番外1302 忘却の墳墓
壁画とそこに刻まれた文字を、ラプシェム達はしばらくの間読み込んでいた。時折眉をひそめたり頷いたりしていたから、恐らく解読はきちんと進んでいるのだろう。
「文字は読めませんが……もしかするとネシュフェルの祖先にも関係しているのかも知れません」
オーラン王子が壁画を眺めながら真剣な表情で言う。休憩時間としているが、やはりどうしてもこの場所では壁画や文字に目がいってしまうな。
『三つ目の人物はギメル族を示しているというのは分かりますが……二つ目の人物が混在しているというのは確かに気になりますね』
エレナが壁画を見て言った。そうだな。オーラン王子もその辺を見てネシュフェルと祖先と関係があるかも知れないと考えたのだろう。その辺りはまあ、有り得る話だ。
やがて一通りの解読も終わったのか、ラプシェム達はこちらに視線を向けてくる。
「おおよその事は分かったつもりだ。俺達の間でも間違っていないか流れが合っているか確かめた」
「ありがとうございます。古代文字なのに博識ですね」
「文字や文化については一族の古老達が継承にうるさくてな。術に優れた者は特に指導される」
ラプシェムが苦笑するとエンメルとレシュタムも少し笑って頷いていた。なるほどな。では、古代で成立した文字を現代まで受け継いで使っている、という事になるのかな。術に優れた者という事は、恐らく司祭や神官的立場の者の後継として見ている、というのも有るのかも知れないが。
ともあれ、ラプシェム達の話を聞いてみよう。みんなで壁画の始まりの部分……回廊の入口まで移動し、順に話を追って聞いていく。
「――この墳墓を知らずに足を踏み入れた者よ。見たこと、聞いたことを忘れて引き返されよ。そなたの求めるような物はここにはない。後世に災いを残さぬため、鎮魂と封印、そして忘却を目的として造られたもの。その為に忌まわしき記憶をわずかに文字として留めよう」
そんな前置きと共に古代の歴史が語られる。
「その者――ジェーラは見目麗しき王女だった。小さな頃から利発で才覚に優れ、よく魔を修める。長じたジェーラは周囲の者達の推す声もあり、王国の女王となる。だが……一体どこで我らは道を誤ったのだろう」
後光が差したような三つ目の少女とそれにかしずく家臣達……というように見える壁画が描かれている。天才、か。
ラプシェムの言葉を、エンメルが引き継ぐ。
「女王ジェーラについて記す前に、当時の状況について話をしようと思う。長く続いた平和と治世の下、王国は繁栄し、周辺民族との融和を進めていた。だが、それによって問題も生じる。三つ目の子が減り、二つ目の子が増え続けていたのだ。魔の才覚は先細り、精霊の助力を得られぬどころか、姿や気配さえ見えない、感じられないという者が増えていた。そして――その状況を憂う者も」
並べられた赤子や子供達らしき絵の中には三つ目の子と二つ目の子、それに小さな精霊達が描かれていたが、三つ目の子は少なく二つ目の子の方が多い。そして、精霊達に背を向けている子供達の姿も。
つまり王国というのはかつてのギメル族……その祖先達が築いた王国という事だ。ジェーラという少女が王女だったという事を考えても、ギメル族の国という事なのだろう。
王国が周辺民族をも纏めていたということは、一帯ではかなりの隆盛を誇っていたのだろうが……ここまでの語り口からすると不穏な流れではあるな。今のギメル族が森の中でひっそりと暮らしている経緯が記されているのだろうけれど。
「そんな折ジェーラが王位につく。彼女は美しく、極めて強い力を持つ女王であったが、その本性は残虐にして苛烈、血と争いを好むというものであった。悪い事というのは重なる物だ。才覚の先細りを憂う者達と、ジェーラは結びついた。政敵の排除、粛正と共に、女王と女王に取り入った側近達はギメルの純化を提唱するに至る。三つ目を持たぬ者達を排し、純粋なる血を守るという名目の下に、更に多くの血を流したのだ」
王笏を掲げ、片手に宝珠のようなものを持つ女王と、それにかしずく者達。倒れ伏した者達の姿。
つまりは……民族浄化を画策したわけだ。先細りという現状の打破には余りにも悪手だが、先鋭化してしまうと往々にしてある話と言えるかも知れない。
民族融和に伴い、三つ目の形質と共に力を失っていけば、やがて支配者層から転げ落ちると危惧してもおかしくはないが……。ジェーラ自身の真意はこの壁画から読み取る事はできないし、とった方法は正当化しようもないが、な。
そこからレシュタムが頷いて言葉を続ける。
「我らもまたそれ以上の血が流れる事を防ぐために罪を犯した。宴の席にて女王とその側近達を騙し討ちにしたのだ。女王の力はあまりにも隔絶していた。まともに立ち向かって勝てる相手ではない。だから毒を盛り、謀殺という手段を選んだのだ、我らは。女王は血を吐き、それでも数多の兵達を相手に戦い、戦い、戦い抜いて多くの者を黄泉への旅路の道連れとした。我らと世界への呪いの言葉を紡ぎながら、女王は壮絶なる最期を遂げた」
壁画には……槍を身体に突き刺したままで、数多の兵士と炎の中で戦う女王の姿が描かれている。これを記した者は……きっと悔いているのだろう。道理を説くでもなく、正面から打ち倒すわけでもなく、謀殺、毒殺という方法を選ばざるを得なかった事を。
だから残虐で残酷ではあるが、卑劣ではなかったと。最期まで戦いを選んだ女王に敬意を払っているようにも見える。
「そして……精霊の宝珠も女王には用いられなかった。精霊となって祖先達に迎えられる事なく、この地の底に封じられたのだ。世界を呪いながら命を落とした女王が精霊とならば、きっと災いを成す邪精霊へと変じるのだろう。生き延びた我らは血を流し、罪を犯したが、それでも明日がより良くなるように積み重ねなければならない」
精霊の宝珠……それは壁画を見る限り卵型で。幻影で映し出したギメル族の秘宝によく似ている。精霊同調という技術を持つギメル族がどんな儀式で秘宝を使っているのかが推測できる部分……だと思う。
これを話してくれるというのは、ラプシェム達からの誠意の現れなのだろう。これは一族の秘密を話す事に等しいからだ。ふと視線が合って。改めて一礼するとラプシェム達は笑う。
壁画は、女王亡き後の顛末も語ってくれた。女王が悪霊や邪精霊となる事を恐れ、この墳墓が造られた。先例に倣って……女王の側近達もこの地に埋葬されたという。
女王のやり方は否定されたが、それでも血統や秘術、伝統は守るべきという主張そのものは理解できるという者も多かったらしい。だから……神官達が主導する形で、宝珠を持ち秘術と伝統を守る一部の者達と、それ以外の者たちとで土地を分ける案が出て実行に移された。
彼らはこの地から西へ旅立ち……融和に賛同する者達、既に混ざった者達は北方へ都を移す事が決まったと記されている。
それは……伝え聞いたネシュフェルとギメルの関係に通じるものがある。付かず離れず。積極的に交わらないが険悪でもない。
今のネシュフェルに三つ目の者がいないというのは……次第に三つ目の特徴を持つ者は薄れて消えて、忘れ去られて行ったのだろうけれど。ギメルがネシュフェルへの悪印象を抱いていないのを見るに、その過程は静かで平和なものだったのではないだろうか。
やがて気候の変動等からネシュフェルとギメルは更に疎遠になってしまったが……精霊達を敬う文化は残っているし、刻印魔法の技術もこの墳墓を見ている限り、ギメルにもあったようだ。受け継がれて発展したか。或いは二つ目の者は精霊の力を借りられないから技術として確立していったのか。
ネシュフェルとギメルのその後は壁画からの推測ではあるが……そうだな。色々納得がいったようにも思う。