195 梟面の悪魔
「頼めるか、お前達」
ネメアとカペラをコートの中から呼び出して尋ねる。獅子と山羊は各々が頷いた。問題ないようだ。
キマイラコートを脱いでローズマリーに渡す。
「変わった魔法生物ね。お前の戦力の低下については?」
「後ろを気にせず戦えるってほうが大きいかな」
「なるほど」
ローズマリーはドレスの裾を躊躇いもなく破って、動きやすさを確保したうえでコートを羽織る。
「わたくしの意志で動くわけではないようね」
あれ。ネメアもカペラも半分自律行動する魔法生物で、着ている者の意志に従って動くはずなんだが……。こちらから命令を送ると、ネメアが頭を出してこちらを見てくる。
「……本の外だと俺が着ているからかな? まあ、迎撃と回避に専念するように命令しておく」
ローズマリーを前衛に出すわけではないし、こんなところだろう。
街の中心に見える城に視線をやると、ローズマリーが尋ねてくる。
「番人がいるとしたら、あの城かしらね」
「多分。このまま突っ込んでも良いけど、少し準備していくか。護身用に何かを調合したりするなら、俺が代行するけれどどうする?」
「……信用できるものなのかしらね。この町にある物は」
ローズマリーは眉をひそめるが、俺としてはあまり問題視していない。
「番人とやらは実際公平なんだと思うよ。大して強くもないのに紙魚がいるのは、それが理由だと思う」
「本の中だと、気付かせるために?」
俺が来るまでに調査をしていたのだろうし、本との関わりについてはローズマリーも考えていた部分はあると思う。
「そう。武器も防具も、普通なら持ち込めないからな。なのに対等だっていうのは変だ。仕組み的に仕方が無いというなら、なるべく虜囚側の不利を補うために町の中にある物は好きに使えってことになる」
そして、これは割と重要な情報でもあると思う。そのへんの公平さ加減が、徹底しているほどこの世界が強固であり……番人が強力である根拠となるそうだ。
「なら、多少何かの準備をしていきましょうか。向こうの通りで、錬金術師の店らしきものを見かけたわ。即席で作れる攻撃用の道具ぐらいならすぐに用意できるでしょう」
ローズマリーは立ち上がる。それじゃあ、話は移動と調合をしながらだな。
「この町に存在しているものに意味があるというのなら……この住人達の意味は、何かしらね」
住人達は苦しげなうめき声を上げながら目的もなさげに徘徊しているだけだ。……ゴーレムからは逃げていたしな。
「……犠牲者かな」
「番人に負けた連中の魂だと? 隠された禁書庫の罠に、この犠牲者の数というのはおかしくないかしら?」
「いや。魔術師が番人を召喚、契約して術式に組み込む形になるそうだ。だから領地を複数持っている場合もあるらしい。どっちにしても、番人は虜囚と戦わなければならない決まりみたいだけど」
複数の領地を持つ本の番人は、領地から領地に渡ることができるそうだ。その場合、番人不在であると時間経過で解放されてしまうらしいが、まあ、元々が迎撃用の罠である。虜囚があちこちで引っかかって手が回らないなんて事態はそうそう起こるものでもないだろう。
少なくともこの本に関しては、住人が過去の犠牲者であると考えるなら、番人不在ということはなさそうである。
本の中のことに関しては情報を共有しておいたほうが良いだろう。ローズマリーに話しておく。
「なるほど……」
「といっても、推測が正しいならだけどな」
「多分、それで合っているわ。わたくしがここに来て、少し時間が経過してから住人達が湧いてきたから。番人が連れて歩いているんでしょう。つまり、あちこちで仕留めた獲物を見せびらかしているというわけね」
「悪趣味な……」
「同感ね。出てくる情報が相手の強力さを裏付けるようなものばかりでうんざりしてくるのだけれど」
錬金術師の店に入ると、ローズマリーはあれこれと物色を始める。
「なかなかいい品揃えね。これなら――」
と、調合台に材料を並べる。
俺の作業内容としてはフラスコに薬液を満たし、何種類かの粉薬を注ぎ込んでコルクで蓋をするだけであった。ローズマリーは店内にある魔石をかき集めてそれを革の袋に突っ込んでいく。
「これは何を作ってるんだ?」
「見せたほうが早いわね。実験してみるわ」
ローズマリーは通りに出るとフラスコに魔石を放り込もうとするが、手を止めた。
「……駄目ね。隷属魔法に抵触する」
「魔石を入れればいいんだな?」
ネメアかカペラに手伝わせればいい。魔石を口に咥えさせてフラスコに放り込む。
「これなら、いけるかしらね」
そう言ってローズマリーがフラスコを無造作に放り投げると、石畳の上に落ちて砕けた途端、かなり派手に緑色の火柱のようなものが立ち昇った。自然の炎とは性質を異にしているらしく、熱よりも強烈な魔力が発散しているのを感じる。
「触れた相手の魔力に干渉する炎というところかしらね。材料の値段から見ると割が合わないから無用の長物なのだけれど」
なるほど……。即席の手榴弾みたいなものか。
では、ローズマリーの動きの邪魔にならない程度に同じ物を作ってから、城へ向かうとしよう。
城内は静まり返っていた。町中にいた住人達も、飛び回っていた紙魚もいない。迎撃に兵士が出てくるという事も無い。
逆に言うのなら。横槍を入れさせない環境をきっちり構築しているということだ。
となれば、番人は逃げも隠れもせず、玉座の間あたりにいるということになるだろう。
「番人の正体なのだけれど……」
「さっきの話の続きか」
ローズマリーと情報を共有する過程で、少しだけ出た話だ。番人は精霊であったり魔法生物であったり、罠を仕掛けた魔術師によって千差万別である。
1つだけ共通しているのは精神生命体に近い存在が選ばれるという話である。
「ここの番人……いえ、領主かしらね。こいつには明確な悪意がある」
……悪意か。確かにそうだ。迎撃と足止めのための罠であるはずなのに、それを超えて犠牲者達の魂を解放せず、コレクションかトロフィーのように扱っている。それを虜囚に見せびらかせて、悦に入っている。そんな悪趣味を持つくせに、ルールは遵守。ローズマリーが感心するほど品揃えの良い錬金術師の店を用意。恐らくは他の武器、防具の類を見ても一級品を取り揃えているだろう。
魔術師と契約を交わしているはずなのに、複数の領地を自由に飛び回る精神生命体。そんな番人となれば、自ずと候補は絞られてくる。
「……悪魔か」
「そう思って、その手の非実体に効きそうな道具を用意したのよ」
さっきの魔力火炎瓶だな。
炎熱城砦のフレイムデーモンは迷宮の生み出した存在だったが……あれはかなり物理寄りだった。
元々の悪魔は精霊に近い性質を持ち、受肉しなければ現世に存在できないとされるが……ここでは恐らく本来の姿でいるだろう。連中、知性の高さが実力に比例するとも言うし、油断してかかることはできない。
とは言え、この世界でなら拳で殴り飛ばせるようなので、あまりこちらの攻撃手段に頓着しなくていいのは確かではあるのだが、それは向こうも同じこと。そういう意味でも公平だな。
やがて――玉座の間と思しき大きな扉の前に辿り着く。
扉を押し開けると、だだっ広い玉座の間にそいつはいた。モノクルをかけ、貴族風の格好をしているが、頭部は梟のそれだ。俺達の姿を認めると、芝居がかった大仰な仕草で言う。
「ようこそ、我が城、我が領地へ。楽しんでくれているかな? 私はこの書物を預かるオルジウスという者だ」
「お前がここの番人だな?」
オルジウスは、目を細める。俺の返答に笑みを浮かべたのかも知れない。
「どうやら此度のお客人はこの世界の仕組みをご存じのようだ。お察しの通り、私を滅ぼせば元の世界に帰れる。私を倒すために城下町にある物は好きに使ってもらって構わない。そこには一切の小細工が無いことを私の名において保証しよう」
「悪趣味だな。そうやって右往左往するところを見て、楽しんでるんだろう。お前は」
「クク。まあ、数少ない楽しみなものでね」
……ああ、そうかよ。
「……期待に応えられずに申し訳ないがこのままで構わない。俺は外から道具を持ち込んでいるから一対一で正々堂々とは言い切れないがな。そちらが公平を気取るというなら、こっちも俺とこの杖だけで戦えば、それで釣り合いが取れるだろうさ」
俺の挑発に、オルジウスが肩を震わせて笑う。
「ふむ。私としては後ろのお嬢さんも同時にかかってきてもらっても構わなかったのだがね。それが望みというのなら、良いだろう。君達を順々に倒すと約束する。まずは少年。君からだ」
そんなことを言うオルジウスの目は喜悦に歪んでいた。
ローズマリーが非戦闘員であることも理解したうえでだろう。俺さえ倒してしまえば、人間が足掻き、絶望していく姿をゆっくりと愛でられるというわけだ。
「そういうことだから。後ろで見ててくれると助かる」
「……そう。せっかく作ったのにわたくしの出番は無さそうね」
ローズマリーは肩を竦めると、部屋の隅に立つ。
口約束ではあるが……それでも悪魔にとっては契約や約束は絶対だ。流れ弾程度なら飛んでいくかもしれないが、その程度ならばローズマリーは自分の身を守るぐらいはできるだろうし。
とにもかくにも、後顧の憂いがないというのは有り難い話ではある。後は――目の前の戦いに集中するだけだ。




