番外1220 氷絶の大渦
獅子から拡散する呪法弾が四方八方からエスナトゥーラを追随する。即席の呪法兵による誘導弾とでも言うべきもので、特定の対象に向かう遠隔呪法というよりは弾丸個別の認識、判断能力で動くという性質を持つ。術者の有視界では流石に護符に誤認させるというのは難しいな。
呪法ではエレナが使う反射呪法も注意が必要ではあるが、そちらについては出撃前に配った護符で対応できる。
反射されても人型の護符が肩代わりする、というわけだ。とはいえ、それは使ってくるならばの話。この状況で繰り出してきた誘導呪法弾にはそれも意味があるまい。
エスナトゥーラは高速飛行をしながら切り結んでいたが、誘導弾がどこまでも追尾してくるのを見てとったのか、速度は落とさず、向かってくる呪法弾のいくつかを選ぶように、攻防の中で間合いを詰める。身体に纏った瘴気を薄く延ばして視界外からの弾道を把握。転身しながら瘴気の鞭で打ち落とし、瘴気弾を放って相殺する。
光の尾を引きながら空中で切り結ぶエスナトゥーラと獅子。激突しては弾かれ、すれ違っては衝撃波を散らし、互いに相手に向かって突撃していく。
影さえ留めない速度で振り抜かれるエスナトゥーラの鞭を、人外の反射神経を以って迎え撃つ獅子。時に並走しながら猛烈な勢いで切り結ぶ。
離れ際――エスナトゥーラがスナップを効かせて腕を振るえば鞭の先端が弧を描いて。獅子に向かって高速回転する白いリングのような物が放たれる。二度、三度。角度と軌道を変えて撃ち出す。
弾速はそれほど速くはない。獅子も身をかわすが――放たれたリングは解けるように大きく弾けた。
「オオォオォオッ!」
時間差で放ったリングが同時に爆ぜている。逃げ場のない瘴気の衝撃波が重なる。
しかし――密度はそれほどでもないと見て取ったか、獅子が咆哮を上げて衝撃波の只中を突っ切ってきた。頭部に闘気を集中。衝撃波を力技で突き抜けたかと思うとそのままエスナトゥーラと交差する。
獅子と同じく牙を剥き、笑うエスナトゥーラが横薙ぎの一撃を振り抜く。
すれ違いざまのそれは――斬撃だった。
迎撃の瞬間、瘴気で形成した鞭を剣に変えていたが、それでも膨大な量の闘気を纏った獅子の身体に届かせるには足りない。斬撃の軌道状に一条の火花を残して互いが背後にすり抜けていた。
両者共に即座に転身。闘気と膂力、魔力の物量を以って押し潰そうと迫る獅子と、それを己の瘴気特性によって削り取ろうとするエスナトゥーラ。
撒き散らされる激突の余波で、凍り付くほどに下がった周囲の温度と反比例するように戦いは激しさを増していく。
激突する。激突する。弾き、弾かれ、離れては突っ込んで切り結ぶ。
瘴気鞭が幾重にも衝撃を重ね、諸共に切り裂けとばかりに振るわれる爪牙を掻い潜り。斬り込んで転身、転身。半身になって皮一枚で閉じられる大顎の一撃を回避。跳ね上がる膝蹴りには白い瘴気が乗せられている。即席の呪法兵をぶつけて相殺。
平行に飛びながらの至近戦の中で、両者の展開した瘴気弾と呪法弾がぶつかり合って戦場にいくつもの氷の花を散らす。
瞬間的に硬質化させた瘴気鞭で獅子の爪を流して、即座に柔軟性を取り戻した鞭が大きく弧を描き、胴体部分を締める様に迫る。逆回転に身体を捻って捕縛しようとする動きを相殺。後ろ足から呪法の輝きを噴射して鋭角に折れ曲がると、闘気を纏ったまま錐揉み回転でエスナトゥーラ目掛けて真っ直ぐに突っ込んでくる。
回避しようとしたその瞬間に。獅子の身体から大きく飛び出した物がある。即席の呪法兵の一種だろう。森で見た、蟷螂の大鎌に似た黒い影が――凄まじい勢いで幾本も展開してエスナトゥーラの退路を断つように広がる。そのまま。全方位から降り注ぐように折りたたまれる。
正面は闘気を漲らせた獅子。周囲からは呪法の大鎌。食らった相手の力を取り込めるというのならそうした力を即席の呪法兵として形成して解き放つ事もできるのだろう。
「来るがいいッ!!」
エスナトゥーラは手の内にある瘴気鞭を形成し直すと、凄絶な笑みを見せて瘴気を漲らせる。大鎌で切り裂かれないように瘴気を展開。正面からの獅子の突撃には両手の間に鞭――というよりは両腕の間で火花を放つ程の瘴気の帯を展開してそのまま受け止める。
凄まじい衝撃と共に巨大なスパーク光が散った。
正面と背後から挟み込むような強烈な一撃であったが、噴出した瘴気が減衰させたか、蟷螂の大鎌はエスナトゥーラを切り裂くには至っていない。呪法兵の力ではエスナトゥーラの防御を貫くには至っていない。
だが――正面の獅子は、止まらない。牙を開いたままで高速回転し、火花を散らしながら押し込む。エスナトゥーラが放出し続ける瘴気の帯を削り取ってそのまま抉りぬけようという判断だろう。展開した大鎌にしても、逃がさなければそれで良いというもので、相手を殺すためのものではない。
「はああああああああっ!」
「ゴオオォォオオオァアッ!」
両者の裂帛の気合と咆哮とが重なる。
獅子の突撃を止めるためにか。エスナトゥーラが周囲に噴出させていた瘴気を消失させる。次の瞬間にはまだ機能停止していない大鎌がエスナトゥーラの背中から抱きすくめようとするかのように閉じられていた。減衰されているから、切り裂くには至らないが――。
食らいつくように閉ざされる大鎌に獅子は笑った。エスナトゥーラも、また笑う。
刹那。獅子はあちこちに重い衝撃を受ける。
そうだ。エスナトゥーラは獅子の突撃に集中するために迸らせていた瘴気を止めたのではない。瘴気を長い髪に纏わせて、そのまま瘴気の鞭――というよりはフレイルのような重さを持つ鈍器を形成した。それを正面で受け止めたままで四方から獅子に叩き込んだのだ。ありったけ噴出していた瘴気を、防御ではなく攻撃に回した。
それでも獅子は止まらない。咆哮を上げながらそのまま押し切ろうと、ありったけの力の放出を続ける。それは森の王を目指す矜持故か。押し負ければ戦いの意味がないと言わんばかりの力の奔流であった。
削りながら地上に向かって押し込んで、木々をへし折りながら一つの塊になって森を削り取っていく。
地面に激突。衝撃で抉れて、降り積もった雪が舞い上がる。
雪煙の向こうから、スパーク光が散る。信じられないというように獅子が目を見開く。エスナトゥーラは大きく牙を剥いて、笑っていた。
獅子の動きは止まっていた。まだ接触点で火花を散らしていたが、エスナトゥーラの命までは届かない。
「守るものなどない貴様は、王などにはなれはしない。お前はあの人やテオドール様とは違うな、獅子よ」
そう言って。瘴気の帯が、エスナトゥーラの髪が。獅子の身体に絡みつく。両者の周囲に渦が生まれていた。
見る間にそれが大きくなっていく。雪を巻き上げ、木々を巻き上げ。戦場に広くばらまかれたエスナトゥーラの瘴気は――まだ生きているのだ。エスナトゥーラの意志に従い、広く散った瘴気を操る事で、それは大渦となる。
エスナトゥーラと獅子を中心に集まってくる瘴気が一体となり、白い竜巻となって一気に天地を貫くような巨大なものへと変貌していく。
咆哮と共に闘気を漲らせる獅子の姿が、僅かな隙間から垣間見え――周囲の木々も雪も土砂も、何もかもが巻き上げられていく。スパーク光を散らしながら天高くまで伸びた竜巻がうねる。同時に、周囲の温度が猛烈な勢いで低下していく。瘴気特性と風速による相乗効果で、凄まじい勢いで温度を奪っているのだ。森の一角ごと凍り付いて、広がっていく氷に、近くにいたゴブリンや魔物達が逃げ遅れて呑み込まれていた。
竜巻の先端が一度高々度まで舞い上がって、そのまま折れ曲がるように軌道を変えた。凄まじい勢いで地面に叩きつけられて、爆発する。
大渦全体が先端の軌道を追うように舞い上がって、着弾地点に向かって追随する。最後に大渦が崩壊――全方位に極低温の暴風が広がった。その暴風に乗るようにして、エスナトゥーラが大きく飛び退るように姿を現す。
空中で身を一回転させて、少し離れたところに着地する。ライフディテクションで竜巻の中の両者の動きは追えている。正確には――途中から反応が片方消えたので、エスナトゥーラのものだけであるが。
拘束したまま竜巻に乗って、巻き込みながら獅子を地面に叩きつけたのだ。投げ技……というには大掛かりだが。
そうして雪煙が晴れた時――そこには完全に凍り付き、地面に叩きつけられて身体を砕かれた獅子の姿があった。