番外1242 古き傷痕に
「疼く……のだ」
それが、言う。しわがれたような、不気味な声だった。
「恨みを晴らせと、ここで命を落とした者達が、言う。だから、我は――あやつらを従え、報復、する。お前も……この地に縁のあるものならば……わかる、だろう?」
言葉と共にボロ布の下の身体が不自然に歪む。人ならざる者の動き。雪原全体の魔力が歪んで奴に向かって集まって落ちていくような感覚。そいつを見て……俺は眉根を寄せる。不快感があった。
「嘘を――吐くな」
そう言うと、そいつは一瞬ぴくりと反応する。
「従えている? 報復、だと? お前は違うだろう」
「ほ……う。何ゆえに……そう思うのか」
反応したのは一瞬の事。揺らぎながらも問いかけてくる。
「……死者の魔力なら知ってる。アンデッドもだ。だけれど地上の骸はただの傀儡で、お前も――違う存在だろう」
そう。俺も戦場跡だからこそ、魔人達との戦いで命を落とした者達がアンデッドとなって彷徨っているかも知れないという可能性に思い当たってここに来た。
そうであったなら、会ってそれから……何を話すべきだっただろうか。
子孫として現状を伝えて……冥府で静かに過ごせるように。手を尽くすつもりであると伝えていた、かも知れない。俺自身も復讐に身を置いていたから、彼らの恨み辛みを聞いて、受け止めるつもりでここにきた。
復讐を止めるとかそんな事を言える立場ではないし、その気持ちは否定しない。だけれど死して尚、恨みを抱いて前に進む事ができずに留まっているなら、それは……辛い事だと……冥府の亡者達を見て感じた。
……アンデッドは恨みに塗り潰されて生者全てを憎み、傷付けるようになる。それは冥府の自意識が薄くなった亡者達でさえ同様だった。
だからベリオンドーラを攻め落としたガルディニスは俺が倒したと、そう伝えて、それから……。そういう思いはあっても……こうすれば正しいという答えは、そう簡単に出せるものではない。
だけれど、こいつは違う。こいつ自身も亡者の魔力波長ではないが、埋葬される事のなかった骸を、傀儡として操っているだけだからだ。
アンデッドは自身の魔法などで変異した場合を除き、基本的には現世に留まる死者の霊魂、無念、恨み辛みを核とする存在だ。
スケルトンやゾンビ、スピリット……憑代とする器や状態によって変わるけれど、どうであったとしてもこんな風に、制御された傀儡ではない。
死者が恨み等から留まり、彷徨う存在が自然発生するアンデッド。
他者が雑霊を器に入れて操る。死者の霊を呼び出して言う事を聞かせるといったものは死霊術の範疇。
分類するとするならば、こいつの傀儡はそのどちらでもなく、スケルトンに見せかけたボーンゴーレムの操作の部類だろう。
ともかくアンデッドでも死霊術でもない。そんなものが死者を従えて誰かの恨みを語り報復を謳う。……はっきり言えば不快だ。
問答無用で攻撃をしてきた危険性も捨て置けない。それでも言葉を交わすのは、対話ができるのならば……理由やこいつ自身ぐらいは知っておきたいからだ。縄張りだというのなら魔力溜まりと同じく危険地帯だと周知して距離をとれば良いだけの話なのだし。
そいつはゆらゆらと空中に揺れながら、肩を震わす。
「クク、クカカ……。恨みや無念、というのは本当の、事だ。但し……この者達が、命を落とした時の、な。我はこの地に、古くから存在していたが……ある時に、大きな戦いが起こった。そうして血肉と共に、こやつらの感情が流れ込んで、来たのよ」
痛みと恐怖。恨みや無念。殺意と歓喜。そういったものを、喰らった、とそれは語る。
甘露であった、と……そう言って、嗤う。
邪精霊とも魔物とも判別しにくい、重苦しい魔力がどこまでも拡がっていく。
殺意と歓喜。恐らく人だけではなく、戦いの中で命を落とした魔人の感情も取り込んでいるのだろう。それとも魔人を取り込んだから感情を食らって甘露だと感じたとする方が順番として適切だろうか?
その影響から人の姿を模してはいても……元々はもっと違う存在だったのだろう。土に由来する能力か術を使うのも分かっている。
精霊であったなら受肉して変異しすぎているし、れっきとした生物、魔物でありながら精霊に近い魔力を持つなら……幻獣種と区分される。
それが人に仇なすようになったのであれば――隠れ里で遭遇した瘴気の獣と同様に、魔獣と形容すべきなのかも知れない。
「だが……そうして得た力の源泉も……時と共に薄れていった。消えていった。あれほどに……怨嗟と報復の声を上げていた者達も消え失せて、しまった。時たま雪原を通りかかるものどもを、我が内に取り込んで力を高めてきたが……先だって魔人どもが、現れ……そしてお前が、やって来た。外には……お前のような――人間が、もっといるのだろうな?」
そう言って、魔獣はこちらに目を向ける。餓えた魔物や魔人と対峙した時のような緊迫した空気感。ざわざわと、雪原全体に広がる魔力がざわめくように揺らぐ。
奴の動機は食欲か、それとも力を高めたいという欲求か。
取り込んでいた亡者の声が消えていったのは、シルヴァトリアの鎮魂の想いが届いていたから、だろう。
奴が報復を口にしたのも、彼らの無念から力を得たのだというのなら、あながち嘘ではない。但しそれは過去のもので。そんなものから人の心や感情を学んで成長に結びついているから、何のための復讐かも知らない。
それを抜きにしても外の世界を知って、誰彼構わずに取り込もうとする。この場で叩き潰しておくべき敵だと判断する。
「お前は……自分自身が恨みを持っているわけでもない相手に対して、過去の他人の感情を理由に復讐や報復を口にしているが――その前に戦いの痛みを知るべきだ」
そう言って、ウロボロスの偽装部分を内側から吹き飛ばす。余剰魔力の青白い火花を散らすと、奴も応じるように笑った。
「クカカッ! それほどの魔力……! 取り込めば、さぞ我が力も増すだろう!」
その言葉と同時に爆ぜるように戦場跡全体の雪が砕け、下から傀儡共が姿を現す。泥に塗れた、人や魔物、動物の死体、死体、死体――。
生贄や遺骸そのものを魔法的な触媒としているのか、相当な魔力が篭っているのが見て取れる。
物量で押し切るつもりか。だが――。
「交渉の余地はないようだな」
雷鳴と共に、戦場跡に降りたつ、テスディロスの姿。オズグリーヴやオルディア、エスナトゥーラ、カルディアやカストルム。みんなが戦場跡に降り立つ。
シリウス号で待機していた面々が状況の推移を見て、助太刀に来てくれた。
少なくとも、この魔獣に関して言うのならば、放置しておくわけにはいかない。
「ほう……。魔人と手を結んでいるとは……。あの者達の無念が我が原点。力も漲るというものよ……!」
魔獣の言葉通りに。戦場跡を覆う魔力が増大していく。
「過去の戦いに端を発する負の遺産、ですか。人との和解を選んだ私達だからこそ、この戦いの場に立つ意義があると、そう受け取りました」
それを受けても臆することなくオルディアが言う。ウィンベルグ、オズグリーヴやエスナトゥーラも静かに頷き、纏った瘴気を漲らせ――そして魔人達との戦いの為に造られたカルディアが声を上げ、カストルムも目を明滅させて警告音を鳴らす。
そう……。そうだな。ヴァルロスやベリスティオとの約束もあれば、七賢者から引き継いだ想いもある。だから、共に戦おう。新たな犠牲を出す前に、ここで止めておかなければならない。