番外1241 雪原の支配者
イルムヒルトがリュートを奏でてセラフィナとリヴェイラが歌声を響かせると、ザンドリウス達はそれに聞き入っている様子であった。
その内に少し身体を揺らしてリズムをとったり、口ずさんだりするようになって……そこをイルムヒルトやクラウディア、カルセドネやシトリアといった面々に誘われ、一緒に歌を歌う。
それから日が落ちる前に食事を作り、食卓をみんなで囲んだりと……ザンドリウス達を交えて、和やかな時間を過ごさせてもらった。
ただまあ、これから荒事があるかも知れないのであまり凝ったものを腹いっぱいというわけにもいかないが。
「美味い、な」
「ああ。こういう味わいは、初めてだ……」
ザンドリウスと共にザスカルはおにぎりを口にしてしみじみと頷き合う。他の年少の子達もおにぎりを口にして屈託のない笑顔を見せていた。
具は色々だが、まあ魔人達は月の民の系譜である事を考えると米食には馴染みやすいだろうというのもある。
いずれにしても歌や幻影の作り出す風景、それに料理等々……文化的なもの全般に興味を示すのはザンドリウス達も他の封印術や解呪を受けた魔人達と同じようで、ザンドリウス達も肩の力が抜けてきたようで何よりだ。そんなザンドリウス達を微笑ましそうに見やるエスナトゥーラや、自分も楽しそうに音を鳴らすカストルムと。交流目的であれば中々有意義なものになったのではないかと思う。
そうやって過ごしている内にやがて日暮れの時間も近付いてきて……完全に日が落ちたところで動き出す。
まずは昼間と何か違いがあるかを調べたい。1人で甲板に出てそれから雪原に向けて降下する。
異常は……降下途中ですぐに分かった。環境魔力がどこか重苦しいものになっていたのだ。
「日中と夜で環境魔力に違いが出るのはよくある話だけれど……落差が大きいな」
例えば活動する精霊の違いで環境魔力は変化を受ける。夜――陰に属するからと、それが直ちにそのまま邪悪というわけではない。
神秘や安らぎ、眠りといった事象を司るのも、また夜に属する精霊達だからだ。恐怖も司る場合があるが、それは畏怖や自衛に繋がるもので、それ即ち邪悪というわけではない。
例えば東国なら脅かすだけで実際は無害な妖怪もいるが、それは致命的な場所に至る前に警告してくれているのだとも言える。夜は、人の領域ではないから。自然環境の厳しい場所なら尚更だ。
日中は凪いだ海の印象だったが、夜は剣呑というか……はっきり言えば良くないように感じられる。
精霊達があまり活動しておらず、空白地帯になっているのは間違いないが、だからこそ精霊達が循環させる事なく環境魔力が澱んでしまうのだろうか。
この場所を空白地帯にしている原因がザンドリウス達を襲撃した存在だとするのならば……そのままあれが場の雰囲気を支配しているという事になるのか。
「――だとするなら夜に活性化したり活動するという方向での推測は間違っていない、のかもね」
感じた事、考えた事を伝えると、艦橋と通信室のみんなも思案する。
『魔力の澱み、ですか……』
『ん。穏便に交渉するのが難しそうな相手に感じる』
オルディアが表情を曇らせ、シーラもそんな風に言った。
『では次は――我らも降りて合流しましょうか?』
「いや……。まず一人で姿を現してうろついてみようかなと思っている。夜に魔物を狩っていた魔人を問答無用で襲った、というところまでは分かっているから、別の条件で検証していきたい。魔人以外の存在に対する出方を見ておくのも重要だからね」
それで出現もせず、襲ってこないなら条件を変えてまた様子見をする、というわけだ。人里から離れた場所である以上、あの襲撃者の討伐はまだ必要な事とは言えない。
相手の在り方によっては戦いを回避できるし、どんな存在なのかが分かれば、それだけでもルドヴィアの治療に繋がる。
その上で……交渉が可能なのか、相容れる存在なのか。そうでないなら放置していても良いのか。そういったものも検証する必要がある。
ウロボロスを木の杖に偽装。髪の色も変える。軽く変装して街道のある方向――雪原の端に降り立ち、多重展開している隠蔽フィールドを調整して、姿を外から見える状態にする。魔力は……偽装する事で程々のところに抑えておこう。
周囲の魔力の動きに注視しながら明かりを灯す。シリウス号は上空にあるので広範囲が見える。そこからの映像では――生命反応はある事はあるが、動物にしても魔物にしても、昼間の方が活発だったという印象だ。
夜の雰囲気がこれでは……戦場跡の雪原が忌避されるのも分かる気がする。
諸々準備が整ったところでかつて街道があった方向から、雪原の中心に向かって踏み込んでいく。凍った雪の表面が音を立てる。
姿を見せられなかった先程と違い、今度は痕跡を残しても問題はないな。敢えて先程は出来なかった事をしていくとしよう。雪を除けて、その下の地面を分析にかけたりであるとか。
しばらく進んだところで分析を開始する。水魔法で雪を除けて、その下の地面のサンプルを取る。ウィズが帽子の鍔部分を口のように開き、土のサンプルを渡すと味わうかのように呑み込む。実際に食べるわけではないが、まあ、こうした試料分析もできる。
解析が済んだのかウィズは土を吐き出し、そこから得られたデータを五感リンクで伝えてくれる。
「雪が融けている時は湿地帯になっている、か。過去の資料からの情報ではそんな記述はなかったけれど」
これについては取り立てて記述されなかったか、或いは戦闘の痕跡で凹凸ができて、後天的に水はけが悪くなったというのも有り得る、か?
土壌に含まれる環境魔力は……空間全体よりも濃い。水晶槍の術もそうだが、襲撃者が土属性に親和性を持つ存在だとすれば……まあ、辻褄は合う、だろうか。土地に縛られた存在ならこちらとしても対処しやすいのだが。
場所を変え、中心部へ進みつつ雪原の調査を進めていたが――。そこで異常が起こる。雪の下に大きな魔力反応が生じたかと思うと、雪を爆ぜさせて俺の周囲に何かが現れたからだ。
魔力反応は5つ。人型のそれは泥を雪原にばら撒きながら、地面から現れて俺の周囲を囲むように降り立つ。
泥に塗れ、錆びて朽ちた剣と鎧。泥の間から、垣間見える骨。
アンデッドなのかそれとも別の何かか。こちらが問いかけを発する前に、それらは問答無用で踊りかかってきた。
朽ちた剣や骨の四肢に魔力を纏わせて強化。本来なら同士討ちになるような角度とタイミングで突っ込んでくる。
レビテーションを使って大きく上に跳躍。囲みを突破するも――俺が降り立とうとしているそこに魔力反応が生まれた。着地する瞬間に合わせるように、雪の下から朽ちた槍衾が飛び出す。だが――届かない。手札の一つを見せる事になるが、シールドを足場に、空中に留まる事で、串刺しにされる事を防いでいる。
殺意という点で言うなら、十分過ぎる程の攻撃だ。最初の攻撃も着地を狙った攻撃も、対応できなければ、確実に、問答無用で殺害するつもりの動きだった。
「――どういうつもりだ? 何の為にこんな事をする?」
それに向かって、問う。空中に濃密な魔力の渦を巻いて――それが現れる。ボロ布を纏った――ザンドリウス達がランタンで映し出した存在と同じ姿だ。
雪の下から飛び出してきた「兵」とは違うようだな。こいつはどこに潜んでいたというわけでもない。最初からそこにいて、魔力と共に薄く広がっていた。
戦場跡を自分の支配下、領域にしている。だから精霊達も立ち入れない空白地帯となっていたわけだ。
では、こいつ自身は? アンデッド――霊魂を由来とするのか、それとも精霊なのか、何を目的として攻撃を仕掛けてきた。対話は可能な存在なのか。
対峙しながら思案を巡らす中で、奴は――ボロ布の下で俺を見て、薄く笑ったようだった。