に自分達に傾くだろうと判断したわけだ。
そうして、直線的な魔力の弾丸が精密にオーラン王子やラプシェム達に向かって放たれる。オルディアが手を振れば瘴気の波が広がり、放たれた弾幕が呑み込まれて宝石へと変わる。一瞬後に宝石が砕け、そこから光弾が術者達に放たれる。自らが放った光弾に身体を貫かれながらも術者達は意に、介さない。
笑いながら印を結び、次の術を放つ。一旦放射状に拡散しながら軌道を変えてオーラン王子達に向かう誘導弾。それを――オルディアが大きく瘴気の波を放って包み込む。誘導弾は残らず宝石に変化していた。
それに紛れるように。高速の石弾をオルディアに向けて撃ち放っていた。
それをオルディアは煌めく瘴気を纏った裏拳で打ち落とす。
「なるほど。考えましたね」
静かにオルディアは言う。
実体を伴った術は魔力で形成された術とは違う。瘴気の防御により魔力で強化された硬度は失われるが、形成された石弾とその質量、勢いなどは残るし、オルディアの力は実体そのものを封印するというものではないからだ。オルディアの能力は非常に効率の良いものだが、そういった実体弾で狙撃をされれば当然能力に任せた防御はできない。実体を排除できるだけの瘴気の密度が必要だ。
距離を取っての射撃の中にそういった攻撃をオルディア本人やその後方のオーラン王子達への狙撃として織り交ぜる事で、オルディアからの反撃を防ぐ。
飛び交う光芒と煌めく瘴気。閃くマジックサークル。解き放たれる石弾と氷弾。次第に術者達の手数が増えて、オルディアが防戦一方となる。
それでも――オルディアがその身に纏う瘴気に揺らぎはない。それどころか、術者達の技を受け止めるその過程で研ぎ澄まされ、漲ってすらいるようであった。
事を優位に進めているのは自分達だ。だが、些かの揺らぎもない。それを感じ取ったのか、術者達は僅かな困惑を見せ、オルディアは微笑む。
そうだ。正しいと信じるもののために誰かを守って戦えるというのは、こんなにも嬉しいものなのだと。オルディアは強くそう思う。
両親やイグナード王。レギーナやエインフェウスの皆。それにテオドール達と過ごした日々。思い返せば自分は沢山の人に守られてきた。だから、それを自分も他の誰かに返す事ができるなら。それは彼女にとっては嬉しい事で。
ましてや、ジェーラ女王とラネブの目的は、テオドールと共に地上の民と暮らす事を決めた、自分達にとっても受け入れられないものだ。
力を貸してくれるオーラン王子やラプシェム達の事や古王国の経緯を考えれば、自分も彼らを守りたいと思えるのだ。だから――オルディアは引かない。揺るがない。
雨あられと降り注ぐ光弾に雷撃、石弾、氷弾を撃ち落とし、かき消し、迎撃に宝石そのものを叩きつけて相殺。弾雨の只中に身を晒し、受け切れなかった弾雨を前腕で受け止め、脇腹を掠め、肩に命中する。
それでも。手を変え品を変え放たれた数々の術式の、ただの一発も後方には通さない。その上でオルディアは笑う。
「支援助かります、オズグリーヴ様。それにコルリスも、ありがとう。お陰で十分な反撃の用意ができました」
その言葉とほぼ同時に。飛来した流れ弾が近くに着弾し、爆風で煙の一部が一瞬晴れる。
オルディアの近くには――他の宝石とは比べ物にならない大きな結晶が発光しながら鎮座していた。オルディアはただ一人で術者達の弾幕に対抗していたわけではない。弾幕の相殺用として消費された宝石の一部は、コルリスが造り出した偽物で、オズグリーヴが煙で相殺して見せた。
放たれた術を宝石に変換するにしても、同一の術者達からの術式故に、統合させる事がオルディアには可能だった。だから、彼らが防げないと思われるところまで凝縮し、肥大化させた宝石を以って、今まで蓄積した攻撃を返す――。その偽装も支援もオズグリーヴが手伝ってくれた。だから――。
オルディアの意図を正しく理解した術者達が、目を見開く。
オルディアの能力――瘴気特性は拙いと、彼らもここまでの攻防から理解している。だからオーラン王子達を標的にし続ける事で彼女を釘づけにしていたという側面もあるのだ。
「お返しします」
頭上にゆっくりと回転する巨大な宝石を掲げて、オルディアが静かに言った。その足元に呪法のマジックサークルが広がり、掲げた掌を握り潰すと同時に、宝石が砕ける。
術者達の周囲に渦巻くような火花が出現したのは、次の瞬間だった。
「オ、オオォォオオッ!」
術者達は攻撃を捨てて、初めて完全な防御に徹した。印を結んで光壁で自分達の周囲を覆う。
が――。膨れ上がるように渦が大きなものとなる。光と雷。魔力の竜巻。彼らが戦いの中でいいように放ち続けた攻撃術式が、オルディアの注ぎ込んだ瘴気と共に、一度に跳ね返ってくる。それは咄嗟に展開した防壁等で防げるような生易しいものではない。あっさりと均衡は破れて暴風のような魔力の渦に彼らは呑み込まれた。
器も、そこに宿る邪精霊と化した術者達も等しく削り取り、内側に宿る精霊ごと封印して宝石に変えてしまう。通常ならば、肥大化していく宝石を傍らに置いているオルディアに気付いてさえいれば、彼らも攻撃手段を変えただろう。だが――。
術式と瘴気の竜巻が崩れて四方に散った時、そこにあったのは抜け殻となった干からびた古代のミイラと、封印されて宝石と化した邪精霊達の姿であった。まだ意識のあるものが宝石を砕いて彼らを解放しようとする前に、床石の中へと沈み込むように呑み込まれてしまう。そうして術者本人を丸ごと封印した宝石は、潜行しているコルリスの手に渡ってしまうのであった。